自律の平等(2) 2010-07-05 02:03:20 | Weblog フローベイの議論は運の平等論の一種ではあるが、ドゥオーキンの選択的運option luckと自然的運brute luckの区別に則って議論するものではない。むしろ、その区分に基づいて前者による影響(結果)には責任があるが、後者には責任がない(だからこそ補償対象となる)とする議論を批判するものとなっている。ドゥオーキンに言わせれば、前者は明らかに意図的なギャンブルの結果と同等だが、後者はそうではない . . . 本文を読む