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「皇室問題INDEX」設立準備室

マスメディアによる皇室の偏向報道、ネットに流れる東宮家への誹謗中傷を検証しています。

■一般庶民の目で綴る「平成皇室実録」(1):平成の始まりから愛子さまご誕生まで

2016-08-23 05:32:53 | 皇室問題
平成皇室の出来事を時系列でまとめた年表を作成し、送ってくださった方がいます。それをベースに、さらに詳細な情報を付け加え、一般庶民の目から見た「平成皇室実録」を作成できないでしょうか。まずは、平成の始まりから愛子さまご誕生までを書き出してみました。
文末につけた(★)印は、ソース(情報の出所を示す資料詳細)を調査して付け加えたいという印です。そのソース調査も含め、この年表への追加情報をお寄せいただければ助かります。学者ではなく、一般庶民の目に映った「平成皇室実録」作成を目指しましょう。

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■1985年(昭和60年)
 04月  紀子さん学習院大学に入学
 実父の川嶋辰彦同大教授の企みにより、紀子さんは同大2年だった礼宮と学内の書店で出会う。礼宮は自然文化研究会というサークルを作り、紀子さんを招く。礼宮が紀子さんと交際するために作ったサークルで、旅先では2人が同じ部屋に泊まることが黙認されていた。【関連資料:コメント欄参照】(朝日新聞単独スクープの謎(2) 礼宮と紀子さんの出会いの真相 2016-09-13 02:44:55)

 12月  東宮ご夫妻(当時)に初めて紀子さんを紹介
 東宮ご一家が葉山の御用邸に滞在していた時、御用邸近くのホテルに紀子さんが家族と宿泊。礼宮がホテルに紀子さんを迎えに行き、御用邸近くの海岸を散歩をしていた東宮夫妻に引き合わせる形で、紀子さんを紹介した。(出所:秘められた5年の愛『女性自身』1989年0906号)

 礼宮は当時、他の女性たちとも同時進行で交際していた(出所:『噂の真相』1996年7月号)。サークルでの宿泊を伴う旅行、両親への紹介ということ等を考えると、紀子さんが学習院大学在学中に受けたとされる2回の堕胎のうちの第1回がこの年に行われた可能性がある。【関連資料:コメント欄参照】(平成の始まりの序章となる1985年の出来事 2016-09-16 15:35:26 )

■1986年(昭和61年)
 09月  本命は学習院大学教授の娘!?(『週刊現代』09月13日号)
 2人の交際が雑誌で取り上げられる。サークル活動での旅行には、紀子さんのそばに必ず礼宮がいた。

 ※川嶋家が朝日新聞の皇室取材班と接触。以後、同取材班は2人の交際内容を把握していた。【関連資料:コメント欄参照】(朝日新聞単独スクープの謎(2) 礼宮と紀子さんの出会いの真相 2016-09-13 02:44:55)

■1987年(昭和62年) 
03月  斑尾高原でのスキー旅行 報道のカメラの前では紀子さんに近づかず。
     「ボクには7人の恋人がいる」と級友たちに宣言。
 04月  礼宮さまがナイトコールされる美人女子大生の家(『週刊現代』4月25日号)

 礼宮は学習院大学時代、「手の早いやつ」というあだ名をつけられており、情事を持った女性は複数存在した。紀子さんはそのうちの一人で、川嶋家は娘への責任を取るように要求していた。【関連資料:コメント欄参照】(礼宮文仁と川島紀子の結婚前後 2016-08-24 14:20:39)

■1988年(昭和63年)
 礼宮の卒業が近づく1988年になると、東宮御所に紀子さんを呼び、東宮内デートを楽しむようになる。
 東宮御所を紀子さんが一人で訪ねて来て礼宮の部屋に2人きりで数時間もこもり、側近が慌てたという話が『週刊現代』1989年0305号に書かれている。

 紀子さんは1987年後半くらいから頻繁に訪ねてくるようになり、最初は微笑ましく見られていたが、近頃は「間違いがないといいが」と心配されているという。「間違い」は起こるべくして起こり、繰り返されたとみられる。【関連資料:コメント欄参照】(紀子さんと礼宮の交際 2016-09-03 05:05:50)

 03月    礼宮、学習院大学を卒業
 08月   礼宮、2年間の予定でオックスフォード大学に留学


■1989年(昭和64年)
01月07日 昭和天皇崩御。
02月24日 大喪の礼。


 04月   礼宮が皇籍離脱発言(『週刊ポスト』4月7日号)
 04月   渦中の女 「浩宮妃」より先に「礼宮の恋人」(『FOCUS』5月5・12日号)

 『週刊ポスト』によると、兄の皇太子即位が秒読みとなった時点で、礼宮は自分との差を改めて実感。同じ兄弟でありながら、皇太子として崇められる兄と比べ、自分は多くの点で差別されている。これは「憲法違反ではないか」と陛下にくってかかり、皇籍離脱を口にしたという。『FOCUS』は、この皇籍離脱発言は兄と比べての待遇不満だけではなく、紀子さんとの結婚に反対する周囲への反発から出たと解説。さらに後の報道では、天皇が紀子さんとの結婚に反対していたことを明かしている。【関連資料:コメント欄参照】(平成の始まりと終わりに噴出した礼宮(秋篠宮)の不満 2016-09-11 04:17:53)

