バンマスの独り言 (igakun-bass)

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北陸の名刹のお話 1 「瑞龍寺」

2013年12月01日 | 他の興味や旅行記
季節のせいか、陽気のせいか、微妙にセンチメンタルな気分になっているので、ちょっと昔の思い出話をします。

このブログの「僕のニューヨーク生活」シリーズを読んで頂けた方はご存知のように、僕はあのアメリカ東海岸地域での数年に及ぶ生活を終えた後に帰国をし、アメリカでの人脈を基礎にして貿易の会社を立ち上げ約18年間にわたり精力的に活動したのでした。その間も数か月の短期滞在を含めて何度も渡米しましたが、その会社を閉じた後はつてを頼って2年弱の間、サラリーマン生活をおくりました。

おそらく自分の人生において最初で最後であろうこの勤め人経験では、なんと「営業部長」などという肩書(「社長」から降格ですけどね)をもらって、地元の東京都内の他に宮城・山形・新潟・富山・石川・福井を担当地域にして商売をしました。当時は月の半分以上を「出張」に当てていましたからこれら6県の主だった場所にはかなり詳しくなりました。電車で主要駅まで行き、予約済みの駅レンタカーを駆使する営業です。

自分で言うのもなんですが、僕の営業成績(売上高)はすぐに前任者の2倍を超え、会社からは過分な出張経費を頂き、やること(仕事)はさっさと終えて余った時間を出来るだけ作り、大きな声では言えないけれど「観光」もずいぶんしちゃったわけです。営業なんて売上さえとれればあとは遊んでいたっていいのです。僕はそれを実践しただけのことですが・・・。

前置きが長くなりました。

思い出せば上記の各県でお気に入りの場所は数々出来ました。事細かにはとても書けませんが、例えば、
仙台を訪れた時は必ずレンタカーで行った「ニッカ・ウイスキーの宮城蒸留所」と「定義如来・西方寺」は定番としても、そこから作並温泉を越えてさらに車を走らせて山形の「山寺:立石寺」(芭蕉の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」でおなじみ)までは四季を通じてよく訪問しました。当然、真冬も出張はあるので、車が走行できる範囲で営業・観光をしていましたが、一度、仙台郊外の温泉地:秋保温泉付近ではホワイトアウトの状況に遭遇し、必死で逃げ帰った経験もありました。

しかし今日お話したいのは富山県の高岡市のお寺のことです。
富山での仕事は市内にいくつかの顧客がありましたが、余った時間に「おわら風の盆」で有名な八尾の町に十回程度行っただけで、宿泊はすべて隣の高岡市ででした。定宿もでき、最高に気に入った焼鳥屋も見つけ、とにかく出張の疲れを癒すのはこの街と決めてしまっていたので、そうなれば当然この地で最も有名な場所:瑞龍寺に足しげく通ったのでした。

お寺マニアの僕は訪問する先々で由緒あるお寺を訪れるのを趣味としていますが、京都や奈良の有名寺院以外の「お気に入り」も各地にかなり多くあります。その中で北陸といえば高岡の瑞龍寺(ずいりゅうじ)と福井の永平寺でしょう。

瑞龍寺を初めて訪れたのは夏真っ盛りの昼下がりでした。高岡駅から歩いて行ける所にこのお寺の巨大な伽藍(がらん)が整然かつ清楚な趣で建っています。汗を拭き拭きサルスベリの街路樹と蝉しぐれの中を進んで行くとまずは総門があります。そこをくぐると目の前に大きな山門が現れます。

その山門を抜けて伽藍を見渡すと芝生が広がる庭の中央に威厳に満ちた仏殿が建っています。
総門・山門・仏殿・法堂(はっとう)を一直線上に配置し左に禅堂、右に大庫裏(おおぐり)を置き、それらを周囲300mほどの回廊が結ばれています。
非常に整然とした美しさを北陸では「伽藍瑞龍(がらんずいりゅう)、規矩大乗(きくだいじょう)」と言って伽藍は瑞龍寺、規矩(=規則)は大乗寺(金沢)と称えています。



