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今まで聴いてきた膨大な音楽の中でも特に大好きでかつ思い出深く、そして自分の音楽スタイルやライフ・スタイルに少なからず影響を与えた曲を一曲づつ紹介していくシリーズの10回目です。
今日の曲
TOTO(トト) 2nd.「ハイドラ(Hydra)」より「セント・ジョージ&ザ・ドラゴン(St.George And the Dragon)」(1979)
以前こちらで書いたことがありましたが、僕は大学を卒業してからまもなくして、当時としては比較的新しいビジネスであった「音楽(練習)スタジオ」の経営を始めました。
1979年のことです。駅の改札口から徒歩1分という立地の雑居ビルの3Fに当時のお金で総額800万円の工費で作りました。営業は朝9時から夜10時まで。年中無休でした。
開業時より連日ほとんど予約で一杯でした。そんなこともあって投入した資金は予定の半分以下の期間ですべて回収でき、その後からの利益はしっかり貯めて、もうすでにお話したニューヨークへの生活へと転身したのです。(あの頃は実に朝から晩までよく働いたなー)
スタジオ業はお客にスタジオ設備を時間貸しで使ってもらう商売ですので、機材の保守点検・清掃・予約受付などの業務の他は自分の時間がけっこうあるわけです。そこで僕が考えたのは、必要なバンドさんにコーチをしてあげることでした。もちろん「営業」の一環ですのでコーチ料はもらいません。あらかじめお客の演奏したい曲目を聞き出しておいて、その曲が完成(人前で聞かせられる程度まで)するまでスタジオ内に入って各パートさんにアドバイスをするんです。
そんなコーチの依頼が年に10バンドほどありました。今のようにCDやMP3プレーヤーなどが無い時代です。時には彼らが持ち込むカセットに録音された曲の楽譜を作ってあげてコピーの手助けもしてあげました。(この頃、レコードから譜面を起こすバイトも依頼があればやっていました。当時、大手が出版したDパープルの「ハイウェイスター」のギターソロの採譜は僕がやりました)
で、その頃のバンドさんの5分の1くらいがTOTOをやりたいと言ってきました。
なかでも人気だったのはアルバム「ハイドラ」からの「99」とこの「St.George And the Dragon」でした。
僕の好みはもう絶対に「St.George And the Dragon」だったので特に気合を入れてコーチしたものでした。ご存知のようにこの曲はボーカルのキーが高いのです。平均的日本人の音域とは1オクターブほども違うこの音域は一部の外国人ボーカルにはそれほどでもないようですが、経験上日本人の声帯にはちょっぴりシビアなんです。俗にいう「キーが高すぎる」曲なわけです。
多くのアマ・バンドのボーカルはこのキーをクリアできません。しかしキーを下げると他の楽器の音色に悪影響がでるし、鍵盤を含む演奏時のポジショニングにも相当な困難を与えるという問題に直面してしまいます。
僕はこの曲をやりたいと言うバンドさんにはやんわりと「降参」を勧めていましたが、いくつかのバンドさんがこの壁を乗り越えてライブのセットリストにのせたんです。
その1つが、忘れもしない早稲田大学の女性バンドでした。みんなピチピチした若いきれいなコばかり。ボーカルのコはこの曲を歌っている(TOTOの)ボビー・キンボールばりの発声と声量でこの難曲をみごとに歌ってみせてくれました。
あまりにこの女の子バンドはうまかったので、スタジオの経費からライブを主催し、ステージを踏ませてあげたくらいでした。
そんな思い出も残っている「St.George And the Dragon」
歌のボビー・キンボールのハイトーンも見事ですが、作曲のキーボーディスト:デヴィット・ペイチの作曲・アレンジの能力にはいまだに心底感心します。また目立たない存在かも知れませんがベースのデビット・ハンゲイトのライン作りもこのアルバム全体にわたって秀逸です。
さすがに名うてのプレーヤー揃いのこのTOTOというバンド。
曲のところどころにキラっと光る極上のセンスにはもう完全に脱帽です。
またリズム処理やコード・ワークの贅肉を取り去ったさりげない作りには、最小の動きで最大の効果を得るノウハウがびっしりと詰まっています。
この曲からは80年初頭のアメリカン・ロックが70年代ロックから変貌していく課程をしっかりと聞き取れます。音作りにおける最新テクノロジーの利用や商業ベースでのプロデュース法、70年代のロックに対する新世代の答え、など聴いているといろいろ気が付くことの多い音楽なのです。
TOTOというバンドのアルバムを聞いて感じる事を言えば、時代をよく見てうまいタイミングで登場したな、ということに尽きます。
ダンス・ビートを取り入れながら、そのアレンジは千変万化。それもロックの基本から離れることなくハードとメロディアスを共存させている・・・それに思わずやられたっ!と思ってしまう絶妙なアレンジです。
かっこいい曲変化や流れの意外性、これらが卓越したテクニックを持つギタリスト:スティーブ・ルカサー や 今は亡き名ドラマー:ジェフ・ポーカロ 等の妙技のよってこともなげにプレイされていくさまは豪快であり爽快です。この時代あたりからロックの聞き手は、耳に心地よい、身体がウキウキするような音楽を求めるようになりました。そしてそれに合わせるかのように多くの生きのいいグルーヴ感を持ったグループが登場したのでした。
それまでのブルースから枝分かれして発展したブルース・ロックやシンプルで執拗なリフを中心としたいわいる正統的ハードロック、ヘヴィーロックの充実に陰りがでてきたのも正にこの時代からなのでした。
僕はこの曲にいろいろな部分でかなりの影響を受けました。
そして今でも愛聴している大好きな曲です。
前回の「奥華子:手紙」同様、YOUTUBE で聞いてみますか?