 05月   スクープ 礼宮さまが学習院大教授令嬢と婚約へ(『FLASH』5月9・16日号)
 08月   反対だらけだった礼宮の結婚(『女性自身』09月06日号) 
 08月   礼宮「ご婚約発表」のあと 平民化に拍車がかかる「新皇室像」
               皇籍「離脱」で抵抗した成果(『週刊新潮』09月07日号)
 09月   礼宮婚約スクープの裏!決め手は両親の赤坂御所訪問だった(『週刊宝石』9月14日号)
 09月   ご婚約“突如内定”なぜ急がれたのか(『週刊現代』09月16日号)
 09月   プリンセスを生んだ川嶋家の「血族と財産」(『週刊ポスト』09月15日号)

09月12日 文仁親王(礼宮)と川嶋紀子さんの婚約内定、記者会見が行われた。

 昭和天皇の喪が明けないうちに婚約が発表される事態となったのはなぜか? 礼宮との交際中に紀子さんは堕胎手術を受けること2回に及び、これに抗議して実父の川嶋辰彦氏が東宮御所に乗り込んだ。川嶋氏と親交があった朝日新聞(岩井克己記者)と解放同盟の力を背景に、結婚の約束を取り付けたとする見方がある(★)。

■1990年(平成2年)
06月29日 文仁親王(25歳)と川嶋紀子さん(23歳)結婚の儀。秋篠宮家創設。
 09月     礼宮結婚フィーバー 日本はこれでいいのか!「奉祝押しつけ」の大騒ぎ報道を排す
         沸騰皇室核心論議 右と左と知識人のミカドの肖像(『週刊ポスト』1990年09月13日号)

 「秋篠宮家に万が一にも皇位が継承されることがあってはならない」という暗黙の了解が宮内庁内部で共有され受け継がれていたと(後に)報道される(★)。秋篠宮には出生の問題、紀子妃には出自の問題があり、結婚に至る経緯にも上述のような問題があり、これが一般に明らかになれば、皇位継承者としては認められないためとする見方がある(★)。

■1991年(平成3年)
02月23日 立太子の礼。徳仁親王が正式に皇太子となられる(31歳)。
10月23日 秋篠宮家に長女・眞子内親王誕生。


■1992年(平成4年)

08月16日 JICA総裁の柳谷謙介氏宅にて、皇太子殿下と雅子さんが5年ぶりに再会。
10月03日 宮内庁新浜鴨場(千葉県市川市)で殿下が雅子さんにプロポーズ。
10月中旬 悩んだ末に雅子さんがお断りになり、柳谷氏が説得にあたる。
12月12日 雅子さんが東宮御所を訪問、受諾のお返事。
12月25日 天皇皇后両陛下におひきあわせ。


 皇太子殿下と小和田雅子さんは1986年10月、スペインのエレナ王女の来日歓迎レセプションで初めて出会う。翌87年に高円宮邸のホームパーティや東宮御所への招待があり、お妃候補としてマスコミに騒がれる事態となる。翌88年から90年まで、雅子さんは英国オックスフォード大学へ留学。将来を嘱望される外交官としての道を歩み始め、お妃候補からは完全に外れたとみられた。だが殿下の思いは一途で、92年8月、5年ぶりの再会を実現、10月にはプロポーズに至る。雅子さんがそれを受諾されるまでの紆余曲折については、コメント欄の詳細資料を参照されたい。小和田家が皇太子妃の座を狙っていたなどという作り話がネットに書き立てられているが、まったくの捏造であることは明らかだ。【コメント欄】(出会いからご結婚まで 2016-08-31 13:55:17)(関連記事 2016-08-31 14:06:33)(記事・その2 2016-08-31 16:17:45)(入江為年氏の証言 2016-08-31 16:49:40)(野心について 2016-08-31 17:22:32)

■1993年(平成5年)
01月06日 ワシントンポストが皇太子殿下の婚約をスクープ
 皇太子さまと小和田雅子さんの婚約について海外メディアが最初に報じた。宮内庁から正式発表まで統制がかけられていたが、宮内庁記者クラブに所属しない海外メディアは報道協定に縛られないためスクープ可能だった。これを受けて国内外のメディアが一斉に記事を掲載する。【関連資料:コメント欄参照】(1993年 2016-08-24 23:16:32)(1993年・その2 2016-08-25 10:30:06)(1993年・その3 2016-08-25 10:41:11)

01月19日 皇室会議
8時30分から19分間行われ、小和田雅子さんを皇太子妃と内定し、記者会見が行われた。

04月12日 納采の儀
06月09日 皇太子徳仁親王(33歳)と小和田雅子さん(29歳)結婚の儀。

 ご結婚当日、雅子さまを紀子妃が鬼の形相で睨みつけていたという目撃証言多数。ご結婚前には「私の十二単をお貸しする」という発言もあり、国民を仰天させた(★)。
 「宮中に慣れるため3年は懐妊を控えるように」と、美智子皇后のアドバイスがあったと報じられる。ご結婚からしばらくの間、すさまじいまでのご公務のスケジュールに、「こんな忙しくて子作りが出来るのか」という記事も書かれた。【関連資料:コメント欄参照】(ブラック企業? 新婚当時の雅子さまのご公務 2016-09-04 17:15:53)