現在、山門・仏殿・法堂は富山県で初の国宝に指定されていますが、これらが美しく建ち並ぶ姿は僕の好きな「お寺の姿」ナンバー3に入るものです。

芝生の中央の通路を通り伽藍の中心となる仏殿に入ります。堂内の迫力と言ったら特筆ものです。高い場所にある須弥壇には釈迦牟尼仏を中心に左に普賢菩薩、右に文殊菩薩が祀られ、その須弥壇へ続く階段の最上段の中央には「木目の節」があってこれは釈迦の目を表しているのだそうです。そんな話を案内役の僧侶から聞いているうちに、僕の耳はその空間の良質な音響効果に文字通り耳を奪われました。おそらくこれは読経や問答の際に重要な効果を与えるものだと思えました。

仏殿内 須弥壇

仏殿の裏に抜けると瑞龍寺で最も大きな規模を誇る法堂に入ります。内陣には仏壇がありそこには巨大な位牌が安置されています。
ここにはかつて徳川家康にその生涯を翻弄されつづけた加賀二代藩主・前田利長が眠っています。ここの畳の大広間では腰をおろしてのんびりとすることができます。
初めて行った夏の日のうだるような暑さもここでは静けさとともに堂内を吹き吹ける涼しい風が心地よかったのを強烈に覚えています。

法堂内部

真夏のこの日は観光客の姿もほとんどなく、見学者は僕を入れてたったの6人でした。案内僧もそれにほっとしたか、ゆっくりのんびりと雑談を交えながら僕らの質問にも丁寧に答えてくれました。
何と言っても富山県屈指の名だたる名刹ですから、観光のピーク時にはとてもこれほどの静寂は望めないでしょう。この日を最初にこのお寺には現在まで四季を通じて8回ほどおじゃましました。
どんな時期に拝観してもその伽藍の素晴らしさ、禅宗のお寺の張り詰めた厳しい空気感を感じましたが、夏の蝉しぐれ時と冬の厳しい積雪時は拝観者には辛いですが、雰囲気は最高に感じられました。

東京は12月に入り晩秋から冬の到来を感じさせる空気に変わりました。
日中は穏やかな日が多いですが、16時を過ぎる頃から夜に向かって全速力といった感じですぐに薄暗くなります。実は僕はこの時間になると途方も無く寂しい気分になります。たぶん冬になってしまえば慣れてしまうのでしょうが、今はまだダメ。夕飯までの夕方はかなりブルーです。

さて、そんな僕が今一番行きたい所はどこか?と聞かれたら間違いなく「瑞龍寺」と答えるでしょう。なぜだかは説明が難しいのですが、ここ数日間ずっと思っていました。
なので、日本の政治家にたくさん言いたいことはあるのですが、あえて思い出話としてこの北陸の古刹のことを書かせてもらいました。

このお寺は禅宗の曹洞宗です。
中ほどで書きましたがもう一つ、北陸のお寺で好きな「永平寺」も同じ曹洞宗ですね。
あのお寺は「厳しい雲水たちの修行の場」として、また日本曹洞宗の大本山としてその名を全国に知られるお寺ですが、近いうちにこのお寺の思い出話もぜひ書きたいと思います。

永平寺で20年間も修行をして(居座って)(普通は1~2年間と聞きます)現在は青森の「恐山」の院代(副住職)をしている南 直哉(じきさい)さんの著書のお話も含めて。

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2 コメント

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瑞龍寺 (もののはじめのiina)
2016-04-25 09:58:00
瑞龍寺を20年ほど前に何度に訪ねていますから、国宝になり、なにやら誇らしいです。
法堂内に障子や礎石から明かりを取り込む陰影が美しかったです。

回廊が物置のように雑然とほこりまみれでしたが、整備されて禅堂を見て。富山を去りました。

明日にご案内する瑞泉寺も見落とせない寺です。

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おっしゃるとおりです! (バンマス@発行人)
2016-04-30 14:58:32
>もののはじめのiina さま

コメント、ありがとうございました。

お話のように「回廊が雑然と・・・」は僕も感じていたことでした。曹洞宗は何かと厳しい作法があるのですが清掃作業という修業はどうなっているのか?とちょっと思いました。
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