もしよかったらどうぞ! 「St.George And the Dragon」
今日の曲
TOTO(トト) 2nd.「ハイドラ(Hydra)」より「セント・ジョージ&ザ・ドラゴン(St.George And the Dragon)」(1979)
以前こちらで書いたことがありましたが、僕は大学を卒業してからまもなくして、当時としては比較的新しいビジネスであった「音楽(練習)スタジオ」の経営を始めました。
1979年のことです。駅の改札口から徒歩1分という立地の雑居ビルの3Fに当時のお金で総額800万円の工費で作りました。営業は朝9時から夜10時まで。年中無休でした。
開業時より連日ほとんど予約で一杯でした。そんなこともあって投入した資金は予定の半分以下の期間ですべて回収でき、その後からの利益はしっかり貯めて、もうすでにお話したニューヨークへの生活へと転身したのです。(あの頃は実に朝から晩までよく働いたなー)
スタジオ業はお客にスタジオ設備を時間貸しで使ってもらう商売ですので、機材の保守点検・清掃・予約受付などの業務の他は自分の時間がけっこうあるわけです。そこで僕が考えたのは、必要なバンドさんにコーチをしてあげることでした。もちろん「営業」の一環ですのでコーチ料はもらいません。あらかじめお客の演奏したい曲目を聞き出しておいて、その曲が完成(人前で聞かせられる程度まで)するまでスタジオ内に入って各パートさんにアドバイスをするんです。
そんなコーチの依頼が年に10バンドほどありました。今のようにCDやMP3プレーヤーなどが無い時代です。時には彼らが持ち込むカセットに録音された曲の楽譜を作ってあげてコピーの手助けもしてあげました。(この頃、レコードから譜面を起こすバイトも依頼があればやっていました。当時、大手が出版したDパープルの「ハイウェイスター」のギターソロの採譜は僕がやりました)
で、その頃のバンドさんの5分の1くらいがTOTOをやりたいと言ってきました。
なかでも人気だったのはアルバム「ハイドラ」からの「99」とこの「St.George And the Dragon」でした。
僕の好みはもう絶対に「St.George And the Dragon」だったので特に気合を入れてコーチしたものでした。ご存知のようにこの曲はボーカルのキーが高いのです。平均的日本人の音域とは1オクターブほども違うこの音域は一部の外国人ボーカルにはそれほどでもないようですが、経験上日本人の声帯にはちょっぴりシビアなんです。俗にいう「キーが高すぎる」曲なわけです。
多くのアマ・バンドのボーカルはこのキーをクリアできません。しかしキーを下げると他の楽器の音色に悪影響がでるし、鍵盤を含む演奏時のポジショニングにも相当な困難を与えるという問題に直面してしまいます。
僕はこの曲をやりたいと言うバンドさんにはやんわりと「降参」を勧めていましたが、いくつかのバンドさんがこの壁を乗り越えてライブのセットリストにのせたんです。
その1つが、忘れもしない早稲田大学の女性バンドでした。みんなピチピチした若いきれいなコばかり。ボーカルのコはこの曲を歌っている(TOTOの)ボビー・キンボールばりの発声と声量でこの難曲をみごとに歌ってみせてくれました。
あまりにこの女の子バンドはうまかったので、スタジオの経費からライブを主催し、ステージを踏ませてあげたくらいでした。
そんな思い出も残っている「St.George And the Dragon」
歌のボビー・キンボールのハイトーンも見事ですが、作曲のキーボーディスト:デヴィット・ペイチの作曲・アレンジの能力にはいまだに心底感心します。また目立たない存在かも知れませんがベースのデビット・ハンゲイトのライン作りもこのアルバム全体にわたって秀逸です。
さすがに名うてのプレーヤー揃いのこのTOTOというバンド。