 04月   吹上新御所建設ではらした美智子皇后『積年の思い』(『週刊文春』04月15日号)
 06月   宮内庁に敢えて問う 皇太子御成婚『君が代』は何故消えたのか(『週刊文春』06月10日号)
 06月   宮内庁記者が絶対書けない平成皇室『女の闘い』(『週刊文春』06月17日号)
 07月   皇室の危機『菊のカーテン』の内側からの証言(『宝島30』08月号)
 07月   『宝島30』の問題手記『皇室の危機』で宮内庁職員が初めて明かした皇室の『嘆かわしい状況』
        (『週刊文春』07月22日号)
 09月   天皇訪欧費用『2億円』の中身(『週刊新潮』1993年09月09日号)
 09月   美智子皇后が訪欧直前の記者会見で『ムッ』としたある質問(『週刊文春』09月16日号)
 09月   美智子皇后のご希望で昭和天皇の愛した皇居自然林が丸坊主(『週刊文春』09月23日号)
 09月   宮内庁VS防衛庁に発展か 天皇・皇后両陛下は『自衛官の制服』お嫌い
        (『週刊文春』09月30日号)
 10月   美智子皇后 私はこう考える(『週刊文春』10月07日号)

■1994年(平成6年)
02月~  雅子さまのご懐妊報道が過熱。

 この年2月に雅子さまの風邪が長引き、その後のお召し物がゆったりしたものであったため、ご懐妊報道が過熱し始める。これを受けて、ご成婚1年目の会見で、皇太子さまは「あまり波風がたつとコウノトリのご機嫌を損ねる」と過熱報道を窘められる。

05月   秋篠宮妃ご懐妊発表。12月に次女・佳子内親王誕生。

■1995年(平成7年)~1999年(平成11年)
海外で雅子さまをめぐる報道が増え始める。
 外交官出身として親善外交での活躍が期待されたが、皇位継承者出産のプレッシャーに押しつぶされているという論調。イタリア紙「沈黙する悲しみの妃」、ニューズウィーク「姿を消したプリンセス」など(★)。

不妊治療を始められたことも報じられる。
 雅子さまは毎月天皇と皇后の前に呼び出され、その月に生理があったかどうかを尋ねられた。そのたび恥ずかしさに頭をたれ、まだ妊娠していないことを告白しなくてはならなかった。【関連資料:コメント欄参照】(生理の周期など 2016-08-24 14:22:08)
 皇太子さまの留守を見計らい、宮内庁幹部が雅子さまを訪問し、生理の周期などご体調に付き詰問することもあったという(★)。

不妊治療を理由に雅子さまの海外訪問が禁じられる。
 男子誕生を優先事項とするため、宮内庁長官により皇太子ご夫妻の海外訪問が禁じられたとの報道があった。故三笠宮寬仁親王と旧皇族子孫の竹田氏は、雅子さまの能力が活かせるご公務をして頂いたほうが精神的充足感もあり、体調も良くなるのではないか。懐妊を理由とした訪問取りやめは外交上失礼ではないので、海外訪問禁足は不要との説を(後に)語っておられる(★)。しかし、千代田側の意向として(すなわち天皇皇后の意向として)、長期にわたり皇太子ご夫妻の海外訪問は禁じられた。1997年(平成9年)にはシラク大統領から皇太子ご夫妻へ訪仏の招待があったが、宮内庁(天皇皇后)がこれを許さず、紀宮さまがフランスを訪問している。1999年(平成11年)にはドイツにおける日本年の名誉総裁が皇太子さまであり、皇太子ご夫妻が招待されたが、宮内庁(天皇皇后)がこれを許さず、秋篠宮夫妻がドイツを訪問した。
【関連資料:コメント欄参照】(雅子様に対する「海外禁足」のソース記事 2016-08-28 21:53:37)

※資料:「ご成婚から20年間での外遊回数」
 昭和の皇太子ご夫妻  50回以上(正式記録が平成以降のため不正確ながら)
 平成の皇太子ご夫妻   6回 10か国(慶弔訪問含む)
 秋篠宮ご夫妻       25回 29か国(私的海外訪問の多くは含まず)

【関連資料:コメント欄参照】両陛下の海外訪問について(資料として 2016-08-29 15:13:18)
 
■1999年(平成11年)
12月   雅子さま妊娠5週目と朝日新聞がスクープ。30日に宮内庁病院にて流産処置。
 胎児の心音が確認できていない5週目という時期のスクープに世間は驚き、憤慨した。ごく限られた人しか知るはずがない内々のことが漏れたことに雅子さまは非常なショックを受けられたという。スクープした記者は紀子妃と特別に親しい関係にある朝日新聞社の岩井克己氏であり、リーク元は紀子妃だった可能性は否定できない。(★)

■2000年(平成12年)
02月   流産処置から2か月で公務に復帰される。
06月16日 香淳皇后崩御。
07月   1か月の殯を経て25日、香淳皇后の斂葬の儀が行われる。


 この間、雅子さまも昼夜交代で棺に付き添われるなどされたが、斂葬の儀当日は体調が悪く欠席されたことが波紋を呼ぶ。しかし、この時実際にはご懐妊の兆候があったため、大事をとる必要があったと後に報じられる。2度に及ぶ流産にくわえ、当時なされた千代田(天皇皇后の側近)からの厳しい叱責が雅子さまを深く傷つけ、八方塞がりの状態に追い詰めていた。
【関連資料:コメント欄参照】(斂葬の儀欠席の真相記事 2016-08-28 22:19:01)(「斂葬の儀欠席」について、もう少し 2016-08-29 14:19:47)

