【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【バンブーハウス、存亡の危機】

2018年02月28日 | オムコイ便り

「春になって気候がゆるくなってくれば、体調の方も次第に良くなってくるはずだ」

 宿を始める前からわが家に遊びにやって来てくれた読者の一人から、そんな励ましのメールをいただいた。

 5月にはまたタイを訪れて、できればオムコイも再訪したいという。

     *

 その言葉どおり、明け方の気温が20℃前後になったあたりから、よく眠れるようになり、食欲も進んで体調もかなり元に戻ってきたように思う。

 毎朝降圧剤のお世話にはなっているものの、入院時には「非常に危険な数値だ」と言われた血圧も、このところ80〜130台で推移している。

 今後の問題は「脱降圧剤」ということになるが、こちらはなかなかの難題らしい。

 これについてもいろんな方からアドバイスをいただいており、なんとか自分にあった方法をみつけなければなるまい。

     *

 などと、どん底にあった精神状態もかなり前向きになってきた。

 そこで、この半年に近い虚脱状態から抜け出して、すっかり衰えてしまった「脳力」と「筆力」を回復すべく、ここ数日前からは、とりあえず「ブログを毎日書こう」という目標を立てた。

 ところが、今のところは行動範囲も限られ、宿の方も「開店休業状態」(宿泊をお断りした皆様、本当にごめんなさい)で、適当な話題がなかなか見つからない。

 カメラの調子も悪く、以前のようなペースをなかなか取り戻せない、というのが正直なところだ。

 まあ、いつまで続くことやら。

 文章もかなり読みにくいかも知れないけれど、どうかのんびりとお付き合いのほどを。

    *

 ところで、ほぼ5年間にわたって可愛がっていただいてきたわが宿「オムコイ・バンブーハウス」であるが、今や存亡の危機にあることを報告しなければならないだろう。

 番頭さん自身は意欲満々で、ひたすら体力と気力の回復に努め、新旧のゲストとの交流を楽しみにしてはいるのだが、どうも現実問題がそれを許さない気配になってきた。

 というのも、チェンマイ郊外に働きに出ていた長男と次男が家に戻って来て、すっかり居着いてしまったのだ。

 タイは典型的な女系家族で、わが家の母屋は長男と次男の彼らが成人したら外に働きに出て、いずれはどこぞへ婿入りするという前提で建てられている。

 従って、寝室もわれら夫婦とまだ学生だった3男のポーのためのスペースしかない(去年工専の3年コースを終えた彼はいまバンコクで働いている)。

 というよりも、それだけで成り立っている狭い家なのである。

 そこで、いずれバンコクで技術を身につけたポーが戻って来て地元で就職し結婚でもすれば、その頃には私もいい年になっているだろうからして、バンブーハウスを解体して、彼ら夫婦の新居を建てる、というぼんやりとした心づもりがあったのである。

    *

 ところが、想定外の二人が戻って来て、しかもなかなか次の仕事を探して自立しようとはしない。

 たまに仕事があっても、それは花卉の栽培や果物の収穫、新築や改築の助手、田植えや稲刈りの手伝いといった短期作業ばかりで、実入りも少なく、すぐに戻ってくる。

 それに、期待している婿入りの話もなかなか実現しない。

 近所に住む数人の甥っ子などは、まだ20代の初めで隣村などの富裕家庭の娘に見初められて「逆玉の輿」に乗り、すっかり太っては新車などで里帰りしてくるというのに、ウチの二人は食費すらも入れることができず、たまに母親に煙草代や酒代をねだったりする始末。

