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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

答え​を​必要​と​する​疑問~聖書~

2019年06月13日 | 日記

 

「答えを必要とする疑問」



人々は,かつて何かの時に,次のような疑問を抱いたことがあるかもしれません。
『もし神がいるのなら,なぜこれほど多くの苦しみを,なぜこれほど長い期間にわたって許しているのか。
人間の歴史は苦しみの歴史ではないか。苦しみのなくなる時が果たして来るのだろうか』。


多くの人は,そうした疑問に納得のゆく答えが得られないため,苦々しい気持ちになっています。
神への信仰を失ってしまったり,自分の不幸を神のせいにしたりする人もいます。

例えば,ホロコースト,つまり第二次世界大戦中のナチスによる大量殺人を生き残ったある男性は,
非常に憤慨し,「もしあなたが私の心臓をなめることができたなら,あなたは毒にあたって死んでいたことだろう」と言いました。

また,民族的迫害を受けた結果,第一次世界大戦中に友人や家族を失って苦しんだ別の男性は,
「我々が神を必要としていた時に神はどこにいたのか」と,苦々しげに言いました。

このように,多くの人は困惑しています。
そういう人たちの見地からすると,善と愛の神がこれほど長い間悪事を生じるままにしておくのは矛盾しているように思えるのです。

人々が行なってきた事柄

人々がこれまで何世紀にもわたり ― 事実,何千年もの間,他の人々に言語道断の悪を行なってきたことは否めない事実です。
そのひどさと恐ろしさは想像を絶するものがあります。

文明が“進歩”するにつれて,大砲,機関銃,戦闘機,戦車,ミサイル,火炎放射器,化学兵器,核兵器など,
人間が他の人間を滅ぼす,あるいは不具にする目的で考案する道具はますます恐ろしいものになりました。
その結果,今世紀だけでも,国家間の戦争で約1億人が死にました。
そのほかに負傷や他の形で苦しんだ人は何億という数に上ります。家屋や所有物など,破壊された資産の量は計り知れません。

戦争がもたらした非常に深い悲しみや苦悩,また多くの涙を想像してみてください。
苦しんだのは大抵の場合,老人,子供,乳児といった,罪のない人々でした。
しかも苦しみをもたらした人の多くは責任を問われませんでした。

苦しみは世界中で今この時も続いています。
殺人事件や他の犯罪が毎日起きており,犠牲者は跡を絶ちません。
あらし,洪水,地震といった“自然災害”をも含め,事故で死傷する人々もいます。
不正,偏見,貧困,飢え,病気,その他非常に多くの問題による苦しみもあります。

善良な神がどうして,来る世紀も来る世紀もひどい苦しみを,それもしばしば経験してきたようなもの ― 人類 ― を創造されたのでしょうか。


人体に見るジレンマ

このジレンマは人体にも反映されています。
人体を研究してきた科学者や他の人々は異口同音に,人体の仕組みが見事で,すばらしいことを認めます。

そのすばらしい点を幾つか考えてみてください。
どんなカメラも真似できないほど精巧な造りの人間の目。
最新鋭のコンピューターも不器用に思えるほど畏怖の念を抱かせる脳。
人が意識的に努力しなくても協働する複雑な人体の各器官。わずか9か月で親の生き写しのようなかわいい赤ちゃんが生まれる誕生の奇跡。
この設計上の傑作である人体は,最高に優れた設計者,つまり創造者なる全能の神によって造られたに違いない,と結論する人は少なくありません。

しかし残念なことに,同じそのすばらしい体も質が低下してゆきます。
やがて病気や老齢や死が臨み,最終的には砕けて塵と化します。なんという惨めな存在でしょう。
何十年も経験を積んで賢くなり,これからその益にあずかれるというときに,体は衰えてしまいます。
その終わりは,人生の始まりの時の,健康,活力,美などの可能性を秘めた人体とは,哀れなほどに対照的です。

愛ある創造者はせっかく人体のようなすばらしいものを造っておきながら,どうしてその人体にひどく悲しい終わりを迎えさせるのでしょうか。
多くの可能性を秘めて非常によいスタートを切りながら,ひどく悪い状態に終わるメカニズムを神はなぜ造られたのでしょうか。