※天皇の「眞子が女帝に」発言の衝撃
 「このまま東宮家に子が生まれなければ眞子が天皇になるしかない」と天皇が嘆いたという記事が週刊誌に掲載された(★)。皇位継承について、天皇ともあろう方がこのような軽々しい発言をなさったことに驚く。帝王学を学ばれた方の発言とは思えず。おそらくこの失言(非常に重い失言というべき)が紀子妃とそのご実家を舞い上がらせたことは想像に難くない。家長として、不妊に苦しみ苦境に立つご長男夫妻を思いやり、弟夫婦の野望を諫めるのが筋であるのに、お家騒動の火をあおるとは。なんと頼りなく浅慮な家長だろう。
 この失言はまた、天皇が女帝容認であった証拠でもある。天皇は「男でも女でも私の血筋であることに変わりはない」という発言もしておられ(★)、男系男子派から強い批判を受けた。その後こうした発言は控えられたようで、漏れ聞こえることは無くなった。


■2001年(平成13年)
03月   雅子さまに対し海外禁足を敷いた宮内庁長官退官。
     不妊治療のスペシャリストである堤教授が東宮御用掛に就任。
05月   雅子さま(37歳)ご懐妊正式発表。


 小泉首相が、ご誕生までに女性天皇を認める皇室典範改正を提案。与党幹事長も賛意を示し世論調査も歓迎するが、保守系議員と神社界の反発があり、お体に障ってはならないと、議論が鎮静化する(★)。

※ネットに「流産祈願スレ」乱立の怪
 東宮家の慶事をわがことのように喜ぶ国民をよそに、某巨大掲示板には「流産祈願スレ」が乱立。「雅子の腹に蹴りをぶっこいてくるのよ」といった信じがたい暴言の数々が日夜書き込まれた。御子の性別も不明なときであり、男系男子派の仕業ではありえない。「東宮家による皇位継承」という当然のことを阻止しようとする勢力の仕業であり、それによって誰が利を得るかを考えれば、紀子妃とそのご実家という見立ては成り立ち得る。ネットで東宮家をバッシングする「アンチ東宮」と呼ばれる人々の毒々しいデビューであるが、彼らは紀子妃とそのお子さまたちを「お美しい」「ご優秀」と盛大に持ち上げる特徴をもつ。秋篠宮についてはさほど称賛するわけでもない。
【関連資料:コメント欄参照】(「流産祈願スレ」乱立の証拠 2016-08-26 22:43:27)

12月01日 皇太子ご夫妻の第一子、敬宮愛子内親王殿下ご誕生。

 皇室最高齢の高松宮喜久子妃殿下が『婦人公論』1月22号に寄稿される。「女性が第127代天皇さまとして御即位あそばすことは日本の長い歴史に鑑みて決して不自然なことではない」--多くの国民も同じ思いだった。

※愛子さまご誕生を祝う記帳に77万人
 12月2日夕刻にもかかわらず、「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」には2万5千人以上が集まる。皇居および宮内庁が管理する施設での記帳12万人。宮内庁は記帳に訪れる人が多いため、記帳所を増やし、記帳時間を延長して対応。全国自治体、神社、大使館関係は65万人。

※第2子(男子)懐妊の至上命令
 こうした一般国民の大歓迎をよそに、ご出産間もない雅子さまのベッドサイドを訪れた宮内庁幹部は、「これで、お子さまが授かれることは証明できたので、次こそは男子を」と詰め寄ったと報じられている(★)。天皇皇后の意向を伝えたものであることは自明である。長い不妊治療の末にようやく御子を授かったばかりの雅子さまの心身は、「男子限定懐妊の強要」に耐えうる状態ではなかったはず。なぜ、そのような心無い仕打ちができるのか。皇后さまの代名詞のような”慈愛”はどこに?
 このとき「もし男子懐妊治療を拒むなら秋篠宮夫妻に依頼する」「秋篠宮家に男子が誕生すれば皇統は秋篠宮家に移るがそれでよいか」と迫られたであろうことは、状況証拠とともに前トピックで述べた。女帝容認であったはずの天皇が、なぜここまで東宮ご夫妻に男児懐妊を強要されたのか? 国民の圧倒的多数は、愛子さま誕生を「女帝誕生」として大喜びしていたのにもかかわらず。


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67 コメント

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美智子入内、紀子入内 (同い年)
2016-08-24 08:52:58
結局どちらも、先マスコミによって、婚約確定情報が拡散され、せっかくの皇室会議も、事後承認するしか無かったと言う事ですね。
返信する
礼宮文仁と川島紀子の結婚前後 (auxilia)
2016-08-24 14:20:39
英文:
Princess Masako Prisoner of the Chrysanthemum Throne
by Ben Hills  (2006年 発刊)

日本語訳:
プリンセス・マサコ 完訳
藤田 真利子 訳



According to the journalist Edward Klen,
he had earned the nickname ‘Fast Hands’.

エドワード・クライン記者によれば、
秋篠宮は「手の早いやつ」というあだ名をつけられていたのだという。


Kenichi Asano,a professor of journalism at Doshisha University and a longtime critic of the royal family says he knows two of the women the prince had affairs with,one the daughter of a personal friend.

