主人の遠くに住む親戚から、「寒中見舞い」が届きました。
義理の叔父が91歳で昨年11月に亡くなられたとのお知らせでした。
主人だけでもお悔みに行った方がいいのかな?と思いましたが、取りあえず香典を送らせてもらったところ、昨夜叔母から電話がありました。
90歳をはるかに超えておられますが、矍鑠とした綺麗な声で、一瞬誰かと?思いました。
「高齢だったし、時期も時期だったので、家族葬でお葬式は済ませました。どこにもお知らせするつもりはなかったんだけど、息子が知らせたみたいで・・・。」と。
故人は山陰の田舎で、悠々自適、元校長先生、人格も立派な方でした。
昔は、お葬式をいかに立派に、盛大にすることが、故人への一番の供養なんてみたいなところがありました。
葬儀場なんてありませんから、どの家も自宅でお葬式していました。
亡くなられた隣の家は、台所貸切状態、料理を隣保の女の人たちが寄って作っていました。
とにかく、誰かが亡くなるということは、大変なことでした。
村の人が亡くなれば、父は、どんなに仕事が立て込んでいても、忙しくても、お葬式だけは何が何でも参列、母はお手伝いに行っていました。
そうしないと村八分にされる???
というか、それが当たり前だったのです。
まあ、大変なところだわと、子供心に思っていました。
現在は、人口も減っているようですが、葬儀場も出来て、お葬式も簡素化されているようです。

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義理の叔父が91歳で昨年11月に亡くなられたとのお知らせでした。
主人だけでもお悔みに行った方がいいのかな?と思いましたが、取りあえず香典を送らせてもらったところ、昨夜叔母から電話がありました。
90歳をはるかに超えておられますが、矍鑠とした綺麗な声で、一瞬誰かと?思いました。

「高齢だったし、時期も時期だったので、家族葬でお葬式は済ませました。どこにもお知らせするつもりはなかったんだけど、息子が知らせたみたいで・・・。」と。
故人は山陰の田舎で、悠々自適、元校長先生、人格も立派な方でした。
昔は、お葬式をいかに立派に、盛大にすることが、故人への一番の供養なんてみたいなところがありました。
葬儀場なんてありませんから、どの家も自宅でお葬式していました。
亡くなられた隣の家は、台所貸切状態、料理を隣保の女の人たちが寄って作っていました。
とにかく、誰かが亡くなるということは、大変なことでした。

村の人が亡くなれば、父は、どんなに仕事が立て込んでいても、忙しくても、お葬式だけは何が何でも参列、母はお手伝いに行っていました。
そうしないと村八分にされる???
というか、それが当たり前だったのです。
まあ、大変なところだわと、子供心に思っていました。
現在は、人口も減っているようですが、葬儀場も出来て、お葬式も簡素化されているようです。

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