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何を書くかわからない

●世界最古の土器

2018-01-13 17:16:41 | 文化

●世界最古の土器 
◆大平山元I遺跡 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/大平山元I遺跡
大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)は、青森県外ヶ浜町にある縄文時代草創期の遺跡である。2013年に国の史跡に指定された。指定名称は「大平山元遺跡」。 1975年とその

翌年には青森県郷土館が、1998年に旧蟹田町教育委員会により発掘されている。

1998年の民家の建て替え工事に伴い、旧蟹田町教育委員会が行った発掘調査によって発掘された土器には、世界で最も古い土器である[1]とされるものがある。 縄文土器に付着した炭化

物のAMS法による放射性炭素年代測定法[2]の算定で16,500年前(暦年較正年代法による)とされる。 また、石鏃も世界でもっとも古いもので、これは世界で最も古い弓矢の使用を示す。

外ヶ浜町山元地区にはI〜IV遺跡、墓地公園遺跡などいくつもの縄文遺跡が発見されているが、このうち本遺跡は縄文時代草創期のものである。 これらから出土した石器や土器は、大山

小学校の跡の大山ふるさと資料館に保存されて自由に見学ができるようになっている。

大平山元I遺跡からは石斧や石核、石鏃などの石器も発掘されている。ほとんどの石器の材料は地元の川から採れる頁岩からできているが、中には青森県鰺ヶ沢町から運ばれてきた黒曜石

からできている石器もある。

土器はすべて小破片で形の分かるものはないが、文様はなく平らで角張った底の土器である。土器の内側には炭化物が付着しており、食料の煮炊きに使ったものであることが分かる。 こ

れは世界でもっとも古い煮炊きの後と言えるだろう。

現在は民家と民家の間に挟まれた狭い空き地にある。田の近くにあるため、縄文時代には湿地帯のすぐ近くの小高い場所だったとされる。

 
◆正統史観年表 世界四大文明のウソ
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-240.html
これによって多くの子供たちは、世界四大文明なる、 世界中の歴史学者にとっくの昔に 否定されつくしている説を、 無批判に教え込まれ、 なんとなく支那が日本文明の親で あると思

わせられている。
ところが、実は文明の現出は、支那よりも日本の方がはるか に古い。 支那の黄河文明が、いまから約4千年の昔です。
長江文明が約7千年前の 文明です。
これに対し、日本では、なんといまから1万6500年前という世界最古の土器 の遺跡が見つかっている。
場所は青森県蟹田町の西端に位置する
「大平山元|遺跡(おおだいやまもといちいせき)」です。

世界最古です。
しかも土器があるということは、
すでに火を使い社会的分業制度を持っていたことが同時に類推されるわけで、
こうなると、もしかすると、日本は世界最古の文明国だった可能性すらある。

なにせ、支那で最も古い長江文明より、
さらに1万年もの太古の昔の文明の痕跡がでてきちゃった。

さらに、大平山元遺跡群の2遺跡からは、約16,000年前の石で囲った炉の跡、
石蒸し料理に使った焼けた石なども見つかっている。

ところが、この「大平山元|遺跡」で
世界最古の遺跡が発掘されたことがよほどくやしいのか、
なんの故意かしらないけれど、あきらかに世界最古の遺跡でありながら、
たとえば青森県のHPには、
この大平山元|遺跡のことは載っていないし、
青森県内の遺跡を紹介したサイトでも、
この遺跡から出土した土器は「青森県下最古の遺跡」などと書いてある。

青森県最古ではないのです。世界最古なのです。意味が違う。

しかも、大平山元遺跡群というのは、場所が、1と2があるのだけれど、
なぜか「1」と書けばよいモノを、
パソコンのキーボードの右上の「¥」マークのところにある
「|」という記号を使って、「大平山元|遺跡」と表記している。
あるいは「Ⅰ」を使っている。

要するに意図的に検索エンジンにひっかかりにくくしているわけで、
ふつうに、「えっ?どうして?」と疑問に思える文字の使い方がされています。
どうして、あえて、1と2にわけるのか。
なぜ「1」ではなく「|」を使うのか、
ちょっと常識では考えられない微妙な操作が加えられています。