同志社大学のジャーナリズムの教授で、長年天皇制を批判してきた浅野健一は、
親王が情事を持った女性のうち二人を知っているという。
そのうちの一人は個人的な友人の娘だというのだ。


The Kawashimas were also insisting he make an honest woman of their daughter.
川嶋家も娘への責任を取るように要求していた。


■ 1988年 3月5日号  週刊現代
礼宮さま 教授令嬢とのデート親密度
3時間も2人きりで…

■ 1989年 5月5・12日号  FOCUS
渦中の女 
「浩宮妃」より先に「礼宮の恋人」

■ 1989年 5月9・16日号  FLASH
スクープ 礼宮さまが学習院大教授令嬢と婚約へ

■ 1989年 9月6日号  女性自身
反対だらけだった礼宮の結婚

■ 1989年 9月7日号 週刊新潮
礼宮「ご婚約発表」のあと
平民化に拍車がかかる「新皇室像」
皇籍「離脱」で抵抗した成果

■ 1989年 9月14日号  週刊宝石
礼宮婚約 スクープの裏
決め手は両親の赤坂御所訪問だった…

■ 1989年 9月15日号  週刊ポスト
プリンセスを生んだ川嶋家の「血族と財産」

■ 1989年 9月16日号  週刊現代
ご婚約“突如内定”なぜ急がれたのか

■ 1990年 9月13日号 週刊ポスト
礼宮結婚フィーバー  日本はこれでいいのか!
「奉祝押しつけ」の大騒ぎ報道を排す
沸騰皇室核心論議
右と左と知識人のミカドの肖像


++++++++++++++++


礼宮文仁と川嶋紀子は当初、祝福されての婚約ではなかったというのが分かる記事の数々であると思われる。
返信する
生理の周期など (auxilia)
2016-08-24 14:22:08
英文:
Princess Masako Prisoner of the Chrysanthemum Throne
by Ben Hills  (2006年 発刊)

日本語訳:
プリンセス・マサコ 完訳
藤田 真利子 訳



According to well-placed palace insiders, every month since her marriage the princess has been summoned to the imperial presence.

宮内庁の事情通によれば、結婚以来毎月皇太子妃は天皇と皇后の前に呼び出される。


Using the politest and most formal of language, the emperor enquires as to whether she has had a period that month.

この上なく丁寧で堅苦しい言葉を使い、天皇は雅子妃がその月生理があったかどうかを尋ねる。


Each time she has to lower her head in shame and confess that, sadly, she has failed yet again to conceive achild.
そのたび彼女は恥ずかしさに頭をたれ、悲しいことにまだ妊娠していないことを告白しなくてはならない。


They also point out that she has effectively been grounded until she does her duty and produces an heir.

事情通たちはまた、雅子妃が世継ぎを有無という義務を果たすまでは外出できないことを指摘する。


+++++++++++++++++++++


天皇が雅子妃の「女性特有の周期」を知りたがっている云々……という記事は、この本が出版された後に出たような気がするのだが。
ベン・ヒルズの本が発行されたのは2006年なので、そういう話は既に2006年以前には囁かれていた(公然の秘密として有名であった)と考えられる。
返信する
1993年 (にゃーこ)
2016-08-24 23:16:32
皇室会議を受けての記者会見と、納采の儀はあった方がいいのではないでしょうか。

1月6日 ワシントンポストがスクープ
宮内庁から正式発表まで統制がかけられていたが、宮内庁記者クラブに所属しないため報道協定に縛られない海外メディアによってスクープされた
これを受けて国内外のメディアが一斉に記事を掲載する
(時間があれば、リストを作ってみます)

1月19日 皇室会議
8時30分から19分間行われ、小和田雅子さんを皇太子妃と内定し、記者会見が行われた

4月12日 納采の儀

この時の写真が「NEWSWEEK」表紙に
記事は「THE RELUCTANT PRINCESS」
http://www.newsweek.com/reluctant-princess-193416

6月9日 結婚の儀

「ニューヨークタイムズ」の記事
「Royal Wedding in Japan Merges the Old and New」
http://www.nytimes.com/1993/06/09/world/royal-wedding-in-japan-merges-the-old-and-new.html

「The Molding of Masako-san, Japan's Perfect Bride」
http://www.nytimes.com/1993/06/07/world/the-molding-of-masako-san-japan-s-perfect-bride.html?pagewanted=all


この時期、国内はネットに対応していないので、探すとしてもタイトルだけになるでしょうか。
ご結婚からしばらくの、すさまじいまでのご公務のスケジュールに、「こんな忙しくて小作りが出来るのか」という記事もありましたね。
返信する
紀子さまの堕胎 (翡翠)
2016-08-24 23:49:00
紀子さまが結婚前に2回堕胎したということは、意外に多くの人が知っているんですね。私が驚いたのは、郊外の一戸建てに引っ越して、隣組の会合に参加したときのこと。リーダー格のおばさん(70代)が、明日は紀子さんに会いに行くのよ(何かの集まりがあるらしい)というので、ちょっとその話をふってみたんです。そうしたら、「2回じゃないのよ、3回よ」と。

回数はともかく、堕胎したことそのものが当たり前、みんな知っている常識、みたいなことになっているのが、驚きでした。とくに大層な秘密というのでもなくて、みんなが「ああ、あれね」と知っていて、でも、それで紀子さまをとくに軽蔑するとかいうのではなくて。「明日は紀子さんに会いに行く」と、ちょっと晴れがましげに言うわけです。ちゃんと、皇族としてそれなりに認めている感じで。

でも、そんなふうにみんなが知っていることでも、活字になったものを読んだことは一度もない。これを週刊誌などの記事にすることは、出版界では絶対にやってはいけないタブーなんでしょうね。

「昭和天皇実録」を意識して「平成天皇実録」が作成されるとしたら、いまの一般庶民が当たり前のように知っている皇室の醜聞は、きれいに消されてしまうでしょう。活字になっていないので、事実として扱われることはなさそうです。ネットには残っていても、活字になっていないんだから悪質なデマ、都市伝説、ということにされてしまいますね。

