哲学・後悔日誌

現代英米圏の分析的政治哲学を研究し、自らもその一翼を担うべく日々研鑽を重ねる研究者による研究日誌

自律の平等(1)

2010-06-23 17:53:15 | Weblog
最近は、やるせなくなることが多い。自分が関わっている研究分野が「お手軽な」研究分野だと思われることほど、不愉快なことはない。しかし日本だと残念ながら、そういう扱いをたびたび受ける。今度『思想』の10月号か11月号に掲載される予定の論文だって、完成までにほぼ2年かかっている(構想はそれ以上に時間をかけている)。もちろん、自分の書いた論文がすべてそういう類のものではないが、しかしそれでも「お手軽な」気 . . . 本文を読む

理由以前に責任や!

2010-05-01 13:07:36 | Weblog
いまとある依頼原稿で、「機会の平等」について書いているのだが、思ったよりも苦労している。とはいえ、かなり気合いを入れて書いているので、それなりな論文にはなると信じている(というか、そう信じたい)。 機会の平等について扱うわけだから、そもそも「機会」って何だろう、という問いに対峙しなければならない。そういうわけで、以下の論文を読んだ(だいぶ前にだが)。Robert Sugden, "Opportu . . . 本文を読む

自律と道徳的責任

2010-04-11 21:07:57 | Weblog
Arpalyの本の4章5章は、自律autonomyが道徳的責任(精確には、moral praiseworthinessとblameworthiness)の必要条件ではないとする議論を展開している。通常われわれは、道徳的責任を帰す条件として当事者が自律的に行為をしたかを重んじるように思われる。それは哲学者も変わりはない。マイケル・スミスはその一人だし、他にも合理的熟慮の役割を重視するC. コースガー . . . 本文を読む

Moral Worth

2010-04-03 12:41:09 | Weblog
雑事に追われてなかなか更新できないでいたが、Arpalyの議論の核心に迫ってゆきたいと思う。前回では行為が合理的であるというために、必ずしも意識的な理由づけを伴う熟慮が必要不可欠というわけではない、という議論について一瞥した。われわれはそこまで意識していなくても、あるいはその時点で下しうる最善の判断と反するとしても、善き理由に適った行為を行うことがたびたびある。Huckleberry Finのケー . . . 本文を読む

Nomy ArpalyのMichael Smith批判を出発点にして

2010-03-19 19:55:40 | Weblog
予告通り、Nomy Arpaly, Unprincipled Virtue: An Inquiry into Moral Agency (New York: Oxford University Press, 2003). についていろいろと論評を加えて行こうと思う。Arpalyは前回のブログでも述べたとおり、Huckleberry Finのケースに目を向けることの道徳心理学的重要性を強調した徳倫理 . . . 本文を読む