が、今回新たに主張している第1章は選挙目当てのリップサービスの感が強く、それが全体の価値を落としている。。
そこでは、選挙のために農政を語っているのだが、農政を語るなら、今政治家として最も真剣に考えなければならない財政再建や、防衛・安全保障も語る必要がでてこよう。
財政の裏付けのある提言かどうかを聞きたいもの。
第2章以降の説得力は、おそらく、歴史観とか、意識改革とか、政治哲学とか、比較的ロングタームで物事を捉えているところからきているのだろう。わが国の将来構想として理解しやすい。
しかもこれらはかつて著した『日本改造計画』とそうかわるものではない。この方確かに「ぶれない」価値観を持っているようだ。
それが、戦後のわが国の構造を背景とし、「構想」を「実際の政策レベル」に具体化しようとすると、「ぶれ」が出てくる。
特にいかがかと思われるのが「第1章 選挙の重さ」だ。
この章では、農政などという具体的な政策で選挙を語っている。
この本、政策レベルに価値があるのではなく、歴史観や認識に価値があるのだが、ここで農政などという具体的政策を語るなら、財政や社会保障、防衛等にコミットメントしないのはなぜかとなる。
「政策論争がないのが日本の政治をダメにした」といってるのだから、論争を期待して語ってるのかもしれないが、そうなればなるほど、政策を語るべき。しかし、この本、本来の出版意図は歴史認識や社会認識を伝え、日本人の意識改革を目指しているのだから、構想レベルにとどめおくべきで、個別政策、特に農政を語るべきではなかった。
それを書いてしまうと、小沢さん、安全保障や財政的認識が希薄で、田中角栄のばらまき政治が念頭にあるとしか思えないのだ。田中角栄ゆずりの、「どぶいた選挙こそ民主主義の原点」とするのはわからなくもない。近年の政治家が、官僚上がりや松下政経塾出身の出身者が増え、進学校のホームルームのような雰囲気になってしまい、生身の国民から遊離していることを考えれば、特に民主党の議員に向かって、党首としてその状況を憂え、選挙に勝つためには必須事項と、檄を飛ばすのは、よく理解できること。
しかし、そこで何故農政が語られなければならないのか?
なぜ「農民に不足払いを」となるのか?
もっとも、「農業なんて12兆円ぐらいなものだから、国で全部面倒見ても良い」と、小澤さんかつて言ってたのだから、高邁な「志」の元に「不足払い」を言ってるのかもしれない。そうであれば、日本国営農業は如何に我が日本を豊かにするか?が問われなければならない。
しかし本当にそうなのか?
なかなかそうした展望は見えない。
見えるのは、国際的な協調も何もなく、日本流のやり方で、農民に補助金をばらまけば良いという、かつての自民党の兼業農家保護のやり方。
来期参議院選挙一人区目当てのリップサービスとしか思えない。
はからずも、「第1章選挙の重さ」で農政を語るあたりにそれが出てしまっているのでは。
この叙述は、大衆迎合、改革逆行、志の低さ、と、この本の趣旨に反するものになってはいないか。
しかし、兼業農民保護を必死にやってきた全国農協中央会の専務ですら、自民党公認で参議院選挙に出る羽目になっているのだから、如何に付け焼き刃の政策かが分かろう。
なかなか民主党の政策が良いとは、彼らですら言えないのだ。
小沢さんにここまで書かれると、選挙に勝つためには、どんな政策であれ票につながるものを持ってきさえすればいい、という、小泉劇場型選挙とは違った形の大衆迎合政治のような気がしてくる。
果たして有権者は、兼業農民保護論者にどれだけ票を入れるのだろうか?私はあまり期待できないと思っているのだが。
ちなみに、小沢農政に関しては、なぜダメなのか機会があれば書こうと思うが、この『小沢主義』、どうも10数年前の『列島改造計画』の域を出ず(それはそれでいまだに通用するところがすごいのだが)、小沢党首が牽引する民主党政治とは、国民にとってもっとも関心ある防衛や安全保障、さらには財政再建や社会保障の問題をカットし、票田農村への補助金のばらまきを主張する政治を語っているようなのだ。その様な政治家として小沢さんや民主党を見ると、なんと旧態依然とした政治家であり政治家集団か。それは今自民党で人気のない谷垣さんと同じ構造になっているのでは。
小沢さん、あるいは民主党さん、「そうではない、21世紀を作るんだ」というなら、この点への説得力ある説明をお願いしたいところだ。それができれば、次は民主党が勝利するに違いない。
コメント一覧
ikkann
ドラ猫
最新の画像もっと見る
最近の「政治 行政制度」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2020年
2019年
2014年
2004年
人気記事