紀子さまの堕胎話は某宗教団体が流したデマで、その宗教には雅子さまが関係している、というような嘘が、まるで真実のように書かれているサイトもあります。個人のブログではなく、中立を装ったサイトです。

そういう嘘やごまかしが、事実のように語られ、いつの間にか事実になってしまうというのが、イヤでたまらない。一般庶民というか、国民をなめている、馬鹿にしていると思う。

ということで、私は紀子さんの堕胎について、情報を集めてみますね。それを、庶民版「平成皇室実録」に入れてほしいです。
返信する
「皇室会議」と所功氏、『日本会議の研究』菅野氏の推論 (INDEX)
2016-08-25 04:01:11
同い年様

 「皇室会議」というのは結局、事後承諾するだけの役割のようですね。雅子さまの時もそうだったようで。

 所功氏は、生前退位ニュースの時に「皇太弟」を認めることが大事と言い、そういったことを「皇室会議で決めればいい」と主張されていました。以下は、過去記事にあげたものですが、7月14日「テレあさ スーパーJチャンネル」での所氏の発言を書き取ったものです。

>皇太子さまが天皇になられた場合、皇子がおられませんから、その方はいったいどなたかといえば、ふつうは、典範第1条に基づいて、秋篠宮さまだ、その先は悠仁さまだということになります。それを可能にするためには、皇太弟たる方を皇太子とみなすとか、あるいは、皇太弟たる方も内廷皇族とするということをちゃんとしておかないと、先に進めないということだと思います。

>歴史がある皇室を今後とも安定的に継承するためには、皇室会議というものがありますから、そこで情報を共有し、一定の方向性を見出し、それを政府に進言もしくは答申をして。それに基づいた法律案は与野党を超えて、みんなでそれを成立するようにすると。念のためですが、皇室会議は、皇族2名と三権の代表8名からなっていますし、国会の場合、正副議長ですから、与党と野党の代表者も入ることになりますので。議長は総理大臣ですから。そういう意味で、国民の意見を背景として、皇室会議でしっかりと議論をすると。そのうえで政府が法案を出すという。国会ではすんなりそれを通すと、そういうことでないと。前に、有識者会議など立ち上げますと、かえって意見が分かれてしまって、いつまでも結論が出ないということになると思います。(発言引用ここまで)

 皇室会議の皇族2名のうち一人は秋篠宮ですからねえ。自分が自分を皇太弟に推すようなことをさせていいと思っているんでしょうか、所氏は。しかも、事後承諾専門の名ばかり「会議」で、「しっかりと議論する」などという実績はこれまで1つもなさそうな機関なのに。

 こういうことを生前退位スクープ直後のTVで発言するような人は、やはり宮内庁の意を受けた御用学者としか思えません。とても信用できない。あの『日本会議の研究』の著者の菅野氏が、「日本会議に籍のある人でご皇室の話させてマトモな人って、所先生ぐらいしかおらん」とツイートしておられますが、尊敬する菅野氏の見立てでも、とても賛成できません。

>僕の過去ログを探っていただいていいが、ご譲位の第一報が流れた7月から、ずっと「東宮」と言い続けている。確か、「東宮を守ろうとされておられるのだ」と書いたはずだ。で、現に、8月9日以降、東宮家のご公務に、愛子親王が表立って参加されるようになった。これは、恐れ慎むべきことですよ(菅野氏の8月24日のツイート)

 天皇が「東宮を守ろうとされている」「愛子さまを皇太子として想定されている」という菅野氏の見立ては、天皇を心優しい方、大局を見ることができる方と信じているからこそのものでしょう。私にはそうは思えないのが残念でならない。愛子さまの清々しいお姿をたくさん拝見できるのはほんとうに嬉しいことですが。眞子さまニュースも頻繁で、それもあの宮家らしいズルで固めた粉飾がすこしも変わっていないわけで。眞子さま佳子さまの粉飾ニュースをみるたびに、女性宮家アピールの一環としか思えないわけです。

 皇統を守るために必要な女帝・女系天皇への道を開くのではなく、姑息な「女性宮家」アピールのために、愛子さまのお出ましも利用されてしまうのだとしたら、許せない。水を差すようですが、こういう「疑い」を持ち続けて、用心することも大事と思っています。
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作業報告 (INDEX)
2016-08-25 04:33:46
★auxiliaさま

たくさんの貴重な資料を教えていただき、ありがとうございます。さっそく「平成皇室実録」記事に組み入れました。

『プリンセス・マサコ』の原文と翻訳のご提示もありがとうございます。雅子さまが懐妊優先で国内に閉じ込められていたという事実、生理を報告させる天皇皇后の仕打ちについては、しっかり記録しておくべきことと思います。天皇皇后宮内庁のやり方は、はっきり間違っていた、非人間的なものだった、雅子さまを病ませた一因だったということ、平成皇室の影の部分として、逃げずに記録しておかねばならないことだと思います。

美智子皇后はそれを何としても阻止したく、『プリンセス・マサコ』の出版を停止させたのでしょう。愚かなことです。この部分の編集については、より効果的な方法を検討したいと思います。

★にゃーこさま

 海外メディアのスクープの経緯、皇室会議を受けての記者会見、納采の儀について教えていただき、ありがとうございます。さっそく記事部分に組み入れました。

 ご結婚からしばらくの過密なご公務についても記録しておきたいですね。あまりに多忙で子作りの暇もないと心配されたのは、高円宮さまだったような? その記事ソースも探していきたいと思います。

