これを奇縁というのだろうか。
一昨日昼過ぎのバスでオムコイにやって来たNAMIさん。
朝のバスで去ったみきさんと同様に、福岡の田舎で改築された農家に住んでいるのだそうである。
そして、山岳ガイドの旦那さんと一緒に畑づくり、米づくりなどに挑んでいるという。
どれくらい田舎かといえば、福岡なのに積もるほどに雪が降る。
畑のまわりには、猪よけの電気ショック鉄条網が張り巡らしてある。
日本を離れる直前、散歩中に新しく飼い始めた犬がこの鉄条網に触れ、ショックで山の中に逃げ込んで今も行方しらずのままだ。
自慢じゃないが、わが村には猪なんぞという前世紀の遺物のような荒々しい獣はいない。
せいぜい、放し飼いの黒豚が垣根を破って畑や裏庭を荒らしにくるくらいだ。
時おり、今世紀型の気品ある大蛇やキョン(小型の鹿)やムササビや山猫などを仕留めて食うことはあるけど・・・。
なんぞとそれぞれの「ど田舎ぶり」を張り合っていたら、NAMIさんの勤務先である福岡市内の学校にはクルマでわずか1時間で行けるのだという。
これも福岡では大変な長距離通勤なのだろうが、こっちはチェンマイまで3時間だからなあ。
町の学校だったら、バイクで5分で行けるけど・・・。
まあ、タイ式基準でいえばどっちもどっちだ。
ここは「福岡のオムコイから来ました」という彼女の自己紹介を素直に受け入れることにしよう。
なにせ、バス停のそばにふたり一緒にいたら、バスの運転手と車掌に間違えられたくらいなのだから。
*
しかし、このオムコイ人、辛さにはあんまり強くない。
朝食はナムピックプラー(魚入り唐辛子味噌)を供したのだが、あんまり辛くない大唐辛子を使って辛さを和らげた。
それでも、反応はいきなりカレン語で「オイテテ!(おいしい)」
訊けば、すでに私の本も読んでくれたのだそうな。
食後に焚火を囲んでくつろいでいると、「町の郡役所で寝具の支給がある」という情報が飛び込んできた。
冬季には寒さが厳しくなる北タイでは、最低気温15℃以下が3日続けば「寒害地区」とやらに指定して寝具や防寒着を支給する制度があり、わが村ではすでに12月の初めに支給が終わっている。
どうしたのかと思えば、今年は例年にない冷え込みということで赤十字社による緊急再支給ということになったようだ。
福岡のオムコイ人も、すぐさまこれに反応した。
その瞳の燃え具合を見れば、オムコイで強奪した寝具を福岡に持ち帰る気構えなのに相違ない。
そう判断して、ラーや村人と共に村の世話役のクルマ、むろんピックアップの荷台に乗り込んでもらった。
こちらは息子を学校に送るため、バイクで町へ。
さて、すさまじい争奪戦が始まっているかと思いきや、村の衆は会場の入り口前にたむろして用紙に名前を記入している。
会場に入ると、舞台の上に掛け布団が山と積まれており、用意された椅子をびっしりと人が埋め尽くしている。
ラーに訊けば、山岳民族が対象だった筈なのに町のタイ人まで詰めかけて支給数が完全に足りなくなってしまった。
そこで、遅れて着いた村の衆は名前を記入して後日の支給を待つということになったようだ。
やれやれ。
NAMIさん、実に惜しいことをしましたねえ。
*
午後は町の寺を詣でたあと、NAMIさんは絵葉書を求めて生徒たちへ手紙を書き始めた。
郵便局で訊けば、日本への到着は1週間ぐらいだという。
本人の戻りより数日遅れになるが、オムコイから投函された絵葉書に子供たちはきっと目を輝かすだろうなあ。
晩飯は、カレン料理の代表格ゲーンカブワッ(豚骨ベース緑野菜煮込み粥状スープ)。
朝と同様に辛さ控えめなのだが、これまた「オイテテ!」
嘘でも、こうした素早いリアクションは嬉しいものだ。
食後は、わが宿唯一の暖房器具である焚火を囲む。
今日も快晴で、日中は暑いくらいだった。
満天の星がきらめき、西側の山の端にはドキリとするほどにシャープな輪郭を浮かび上がらせた下弦の月。
翌朝、彼女は豪華オンボロVIPバスを乗り継いで「福岡のオムコイ」まで戻ってゆく。
ん?
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