本日番組で紹介された女性たち。いずれも明治初期のパイオニア女性だ。
中でも、私は津田梅子と与謝野晶子が印象に残っている。
津田梅子はもちろん現在の津田塾大学の創設者。
でも、知ってるのはそれだけ。
実際は、アメリカへの留学を通して、女性教育が必要との強い信念を貫き通した。
当時14歳から16歳で親に言われた縁談を受けて結婚するのが普通の世の中(当時結婚前に男女が会うこと自体珍しいこと!)で、一緒に留学した親友の大山捨松が結婚して幸せにくらしているのを見て気持ちが揺らぐ。
しかし、その後イギリスへ行って、78歳のナイチンゲールに会って、「40年前はイギリスも日本と同じ。未来は変えられる」と言われてまた、前に進んだ。
それ以後、最後まで厳しく女性を教育し、世に送り出した。「ノウ。ワンスモア」と言って、机をたたいたそうである。「女性が高い能力があることを示さないと自由や権利は得られない」
続いて、情熱歌人 与謝野晶子(1878年大阪生まれ)
21歳で与謝野鉄幹に出会う。
古い歌にこだわらずに、思ったとおり読めばよい。と鉄幹に言われ、1901年 「みだれ髪」
「やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」
うーーん。しびれるねえ。
11人の子宝にめぐまれ、歌集も好調。
しかし、夫はスランプでうつ状態に。
1911年、晶子はお金を工面して鉄幹をフランスへ送り出す。
翌年、寂しくなった晶子は単身シベリア鉄道でパリへ。
おお、やってくれるね。
君もコクリコ(ひなげし)われもコクリコ
真っ赤なひなげしが、晶子を象徴している。
(隠れ話)
最近浅草にスカイツリーが出来たが、1890年に浅草に凌雲閣という52mのタワーがあり日本初の電動式エレベーターで人気になったが、開業後1年でエレベーターが故障。
それが原因で日本初の美人コンテスト開催!!!
東京選りすぐりの芸者100人への美人投票をしながら上へあがる仕掛けには恐れ入る。
そのとき3位までに入れなかったが、吉田屋の お妻(18歳)が「みだれ髪」ならぬ「洗い髪のロングヘヤー」でブロマイドが飛ぶように売れ日本人初のグラビア・アイドルになったらしい。
確かに当時ロングヘアーはセクシーだっただろう。お妻がモデルの美人印シャンプーというのも売れたらしい。壇蜜印○○を作ってはどうか?