★翡翠さま

 紀子さま堕胎の件、たしかに雑誌や本など出版物には1行たりとも掲載されませんね。それを匂わすような記事も見たことがありません。それほど宮内庁が重要視した機密事項なのでしょう。記者クラブがあってこそ可能な言論統制です。でも、一般庶民はみな知っているというw(北朝鮮を嗤えない)

 しかし、皆が知っているはずのことも、時間の経過とともに風化し、無かったことにされるわけですね。歴史から消され、違う話に捏造されてしまう。雅子さまが意図的に流したかのように。真犯人を捕まえておかないと冤罪が生まれてしまうのに似て、事実を押さえておかないと、潔白な方が濡れ衣を着せられてしまう。それを許さないためにも、ぜひ情報収集をお願いいたします。

 引き続き、情報の追加、ソースの確認など、どうぞよろしくお願いします。
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1993年・その2 (にゃーこ)
2016-08-25 10:30:06
INDEXさま、早速の記事への反映をありがとうございます。

とりあえず、ざっくり検索をかけて出て来た英文記事です。
タイトルだけで中が読めないものもありますし、アーカイブ自体が登録しないと検索できないものもあるので、偏ったものになっています。
肝心のワシントンポストの記事も読めません。

ヨーロッパのものがないのは、多分、ネット対応が遅かったことが大きいのではないでしょうか。
記事になっていないことはないはずですから。

アメリカでは、やはり「ハーバード卒の外務省職員」ということが、大きく取り上げられています。
また同盟国である日本の将来の皇后ということで、関心が高かったことも大きいと思います。
ワシントンポストは継続して取り上げているのは、スクープしたと自負していることもあるでしょう。

また現代的なキャリアを持つ才女が、古式ゆかしい皇室でやっていけるのかという懸念や興味もありますね。
キャリアを活かした外交を期待しているものも多いと感じます。

1993年のアメリカ大統領はクリントン、日本の首相は宮澤氏→細川氏。
そして1993年7月にはクリントン大統領が来日しています(7/6-7/10)。
日米関係が良好だった時代だったことも、記事には反映されているように個人的には感じます。もし摩擦のある時期なら、もっと悪辣な視点だったかもしれません。

余談ですが、これらの取材ではハーバード大学の成績や在学当時のことは徹底的に調べていますから、これらの記事で成績優秀と書かれている以上、そこは揺らぎのない事実です。


1月6日
The Washington Post
「Japan Picking Princess; Secrecy Surrounds Crown Prince's Choice 」

1月7日
The Washington Post
「An Imperial Betrothal; Japan's Prince Picks Harvard Graduate 」
https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1993/01/07/an-imperial-betrothal/3b9e465b-0ffe-414c-8fb4-e49708586946/

The Washington Post
「Japan's Press Breaks Silence With a Bang; Vow to Betrothed Prince Ends in a News Torrent 」

The Boston Globe (Boston, MA)
「Japan's crown prince finally finds his princess 1985 Harvard graduate is bride-to-be 」

Chicago Sun-Times
「Japan's Crown Prince Will Marry Diplomat 」

Los Angeles Times
「Japan Prince to Wed Aspiring Diplomat」
http://articles.latimes.com/1993-01-07/news/mn-963_1_crown-prince-naruhito

Los Angeles Times
「Sayonara to the Single Life : Logistics: The wedding will be simple and short. But the celebration involves a cast of thousands and a cost of millions.」
http://articles.latimes.com/1993-06-07/news/vw-576_1_royal-wedding

UPI
「The engagement of Crown Prince Naruhito to Masako Owada,...」
http://www.upi.com/Archives/1993/01/07/The-engagement-of-Crown-Prince-Naruhito-to-Masako-Owada/9968726382800/

1月8日
The Buffalo News (Buffalo, NY)
「A DATE FOR CROWN PRINCE」

1月9日
The Washington Post
「Royal Romance Sparks Vision of Rebound; Japanese Companies See Prince's Engagement Leading to Increased Spending 」

1月11日
Los Angeles Times
「Japan's Economy in Mood for Royal Wedding : Asia: The business sector is hoping the event will spark consumer sentiment and help lift the country out of its current slump.」
http://articles.latimes.com/1993-01-11/business/fi-1124_1_royal-wedding

1月20日
The Washington Post
「Japan's Princess-to-Be Charms in Shy Debut 」

1月25日
people
「Princess Bride:Oft Rejected, Japan's Crown Prince Gets a 'Yes' from a Harvard Grad」
http://www.people.com/people/archive/article/0,,20109655,00.html

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1993年・その3 (にゃーこ)
2016-08-25 10:41:11
文字数制限で2回に分けます。


3月13日
The Washington Post
「NAME & FACES 」

3月15日
The Washington Post
「A Damper On Japan's Royal Wedding 」

3月30日
The New Tork Times
「The Career and the Kimono」
http://www.nytimes.com/1993/05/30/magazine/the-career-and-the-kimono.html?pagewanted=all

4月13日
Los Angeles Times
「Royal Ritual for Japanese Betrothal」
http://articles.latimes.com/1993-04-13/news/mn-22396_1_japanese-sake

5月25日
Chicago Tribune
「'90s Princesshood: What Happened To Happily Ever After?」
http://articles.chicagotribune.com/1993-05-25/news/9305250021_1_crown-prince-naruhito-chrysanthemum-throne-masako-owada