科学的に、考古学的にちゃんと証明されたことが、微妙に隠ぺいされ、
その一方で、あきらかに世界の歴史学会で否定されつくした事柄が、
いまだに日本の子供たちの教科書に記述され、試験に出る問題とされている。

これって、普通に考えて、おかしいことなのではないでしょうか。

◆世界最古の土器は、日本か中国か。: 変水流体術
http://hensuiryuu-taijyutu.seesaa.net/article/273310656.html
私は以下の中国から出土した土器の年代に関して、後述の三点において、その信憑性を疑わしく思っております。


p28c[1].jpg
【湖南省道県玉蟾岩遺跡】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<世界最古1万8000年前の土器発見…中国・湖南省>
(2009年6月3日23時29分 読売新聞)

中国湖南省の洞窟(どうくつ)で世界最古となる約1万8000年前の土器が発見された。

当時は、最後の氷期がピークに達していた寒冷な時期。土器製作は氷期のピーク後、
徐々に暖かくなる中で生活の場を広げた人類が始めたとする従来の見方を覆す発見だ。

米ボストン大学や北京大学などの国際研究チームが米科学アカデミー紀要の最新号に発表した。

これまでに青森県やロシアなどで1万数千年前とされる土器が発見されているが、
古い土器の年代分析は難しく、年代値の信頼性などで議論があった。

今回は40以上の試料をもとに正確な分析を行い、日本やロシアの土器よりも少なくとも1500年以上古いことが分かった。土器製作の南中国起源を裏付けるという。

研究チームは2005年までの発掘で、土器2個以上に相当する多数の破片を発見。
復元された土器の一つは、高さ約30センチの円すい型と推定されている。

年代は、土器片に付着した有機物や地層中の炭、動物骨を材料に、 放射性炭素の含有量を調べて決定した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

その理由の一つは、中国は歴史を捏造しても恥じない国家だということです。。

(国民党の工作員として『戦争とは何か』を書き、南京大虐殺をデッチ上げたティンパリーの事例を見るまでもなく、中国は欧米人を道具として使い、その虚偽に真実味を加えることぐ

らい朝飯まえですから)

中国共産党としては・・・縄文土器の方が古いという歴史は、絶対あってはならないことですから、金銭(研究費用の拠出など)で動く、曲学阿世の欧米の研究チームを捏造に加担させ

ることぐらい容易いことだと思っています。

中国にとって、歴史や考古学とは真実を追求するものではなく、国益のために利用する道具なのです。それが証拠に中国は、南沙諸島において、古代中国の出土品を意図的に海中に投じ

て偽装工作し、「この海域は古代から中国の領土だった」という恥知らずな主張をしています。

中国にとっては、「古代において、日本に文化を伝えた」というこの一点だけは、対日カード(永遠に日本人に恩を植え付け、常に上下関係を意識させ、対日関係を優位なポジションか

ら進めるためのアイテム)として絶対に譲ることのできない事柄なんです。

◆世界最古の弦楽器か 3000年前、青森の遺跡から :日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2800B_Y2A420C1CR0000/
2012/4/28付
青森県八戸市にある紀元前1000年ごろ(縄文時代晩期)の是川中居遺跡から出土した 木製品が、現存する世界最古の弦楽器の可能性があることが、弘前学院大(青森県 弘前市)の鈴木

克彦講師(考古学)らの研究で28日までに分かった。

青森県八戸市の是川中居遺跡で出土した紀元前1000年ごろ(縄文時代晩期)の木製品(是川縄文館提供)
https://i.pinimg.com/564x/d3/36/d4/d336d4a48b6a1302baa0bacedc51e25f.jpg
 鈴木講師は、弥生時代の登呂遺跡(静岡市)などから出土した原始的な琴と似ていることから「縄文琴」と命名し「日本の琴の原型ではないか」と話している。

 木製品は長さ約55センチ、幅約5センチ、厚さ約1センチの細長いへら型。上部に四角い突起、下部に直径約1ミリの穴や刻みがあるのが特徴。杉かヒバのような材質でできている。

