何かがあるかもしれない日々

何もない日々、ではない筈・・・

子ども時代のこと(一部現在のこと) その弐

2018-09-04 10:30:43 | 発達障害?ネタ
続きです。今度こそ適当に、思いついたら追記する方式でいきます。


人と共感しない

これは無理ゲー。そもそも僕はアレキシサイミア[1]なので自分の感情すら僅かにしか認識していません。今でも物事が思い通りにいかなかったときに癇癪を起こすのがほぼ唯一の感情表現です。嬉しいとか悲しいとかもメッタにありませんし、もっと複雑な感情なんてまるで理解不能です。姉は『物にあたるな』と言いますが、無理です。壊しても良いものを常に用意しておいて、時々ちゃんと破壊しないとストレスが溜まるようで、自律神経失調の症状が強くなります。胸から腹にかけてがソワソワザワザワしたり、睡眠が浅くなる、腹痛、頭痛、動悸あたりが多いでしょうか。

ですから、小学生のころは作文が苦手でした。運動会とか学芸会とか、特に何も思わないことがほとんどなので、何をしたか、という事実だけ書いておしまいでした。最短記録は原稿用紙半分。時間内に書けなくて、放課後残って書いていることもありましたが、それでも他の人より短い作文しか出てこないので、先生もさぞかし不思議だったのではないかと思います。

夏休みにはもっと大敵がいました。読書感想文です。読書感想文を夏休み中に書くなんて僕には無理な話でした。普段はプロ野球選手名鑑とかニュートン別冊とかブルーバックスばかり読んでいましたが、そんな本で読書感想文を書く人もいませんしね。だからといって小説は推理小説を除いてほぼ読みませんし。高校生のころなんて、夏休みに読んだ本が『発陽論』[2]だけだったとか、そんなこともありました。

アレキシサイミアを改善するために
まずは自分のことを、日記などを付けながら目に見える形で把握できるようにしていきます。どんな出来事があり、どんな気持ちになったのかを書いていきます。
IBIKEN

と書いている人もいますが、どんな気持ちにもならないので実行はかなり難しいと思います。

マインドフルネスはどうかな、と思ったのですが、今の所よくわからないみたいです。文献も少ないですし。マインドフルネスストレス低減法を読んでやってみてるのですが、自分の呼吸に意識を向ける、というのがまず難しい。まずは3分くらい、と思ってやってみるのですが、ひどい動悸がする、一瞬だけど脳天から突き抜けるような頭痛がする、などの症状が現れます。何か間違っているのかな?それともその状態すら受け入れろ、ということなのでしょうか。


聞き取れない、あるいは聞いても意味がわからない

聴覚過敏というほどでもなさそうなので、聴覚情報処理障碍なのかもしれません。聞き間違いは小さい頃から多かった。さらに、聞き取れても、脳内で一度再生しないと意味がとれないことが結構ある。これに、曖昧で何通りもの解釈ができる文章だった日には、もう黙り込むしかありません。主語や目的語を省略して喋る人、滑舌の悪い人、早口で喋る人は敵です。




[1]『失感情症』という日本語はあまり良くないと思います。感情は失われているのではなく、あるのだけど認識されていない、と考えられているそうです。


[2]井上道節因碩が編纂した詰碁集。1713年完成。非常に難解であることで知られる。なので『本を』読んでいるのではなく、『手を』読んでいるというのが正しい。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