6月3日
Los Angeles Times
「A Bride All Japan Has Advice For : Masako Owada is about to cross the moat forever, going from diplomat to royal wife. She is getting an earful from everyone because both conservatives, feminists wish the prince had picked someone else.」
http://articles.latimes.com/1993-06-03/news/mn-42760_1_masako-owada

6月5日
The Washington Post
「Japan's Wedding Bell Blues; Royal Nuptials Not Sparking Predicted Economic Boom 」
https://www.washingtonpost.com/archive/business/1993/06/05/japans-wedding-bell-blues/3b8c9951-4111-4920-bf4b-a26115a4d2b6/

The Economist (US)
「The princess, the god and the dead fish. (Japan's royal wedding) 」

Ben Hills
「A modern Masako goes backwards in time:The tragedy of Princess Masako. Modern woman collides with ancient dynasty.」
http://benhills.com/articles/japan-unlimited/a-modern-masako-goes-backwards-in-time/

6月6日
The Washington Post
[ With about a thousand VIPs in attendance and a billion or so electronic guests watching on television ]

The New York Times
「The Molding of Masako-san, Japan's Perfect Bride」
http://www.nytimes.com/1993/06/07/world/the-molding-of-masako-san-japan-s-perfect-bride.html?pagewanted=all

The New York Times
「Tokyo Journal; Finally, Prince Finds a Bride: A Harvard Woman」
http://www.nytimes.com/1993/01/07/world/tokyo-journal-finally-prince-finds-a-bride-a-harvard-woman.html

Los Angeles Times
「SHINTO MEETS CHANEL : An Imperial Family Steeped in Tradition Searches for a Clear Identity as Japan Struggles to Update the Myth of Its Chrysanthemum Throne」
http://articles.latimes.com/1993-06-06/magazine/tm-288_1_imperial-family

6月7日
UPI
「When former diplomat Masako Owada is driven over the...」
http://www.upi.com/Archives/1993/06/07/When-former-diplomat-Masako-Owada...



国内の方が時間がかかりそうです。
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都市伝説 (にゃーこ)
2016-08-25 12:52:55
たびたびで申し訳ございません。

東京都知事選挙の折、それまでタブーだった政治家のスキャンダルをあばいたのが鳥越氏だとしきりに喧伝されていましたが、どうしてタブーだったのかというと、やはり国のイメージを貶めるからでしょう。
そのため、下半身のゴシップは書かないという不文律があったわけです。
この宇野元首相スキャンダルが1989年。まさに平成元年、秋篠宮殿下がご婚約になった年です。
まともなマスコミは下半身ゴシップは取り扱わないものでした(だからこそ、そういうことを扱うFOUSとかFRIDAYに存在価値があったわけです)。

そもそも、国に傷がつくようなことは、大事ごとであればあるだけ表には出て来ません。
石原元都知事の四男がオウム真理教に深くかかわっていたことなども、なかったことになっています。
ましてや、都市伝説のようなことは一般人でも口にしないことが暗黙の了解というようなことですから、報道されないことは当然だと思います。

個人的なことではありますが、私は婚約発表から数日後に、学習院とか皇室とか華族とか、そういう類縁の方から、この都市伝説と同じ内容を耳にしました。あまりに驚いたので質問などできなかったのですが、その方の周辺では周知の事実なのだろうということは感じました。
いわく、素直な人なので殿下の要求に否を言えず、そのため避妊もできないのだ、と。だから父親が乗り込んだのだとも。

ほとんどの人にとっては、これが事実として認識されているのではないでしょうか。
そして、まともな人は、雅子様のことだと言われても嘘だということはわかります。年代も異なりますし、雅子様のお人柄からもありえない、なにより、皇太子殿下がそういうことをなさるはずがありませんから。

むしろネットの噂で気になるのは、雅子様を父親である小和田氏が売り込みをしていた、という嘘です。
当時は妃殿下候補にもならなかった、昭和天皇が認めなかった、それを亡くなったあとに強引に進めた、といった嘘を平然と書いているものを複数目にしました。
あの時代のニュースを見ていた人であれば、断りきれずに受諾されるまでのいきさつを知っていますし、だからこそ、その後の産む機会のような人権無視の扱いと病まれたことを痛ましい思いで見守ることになりました。

もしかしたら過去に取り上げられているかもしれませんし、むしろ、ネットのデマゴーグのカテゴリで取り扱った方がいいのかもしれませんが、雅子様の入内までの報道記事を集めて、その流れを明確にすることも必要なのではないかと思います。
海外の記事では、きちんとこのあたりの事情はおさえてあるものが多いですが、国内ではそれこそ配慮から、ご成婚あたりの記事には書かれていません。

秋篠宮殿下のご結婚については、諦めるよう説得のために赤坂御所に呼び出されたのを、朝日新聞が婚約のため、と翌朝にスクープしたのではなかったでしょうか。
そのいきさつについて、どこかに書かれていたような気がします(あいまいでごめんなさい)。
川島教授(改名前なので、当時はこの表記です)は、人間は平等だからネクタイをせずに赤坂御所にあがったのでしたよね。ネクタイは身分ではなくTPOだと思うので、当時も疑問に思ったものでした。
こういう言い方は何ですが、こうした革新的なお育ちでは、上流階級特有のしきたりなどはご存知なくても当然でしょうし、だからこそ、国中が喪に服しているのにもかかわらず婚約会見などできたのでしょう。

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