ある人々の説明

ある人々は,悪や苦しみは,人が逆境を通して人格を向上させるよう神がお用いになる手段だと言います。
メソジスト教会の牧師は,「善をもって悪に報いるのは神による救いの計画の一部である」と明言しました。
つまり,善良な人々が人格を陶冶して救いを達成するには,神の計画の一環として,悪い人々の行ないゆえに苦しむことが必要だというわけです。

しかし,人間の場合でも愛情深い父親は,計画的に自分の子供を邪悪な犯罪者の餌食にならせて子供の人格の向上を図るようなことをするでしょうか。
それに,事故に遭って死ぬ若者,殺される若者,戦死する青年も少なくないことを考えてみてください。
それらの若い犠牲者は,死んでしまうのですから,人格を向上させる機会などもはやありません。
したがって,苦しみがあるのは人格向上のためという考えは全く道理に合いません。

思慮のある愛情深い父親で,自分の家族が苦しみや悲劇に遭うことを望む人はいないはずです。
実際,自分の家族を“人格陶冶”のため苦しみに遭わせるよう計画する父親は,不適格者,あるいは精神に変調を来たした人とさえみなされるでしょう。

では,最高に愛情深い父親であり,宇宙の創造者である全知の神が,“救いの計画”の一環として,
人々が苦しみに遭うようわざわざ取り計らわれた,と言うのは妥当でしょうか。
それは神を極めて残酷で忌まわしい性質の持ち主,低い人間が持っている場合でさえだれも大目に見ることができないような性質を持つ存在とみなすのと同じです。


答えを見いだす

神が苦しみや悪を許しておられることについての疑問の答えを見いだすには,どこに注意を向けたらよいでしょうか。
この問題には神が関係しておられるので,神ご自身が提示しておられる回答を調べるのが筋です。

では,その答えはどのようにして見いだすのでしょうか。
それは,人間のための指導書として著したと神が言っておられる書物,つまり聖書をひもとくときに見いだせます。
その書物についてどんな考えを抱いていようと,それは調べてみる価値があります。
使徒パウロが述べているとおり,
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ,人を教え,戒め,誤りを正し,義に導く訓練をするうえに有益」だからです。
(テモテ第二 3:16)
パウロはまた,
「わたしたちから聞いて神の言葉を受けた時,あなた方はそれを,人間の言葉としてではなく,事実どおり神の言葉として受け入れた」とも書いています。
(テサロニケ第一 2:13)

苦しみが許されていることに関する疑問の答えを見いだすことは,単なる頭の体操以上のものです。
その答えは,世界で今何が起きているか,近い将来何が起きるか,わたしたち各々はどんな影響を受けるかといったことを理解する上で極めて重要です。

わたしたちには,人類に対する神の意思伝達手段である聖書そのものに語らせる義務があります。
では,聖書は苦しみが始まったいきさつや,神がそれを許しておられる理由について何と述べているでしょうか。

その答えを理解するかぎは,わたしたち人間の精神的また感情的な造りと関係があります。
聖書の示すところによると,創造者は人間としてのわたしたちの造りの中に極めて重要な次の特質を植え込まれました。
それはつまり,自由でありたいという願望です。では,人間の自由意志に何が関係しているか,
またこれは神が苦しみを許しておられることとどんな関係があるか,という点を大まかに検討してみましょう。
 

 

 

 

                    

 

 

 

 

 

 

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タチアオイ、アヤメ 越谷・葛西用水 6月8日 12日・4K

2019年06月13日 | 日記

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タチアオイ、アヤメ 越谷・葛西用水 6月8日 12日・4K

出先の休憩時間に、徒歩3分の葛西用水で撮影

音楽は、フリー無料のBGM素材・音楽素材「甘茶の音楽工房」
より  「紅茶の時間」

撮影機材・2012年式・FUJITSU・F-08D docomo 1300万画素

#タチアオイ
#アヤメ
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