釈迦如来像や、密教の「胎蔵界・大日如来像」が結ぶ「印」を「法界定印 (ほっかいじょういん)」と言います。
大日如来像でも、「金剛界・大日如来像」は、「智拳印 (ちけんいん)」です。
釈迦如来像は、「法界定印」以外の「印」の仏像も多々ありますが、
法界定印の釈迦如来像もあります。
ただ、この法界定印・・・お釈迦様や胎蔵界大日如来像の「印」は、
「左手の上に右手を乗せる法界定印」ですが、
禅宗の僧侶や参禅者のする法界定印は、逆で、「右手の上に左手を乗せる法界定印」です。
一度、曹洞宗の和尚に、「なんで逆になるんですか?」と聞いたところ、
「いや、わからないです」と答えていました。
ちなみに、真言宗の瞑想法「阿字観 (あじかん)」は、胎蔵界大日如来像と同じく、
「左手の上に右手を乗せる法界定印」です。
阿字観などの瞑想法は、禅宗の「坐禅」とは真逆の禅定になります。瞑想 (観法) と坐禅は、似ているようで全く異なる禅定です。
阿字観や月輪観 (がちりんかん) など、真言宗には素晴らしい瞑想法があるのですが、
菩提寺さんに聞くと、僧侶になる修行が満行して、晴れて僧侶になると、役僧であれ、住職・副住職であれ、日々のお勤めに忙殺されて、それらの瞑想法はしなくなる・・と聞いたことがあります。する人もいるかも知れませんが・・・。
禅宗の僧侶は、役僧であれ、住職であれ、坐禅は随時行っているようです。
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