新・ヒット商品の発想&開発方法

ロングセラー商品やヒット商品のアイデア発想と開発方法を探り、未来のヒット商品を生み出す。

進化するブランド企業①~「日本ケンタッキー・フライド・チキン」

2010年07月02日 | 進化するブランド企業
「フライドチキン」という言葉や骨付きチキンを手で食べる風習もまだなかった1970年7月、三菱商事と米国KFCの折半出資で設立、同年11月に名古屋に1号店をオープンした。
今年で40周年を迎え、売上高986億円、チェーン数1137店に上る日本有数のFFチェーンとなったが、当初3年間は不振が続いた。売上低迷により1、3号店を閉店するなど、コンセプトの変更を余儀なくされた。車社会の米国に倣った大型の郊外立地型店舗を改め、日本の実情にあった繁華街立地型の店舗開発やコンパクトな厨房設備を開発を進めることで、100店舗を超えた4年目から軌道に乗った。
ただ成功の主因は、何より創業者のカーネル・サンダース(本名:ハーランド・サンダース)の「新鮮な素材を使って、心を込めた手作りの食事を提供する」という哲学を忠実に守ったことだろう。国内約320カ所のKFC登録飼育農場で飼育された生後40日目の「ハーブ鶏」、11種の秘伝のスパイス、100%植物油を使い、専用圧力釜で185℃・約15分の高温加圧調理する「オリジナルチキン」は、家庭では味わえないジューシーな美味しさが多くの消費者に受け入れられた。
さくさくクリスピーチキンをトルティーヤでくるりと巻いたツイスターやノンフライのローストチキンなどのチキン関連商品はもとより、”クリスマスはケンタッキー”というクリスマス需要を当て込んだパーティバーレルなどでパーティー需要を開拓したマーケティング戦略も奏功した。
また、店舗前で微笑みかける白いスーツ姿の「カーネルおじさん」の立像設置は、日本発であることも見逃せない。米国視察中に日本KFCの幹部が見つけ、原型を持ち帰り、現在の立像を制作したのだ。フライドチキンに馴染みの薄かった日本で「カーネルおじさん」のこだわりを訴求するのに多いに貢献したことは言うまでもない。
フレッシュチキンを独自のスパイス・調理法で提供する商品設計、日本型店舗開発・店舗設計により、今や105カ国・地域で15500店舗を超えるKFCの中で、日本は米国、中国に次ぐ店舗数にまで成長した。
3度来日した創業者カーネル・サンダースは「日本のKFCが一番気に入っている」と言った。「私の考えた通りのやり方を守り、かたちを受け継いでくれている」ことを評価した。フランチャイズビジネスはマニュアルに基づくシステムビジネスだ。それゆえ理念を忠実に実行し運営管理することが重要になってくる。理念は「FHH&H」(Fresh、Healthy、Handmade&Hospitality」、それを評価・改善する「CHAMPS」システム、1年毎に実技審査する調理ライセンスなどで具現化している。
他のFFとは一線を画した独自戦略は不変だろう。FF業界を越えたFR、スーパー、コンビニなどとの競合は必至である。創業者カーネル・サンダースの想いを大切に「おいしさ、しあわせ創造企業」として挑み続ける。