深い朝靄を突いて、水曜市に買い出しに出かけた。
今日は、「双頭の蛇」を餌にした仏像売りの姿は見えない。
そこへ、電力会社の元所長(ラーの亡夫の上司)が声をかけてきた。
「先週、ふたつ頭の蛇は見たのかい?」
彼も“蛇のショー”を見ていたのである。
「いいや、あんまり焦らされるので途中で帰りましたよ」
「儂もそうなんだけど、居残っていた連中に聞いても誰も見てないって言うんだよ。ずーっと長口上ばかり続いて、しまいにゃみんな呆れて帰ってしまったらしい(笑)」
「・・・」
やはり、幻であったのか。
それでも、かなりの人が仏像を買ったというから、大した商売ではある。
そして、誰も怒らなかったというから、山の民は心優しいというのか、のんびりしているというのか。
それとも、幻で終わっても十二分にご利益があったのか。
*
細々とした買い物は任せてクルマの中でネットをつないでいると、ラーが興奮した様子で駆け戻ってきた。
「クンター、カレン族のむかしの食べ物が見つかったよ!すごくでかいんだから。ねえねえ、食べてみる?」
なんだかよく分からないが、とりあえず様子を見に行くことにした。
山奥からやってきたカレン族の男衆が地べたに並べているのは、ごろりとした根芋のようなものである。
「なんだ、芋か」
「違うよ、むかし米が獲れないときや買えないときに村の人たちが食べてたものだよ」
「だから、芋の一種だろう」
「違うってば、もう」
芋に関して通じる言葉は、タイ語のマンファラン(ジャガ芋)と英語のポテトだけだから、しばしばこうした頓珍漢な押し問答が起きる。
「面倒だから、試しに喰ってみよう。いくらだ?」
「キロ5バーツだって」
「じゃあ、真ん中のやつ」
3キロ、15バーツなり。
見かけよりも、ずっと重い。
そして、山の中で掘り出して町まで運んで来る手間ひまを考えると、気の毒なくらいに安い。
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家に戻る途中でよくよく聞いてみると、かつては米の不作に備えてこの根芋(?)が山のあちこちに植えられていたのだという。
ラーも貧しかった子供時代にはしばしば食べたというが、この頃ではすっかり見かけなくなった。
そういえば、時おり村の衆が売り込みにくる根芋はもっと細長くて、日本の山芋のような色と形状をしている。
食糧としては、こちらの方が食べでがあるようだ。
「じゃあ、さっそく朝飯に喰ってみるか」
「それは無理だよ、蒸かすのにすごく時間がかかるんだから」
というわけで、その正体と風味は、まだお預けのままである。
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今日の記事のような次第で、まだご報告できないままです。悪しからず。
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新明天庵さん
貴ブログの“自然薯”の写真、拝見しました。確かに、似ていますねえ。ちなみに、地元ではどんな食べ方をしているのでしょうか?
小生の http://chaocnx.seesaa.net/article/36863433.html
のブログ写真を参照してください。なんとなく似ているような?
どのように食べられたか、教えてください
アドバイス、ありがとうございます。まだ、調理はしておりませんが、なんだか生でも試したくなってきました。しかし、有毒のものもあるとなれば、怖いようでもあるし。さて、どうしましょう?
もっとも、地元の人は、生食するなど、絶対にないとは思いますが・・・。
少しだけ、短冊切りにして、醤油で試されたらどうですか。
ただ、タイの「やまいも」の仲間には、有毒のものもありますので・・・。