 むろん決まった寝場所もなく、今は空いているポーの部屋で図体ばかりでかい二人がゴロゴロ、ウロウロするのも鬱陶しい。

 その頃に病を得た私は二人を叩き出す気力もなくなり、閉鎖状態のわがバンブーハウスを彼らの仮の寝場所として与えることになった。

    *

 ところが、何を勘違いしたのか、彼らは小屋内の配置を勝手に変え始めた。

 気づいてみれば、甥っ子や彼らの友達も泊まり込むようになり、別にしてあるゲスト用の寝具などにも勝手に手を付けている気配が見えて来た。

 今も村の風習として残っている「若衆宿」を得たようなつもりでいるらしい。

 当然、竹の床やドアまわりの傷みも激しくなる。

 年末年始になってゲストが続き、私も体力と気力を振り絞って復原に努めたものの、彼らを叱りつけていくら手伝わせても、それは「日本人基準」にははるかに届かない。

 女将が行う「掃除」にしても、同列である。

 結局のところ、番頭さんが実際に動かなければとてもゲストなど迎えられる状態には戻らないのである。

     *

 かくして、年末年始のゲストはかろうじて迎えたものの、ゲストを送り出して数日も経つと、元の木阿弥だ。

 ゲストがあるたびにこれを繰り返していては、本当にこちらの身が持たない。

 まあ、ゲストが来るたびに親戚や友人の家に寝場所を移さなければならない彼らも大変には違いないが、もともと「家のことは3男のポーに任せて自立する」と宣言して家を出たのだからして、それはやむを得ない話だろう。

 食費でも入れるならともかく、それもできないくせして大喰らいするだけの彼らこそ、日本でいう「穀潰し」の名にふさわしい。

 ちなみに、就職して1年足らず、月給が1万バーツそこそこの3男は、部屋代も自分で払いながらわずかの仕送りを欠かさない孝行ものだ。

    *

 かくして、バンブーハウスを続ける条件としては、この「穀潰し」二人に働きに出てもらい、早くどこぞに婿入りしてもらうしかないわけなのだが、やはり、生まれ育って友達もたくさんいる村は暮らしやすいのだろう。

 それにタイには「故郷に戻りさえすれば何とか喰える」という日本にはない豊かさ(自給率の高さ)があり、これが甘えにもつながって、いい年をしてぶらぶらしている若い衆も珍しくはない。

 能天気ゆえに、いくら理を尽くして話をしても、馬耳東風。

「そのうちに」と言いつつも、動く気配はまったくない。

 それどころか、間もなく受給になるはずのわが年金を当てにしている風すらもある。

 こんな穀潰しどもに、わが貴重な年金など1バーツも与えてなるものか。

 そこで番頭さん、66歳の誕生日を迎えるこの5月を機に、宿を閉めて家出しようかと思案しているところなのだ。

    *

 やれやれ。番頭さんも、やっとのんびりした年金暮らしか。

 そう思う読者もいるだろうが、現実はそう甘くない。

 なにせ番頭さん、生涯を通じて会社勤めをしたのは3年にも足らず、年金などは雀の涙だ。

 家出しても、住む場所もない。

 チェンマイなどに部屋を借りる余裕もない。

 実際のところは、女将と力を合わせて宿を続けていかねば、とてもやってはいけないのだ。

     *

 だが、母親としては、いくら出来が悪くても、腹を痛めた息子どもを無下に叩き出すことなどできはしないだろう。

 当初は「成人したあいつらの食い扶持など構うことはない」などと強がっていたものの、本音のところでは同居を喜び、なおかつ望んでいるような気配も見える。

 となれば、一体どうするのか。

 やっぱり、66歳にして家出をするしかないのか。

 ああ、いかん、いかん、堂々巡りだ。

 なんだか、顔がぽっぽと熱くなってきた。

 け、血圧、再び急上昇か!?

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2 コメント

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お久しぶりです! (朴真珠)
2018-02-28 16:54:48
ご無沙汰してます。久しぶりにブログ拝見しました。
たまーにラーさんやオムコイのことを思い出したりしてますよ。
相変わらずオムコイはのんびりなのか、ドラマチックなのか、

読み手はおもしろいのですが、、
体調心配ですね、、息子さんたちも、、

またお伺いしたいと常々思っていたのに、なんだか、閉まったら残念ですよ。
押しかけますけど、私。笑

日本は寒い寒い冬が過ぎ、もうすぐ春が来そうです。
また会える日までお元気で!
返信する
懐かしい! (クンター)
2018-03-01 12:56:21
真珠さん

 戻りのバスの時間にぎりぎりで、手を握り合ってお別れしたことを懐かしく思い出しています。時の流れは早いですね、特に年寄りには(苦笑)。オムコイも、そろそろ春の気配。お元気で!
返信する

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