 鈴木講師らによると、毛髪や麻などを素材とする弦を数本、穴に通して張り、指や木の枝ではじいて演奏したとみられるという。

 世界最古の弦楽器は、中国湖北省随県で出土した紀元前433年ごろのものとされている。この木製品が弦楽器なら、それより500年余りさかのぼることになる。

 是川中居遺跡では1926年以降、同じ形状の木製品が計20本発見されている。同様の木製品は、いずれも縄文時代の忍路土場遺跡(北海道小樽市)、松原内湖遺跡(滋賀県彦根市)、亀

ケ岡遺跡(青森県つがる市)でも見つかっている。

 鈴木講師は78年に弦楽器説を発表。滋賀県の発掘チームは機織り具と主張し、見解が分かれていた。鈴木講師は2008年夏ごろから再び研究を開始。機織りに役立たない突起や、作業の

妨げになる穴があり、機織り具とは考えられないと結論づけた。

 その上で弘前学院大の笹森建英特任教授(音楽学)とともに復元品を作製。笹森特任教授が実際に演奏し、弦楽器として使えることを証明した。2人は今年2月、報告書にまとめた。

 鈴木講師は「シャーマン(呪術師)のような儀礼を取り仕切る人が、占いや祈りの際にはじいたのではないか」と話している。〔共同〕
 
◆日本の土器、世界最古なの?
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200910030143.html
2009年10月3日11時6分
 「日本の土器が世界で一番古いってホントなの? なんでなの?」。半月ほど前、会議の席上、特捜隊長から突っ込みを入れられた。「そういえば変ですね。でも、なぜか、そういう

ことになってるんですよね」と、文化財・歴史担当ながら、答えにならない答えをつぶやいた私。「土器が生まれた理由も含めて調べてみてよ」との一声で、調査を始めることにした。
青森県大平山元(おおだいやまもと)遺跡の縄文土器
https://i.pinimg.com/564x/c3/01/b8/c301b87dcf04c8ffba2d99f9339fc806.jpg
    ◇

 東京・池袋のサンシャインシティにある古代オリエント博物館を訪ねた。世界各地の古い土器など、約200点を集めた展覧会「世界の土器の始まりと造形――ドキドキ! 土器って

面白い!」が、11月29日まで開かれている。

 同館研究員の津本英利さん(西アジア考古学)に聞くと、「今のところ、東アジアの土器が世界で一番古いのは間違いありません」と答えてくれた。

 現在、世界最古と考えられる土器の一つが、青森県大平山元(おおだいやまもと)遺跡の縄文土器=写真、上2点は石器=だ。放射性炭素年代から推定すると、約1万6千年前。これ

らのことから、多くの研究者は、遅くとも1万5千年前には、日本列島で土器が使われていたと考えている。

 ところが、他地域の最古の土器をみると、南アジア、西アジア、アフリカが約9千年前、ヨーロッパが約8500年前――。学校で習ったいわゆる「四大文明」の故地と比較しても、

日本は飛び抜けて古い。

 「でも、ロシアのグロマトゥーハ遺跡などでは、約1万5千年前と考えられる土器が見つかっています。日本だけが古いと言うより、東アジア全体で古い時期に土器が生まれた、とみ

るべきではないでしょうか」。中国湖南省で、約1万8千年前のものとされる土器が確認されたとの報告もある。

 もっとも、なぜ東アジアなのかははっきりしない。ただ、中央大准教授の小林謙一さん(日本考古学)は、「土器の誕生は、当時の環境の変化と深いかかわりがあると考えられます」

と説明する。

 小林さんは14日から国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で始まる「縄文はいつから!?――1万5千年前になにがおこったのか」展を企画。日本では、氷河期が終わりに近づいた

約1万6千~1万5千年前、気温上昇にともない、亜寒帯的な森林から落葉樹も交じる森林へと変化した。「その結果、ドングリなどの植物質の食料が入手しやすくなり、それらを食べ

るためのアク抜きに必要な容器として、土器が生まれたのではないでしょうか」

    ◇

 ちなみに現在、国内最古と考えられているのは模様のない「無文土器」。主に東日本で出土している。だが、約1万4500年前ごろになると、粘土ひもをはり付けた「隆線文土器」

と呼ばれる土器が生まれ、全国へ広がる。「堅果類であるコナラ、カシ、シイなどの分布が広がったことで、土器も普及したのだと思います」と小林さん。

 一方、やはり最古級の土器が出土したロシアでは、防寒や調理に使う「魚油」をとるために、魚を土器で煮ていた可能性が指摘されている。「土器使用の始まりには、漁撈(ぎょろう

