今日の一貫

コメの先物

東京で、午後から「先物市場について」

わが国は、堂島など、先物の先進国であったにもかかわらず、コト穀物に限っては、シガゴ等、外国に遅れを取っている。

また、先物一般も、さらには株も、わが国の勤勉を旨とする国民には、とりわけ受けが良くない。
リスクを日常的に感じないと、こうした仕組みは機能しないのだろう。

東京穀物商品取引所も、コメの上場に必死。

荏開津委員会の結論は、しごく妥当と思うのだが、業界の、信用できる、できない、といった思惑がついて回っているよう。
耐震偽造によって、民間の、建築確認、検査機能が問われている。
民の倫理観が問われはじめた。
こうしたことは永遠に続くのであろうが、それでも、という意見がなければ、コメ先物の未来も開けない。

いくつか思ったことがある。論点をあげておきたい。
コメの先物市場について。

①我が国にとってコメ先物がないことに関する論点
コメの先物市場を我が国において開設し、取引を活発にすることが、我が国にとってどれだけメリットがあるのかないのかの検証が必要。
国際的には、シカゴ相場はもとより、東アジアの各国にコメ先物が開設されていると聞くが、我が国はそれに遅れをとることになるのか、ならないのか?
もし遅れをとるとしたらそれは我が国にとってメリットなのか、デメリットなのか、どちらでもないのか?


②コメという商品に関わる論点
コメ政策は、売れるコメ、市場原理へが原則。価格形成センターの価格は市場原理と考えるのかどうか?市場統制と考えるのか?
先物を認めると、その点を明確にしなければならない。両者が一致するためには、価格形成センターにはまだまだ改革しなければならないことが多いのではないだろうか?

しかも、コメ政策は、担い手経営安定資金も、稲作経営安定資金の基準価格や、WTOで比較する価格も、すべて価格形成センター価格に準じているのが実情。
もし、本来の市場と価格形成センターの価格が実勢を反映しないとするならば、いま先物を入れると、コメ政策の体系が成立しなくなってくる。

しかし、それが成立しなくなるから、先物が悪いといってしまっていいののだろうか?
先物が良くないのか、コメ政策の仕組みがおかしいのか?吟味する必要がある。

③先物違和感という論点と経済ツールという観点
先物という仕組み、それ自体に対しては、国民的違和感、がある。
そうした違和感に基づく感情的対応は理解できるものだ。

ただ、違和感があるからといって経済的ツールとして抹殺していいとはならないのではないか。
違和感に基づく、主張で、納得できる主張は一つもなかった。
「コメは神聖で、それが先物に利用されるのは許せない」といのは感情論としてまだわかるが、「リスク管理に人員を割くよりも、安定供給に一生懸命」というに至っては、なにをか況や、反対のための反対としか思えない。
通常は、安定供給するためにリスク管理をするものだが?

そうした意味では、現物市場の不備を補う形で先物を利用したいという卸の本音は経済活動としては妥当な意見と感じた。

経済活動をしていない人は、入れるもよし、入れないもよし、つまり是々非々なのだ。

④先物運営主体に関する論点
現物市場がしっかりしていれば、仕手戦などのマイナスも防げる。東京商品穀物取引所が不安だというなら、開設者に政府が入ることも考えてもいいのではないか?
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