曲のところどころにキラっと光る極上のセンスにはもう完全に脱帽です。
またリズム処理やコード・ワークの贅肉を取り去ったさりげない作りには、最小の動きで最大の効果を得るノウハウがびっしりと詰まっています。
この曲からは80年初頭のアメリカン・ロックが70年代ロックから変貌していく課程をしっかりと聞き取れます。音作りにおける最新テクノロジーの利用や商業ベースでのプロデュース法、70年代のロックに対する新世代の答え、など聴いているといろいろ気が付くことの多い音楽なのです。
TOTOというバンドのアルバムを聞いて感じる事を言えば、時代をよく見てうまいタイミングで登場したな、ということに尽きます。
ダンス・ビートを取り入れながら、そのアレンジは千変万化。それもロックの基本から離れることなくハードとメロディアスを共存させている・・・それに思わずやられたっ!と思ってしまう絶妙なアレンジです。
かっこいい曲変化や流れの意外性、これらが卓越したテクニックを持つギタリスト:スティーブ・ルカサー や 今は亡き名ドラマー:ジェフ・ポーカロ 等の妙技のよってこともなげにプレイされていくさまは豪快であり爽快です。この時代あたりからロックの聞き手は、耳に心地よい、身体がウキウキするような音楽を求めるようになりました。そしてそれに合わせるかのように多くの生きのいいグルーヴ感を持ったグループが登場したのでした。
それまでのブルースから枝分かれして発展したブルース・ロックやシンプルで執拗なリフを中心としたいわいる正統的ハードロック、ヘヴィーロックの充実に陰りがでてきたのも正にこの時代からなのでした。
僕はこの曲にいろいろな部分でかなりの影響を受けました。
そして今でも愛聴している大好きな曲です。
前回の「奥華子:手紙」同様、YOUTUBE で聞いてみますか?
もしよかったらどうぞ! 「St.George And the Dragon」
よく通ったなぁ。
その頃は浦安に住んでで,原付バイクで行った事も,
そして何より今のSHADESが正式結成したのもあのスタジオじゃなかったかなぁ!?
ホント懐かしい!ぐしゅ~だね。
TOTOならおいらも「ハイドラ」が一番好きさ!
特に「99」は・・・・・・これまた色々詰まってて,ぐしゅ~・・・!
バンマスが認めた早稲田のボーカルさん,今は何してんだろうね!?
主婦してんのか,何処かでまだ歌ってるのか!?
なんかノスタルジーを感じたチョイ二日酔いの,それでいて爽やかな朝でした!!
「オリジナルキーで歌えますが何か?」
とコメントするでしょう。
懐かしいね。あのスタジオ。バンド仲間にも内緒で作って、オープンしたら驚かそうと思っていたんだよね。
で、ある日「次の練習はオレのスタジオでやるぜー!」と言ったらみんな腰を抜かしたんだよね。
早稲田のトト・バンドとの別れは僕がNYに行くということになって突然おとずれた。みんな泣いてくれた。
その後、彼女らは卒業して連絡が取れなくなってしまった。
もう一度会いたい「いいお姉さん?たち」だ。
キミらがどう料理するか、興味は尽きないね。
とっても意外でした。
まさかyokoさんがTOTOを唄っていたなんて。
すごいじゃないですか。キーは高いし、むずかしいし。
それよりなにより、このアルバムが大好きだったということを知って、嬉しいやら驚くやら・・・。
このバンドは聞いていてホント勉強になりましたね。
「99」はルカサーがボーカルなので、私が歌いました。
「セントジョージ」は、メンバーの中の女の子をボーカルにしてやりましたねー。懐かしいな~。
TOTOの曲の中では、この曲のギターソロが一番好きです!
いい曲をやってましたね、しかも高校生の分際で!(笑)
「この曲のギターソロが一番好き」という意見には全面的に賛成です。
実に慎み深く、ハッタリのないフレーズには当時より目からウロコでした! こういうのが「いいフレーズ」というのだと思いますね。