バンマスの独り言 (igakun-bass)

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北陸の名刹のお話 2 「永平寺」

2013年12月08日 | 他の興味や旅行記
北陸の各地域に出張をして営業の仕事をこなしていた頃のお話の続きです。

仕事のことはともかく、出張時に名所・名跡を訪ねることはとても楽しいものでした。
担当する一都六県を一気に周るというキツイことはしないで、宮城・山形方面と新潟~福井方面の二本立てで出張計画をたてていました。

特に僕は上越新幹線に乗るのが好きでした。上野駅を出発して高崎駅までは主に高架上を走るのですが東京から埼玉に入る時の見慣れた景色(自分の住んでいる所も遠景で見えたり)にちょっとおセンチな旅立ち気分になったり、冬の時期に高崎駅を過ぎたあと上毛高原駅へ至るトンネル部(大清水、中山トンネル等)を超えた時の天候の激変(冬場は晴天の関東平野から三国山脈を通過すると突然曇天や降雪の雪国風景に変わる)に思わず"お~っ!"て感動できるからです。

上越新幹線で越後湯沢駅に降り「ほくほく線」に乗り換え日本海に出たり、長岡・新潟で営業をしてから北陸本線で日本海の沿岸をひたすら走って富山・福井方面に行ったりしました。
年間を通じて寂しい雰囲気のある日本海の海岸沿いの風景を見ると何やら演歌気分になるのが不思議でした。また天気のいい日には立山連峰がすっきりと見えたりして気分爽快。目まぐるしく自分の気分が変わるのもまた好きでした。

そんな旅で高岡の「瑞龍寺」と共に出来るだけ足を運んだのが福井の「永平寺」でした。
このお寺の名前は有名ですから、365日淡々と続けられる厳しい修行を行なっている雲水さんがいる歴史のある名刹、だということはご存知でしょう。
福井駅から電車とバスを乗り継いだり、直行バスを利用したりしてこのお寺のある山奥へと入ります。


鎌倉時代、「禅」は時の権力に寄り添いながら隆盛していましたが、その禅の先駆者である僧・栄西(臨済宗開祖)は京都で「建仁寺」を興し、当時の有力宗派や権力者の力にたよる部分が良くも悪くも多々ありました。そこに一時身を寄せていた僧・道元は「坐禅こそ仏教における最上の教え」と考え独立独歩の道を選んだのです。

道元は他宗による幾多の妨害にも遭いながら、ついに越前・志比庄(しひのしょう)に移り「大仏寺」を建立し後に寺号を「永平寺」と改め、これを理想の道場としたのです。その後も日本における禅の中心として発展しましたが、明治維新の仏教を取り巻く環境の悪化も乗り越えて、横浜鶴見の「総持寺」とともに曹洞宗を確立するに至りました。


さてこの寺を初めて訪れたのはだいぶ前になりますが、それは夏でした。
バスを降りると門前町があり観光地らしい賑わいを見せています。そしてその向こうの木立に古びた色合いの伽藍が見え隠れしていました。
テレビで見ていたあこがれのお寺が目の前にある! それはそれは感動ものでした。
以後、雪深い時期を除き、折に触れて訪問することになりました。

堂宇は主に山の斜面に貼りつくように建てられて、中に入れば階段の多い回廊がまず目に入ります。
ピカピカに磨き上げられた鈍い光沢を放つ木造の回廊や柱、床、その他もろもろは、いつかテレビのドキュメンタリー番組で見たあの雲水たちの毎日の床の拭き掃除の結果と思うと、自分も今あの厳しい修行の場所の中にいるんだなと、目で見、指で触れて実感したのです。

静かな山奥に立つ坐禅の根本道場。辺りの空気は澄み、その静けさは絶品です。僕はゆっくりと回廊を上り下りし、瑞龍寺と同じ配置の堂宇を見て回ります。僕ら観光客が雲水の厳しい動きや坐禅を組む姿を垣間見ることはできませんが、ひとたびよそ者がいなくなればここは厳しく激しい修行の場の表情を見せるのでしょう。


重厚で威圧感のある永平寺山門の両柱にはここは厳しい修行の入り口であることを示す聯(れん)が掛けられています。


 家庭厳峻不容陸老従真門入(かていげんしゅん、りくろうのしんもんよりいるをゆるさず)


 鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来(さやくほうかん、さもあらばあれぜんざいのいっぽをすすめきたることを)




 家庭厳峻不容陸老従真門入:永平寺の修行は厳しい。どんなに偉い人であっても、真に発心修行をしようと思って上山した者以外は、この山門から入ることは許されない。

 鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来:しかし真に発心修行、弁道を望んで来ている者には、いつでも永平寺の山門は開けっぱなしであるから、どんな者であっても永平寺で受け入れてくれる。



このように「永平寺の修行は峻烈なものであるが、求道心のある者は自由にここを通るがよい」と意味していて、そのその厳しくも広く迎えようとする道元の心が伝わってきます。

昔、NHKの特集番組で各地からこの寺に修行に来る寺院の子弟を中心にした若者がこの山門の前で古参雲水から言葉の暴力にも近く体罰にも似た厳しい入山のための長時間に及ぶ厳しい対応を見ていたので、初めて僕がこの山門の前に立った時、仏教とはあまりピースフルではないな、と実は思ったものでした。

永平寺を扱った番組や書籍には厳しいというよりも「いじめ・体罰・暴力」が修行の名の下にはびこっているのではないか?との疑念をもたざるを得ない表現が出てきます。
僕はここ永平寺の隠されたこの事実に今もこの部分だけは「???」を禁じえないでいます。

ただし、ここでの生活のリズムは恐ろしいまでに定型化していて、一度このリズムを会得すれば他に余計な事を考える余裕すらない・・・言い換えればこんな楽な生活は無い・・・という、「ひたすら言われたこと、決められたことを文句も言わずに、疑問も持たずに、実行してゆく」という世界のようです。

入山当初の雲水は食事の栄養状態が悪いせいで、カッケなどの発症がみられ、長時間の重労働や坐禅のせいで肉体の我慢も限界までいくそうです。
そしてその間、先輩からの激しい叱責も加わりそれはそれは辛い修行生活だと間接的に聞いています。

先ほど少し書きましたが、僕は厳しい修行も良いけど古参修行僧からの理不尽な強要や仕置きが平和で非暴力を標榜する仏教の基本理念とうまくリンクしないと思え、この寺を訪れるたびに考え込んでしまうのです。

「どんな社会でもたいていの悩みの種は競争と取引から生まれる」と聞きますが、修行僧の世界にはこれがありません。ルールのみがある生活ですから余計な思いは感じられないのです。

だから修行者が一度この生活にどっぷりと慣れてしまうと、映画「ショーシャンクの空に」で観たように外の世界に戻る(刑期を終えてシャバに出る)ことが恐ろしくさえなるのではないか、言い換えれば元いた社会に順応できるのか?というどうでもよい心配が起きるぐらいです。

それほどの孤高を保つこの名刹を訪れるたびに思うのは、仏の世界とシャバの世界のとの果てしない「かい離」です。

人はひたすら何も考えず坐って仏を感じ、仏に成るという恐ろしくシンプルな考えを一生ずっと持てる人は、つきつめれば本当に幸せな人なのかもしれません。

それを少し前まで社会人だった普通の人々が日々淡々と実践している山奥の不思議な場所・・・これが僕にとっての「永平寺」なのです。

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