)も大きくかかわっているとにらんでいます」と、古代オリエント博物館研究部長の石田恵子さん(西アジア考古学)。生まれた理由も様々なのかもしれない。

 さらに、土器はある一カ所で誕生し、広がったのではなく、おそらく複数の場所で前後して発明された可能性が高い。

 日本列島に関しても、「最古級の土器は東日本に多いが、遅くとも約1万3千年前ごろには鹿児島でも無文土器が使われていると思う。北と南で別個に土器が生まれ、それらが広がっ

たと考えるべきだ」と、南九州縄文研究会代表の新東晃一さんは指摘する。

 でも、土で作られた容器としての土器が、中東などでどうして、なかなか作られなかったのか。筑波大教授の常木晃さん(西アジア先史学)によれば、西アジアでは「土器の利用以前

から、焼成された土製品は作られていた」という。「つまり、彼らは『粘土を焼くと硬くなる』ことを知っていたんです」

 だが、実際に土器が使われ始めるのは9千年前。理由について、常木さんは「西アジアでは先土器新石器時代から小麦が主食。パンを焼くのに、土器を作る必然性はなかったのだと思

います」と話す。

 少し前までの歴史学・考古学では、土器の誕生は、農耕や牧畜の開始、ひいては文明の発生と関連づけて論じられることが多かった。だが、近年の東アジアでの発見は、狩猟や採集を

基盤とする社会でも、土器が必要とされ、生まれ得ることを示唆する。

 歴史発展のモデルは決して一つではない。「最古の土器」たちは、そのことを改めて教えてくれているのではなかろうか。(宮代栄一)


◆世界最古の煮炊きの跡は日本にあった
http://www.rekitan.co.jp/styled-2/styled-20/blog-2/files/af30088e62c0b3335f5352627151f834-13.html
2013/04/19 金曜日 格納先:論文
4月10日イギリスの科学雑誌Natureで、日本の考古学論文がとりあげられました。Natureという世界のトップクラスの科学雑誌に日本の考古学が紹介されることなど、皆無に近いのが現

状です。最近では、1986年の8月に日本の農業の起源というGina L.Barnesという人の論文が掲載されました。ちなみに、古いところでは1912年に先史時代の日本という論文があります。
 
◆ 日本の土器は世界最古である・・16000年前の煮炊きもの - 始まりに ...
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/2d82939ea1b8774de9c05556cf2ad2e0
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/6e/1ad9148be1b55216dc0b014b4b647137.jpg
「日本の土器は世界最古なの?・・ 東アジアで古く、焼いた土製器は中東でも(文化特捜隊)」
                              朝日新聞2009年10月3日

東京池袋の古代オリエント博物館で、世界各地の古い土器など約200点を集めた博覧会が開かれている。

同館研究員の津本英利さん(西アジア考古学)に聞くと、
「今のところ、東アジアの土器が世界で一番古いのは間違いありません」と答えてくれた。

現在世界最古と考えられる土器の一つが、青森県大平山元Ⅰ遺跡の縄文土器。

放射性炭素年代から推定すると、約16000年前。

これらのことから多くの研究者は、遅くとも15000年前には日本列島で土器が使われていたと考えている。

ところが、他地域の最古の土器をみると南アジア、西アジア、アフリカが約9000年前。

学校で習った、いわゆる四大文明の故地と比較しても、日本はとびぬけて古い。


でも、ロシアの遺跡などでは、約15000年前と考えられる土器が見つかっています。

日本だけが古いというより、東アジア全体で古い時期に土器が生まれたとみるべきではないでしょうか。

中国湖南省で約18000年前のものとされる土器が確認されたという報告もある。


もっとも、“なぜ東アジアなのか”は、はっきりしない。

ただ中央大准教授の小林健一さん(日本考古学)は
「土器の誕生は、当時の環境の変化と深いかかわりがあると考えられます」と説明する。

小林さんは国立歴史民俗博物館で始まる「縄文はいつから?15000年前になにがおこったのか展」を企画。

「日本では、氷河期が終わりに近づいた16000年前~15000年前、気温上昇にともない、亜寒帯的な森林から落葉樹もまじる森林へと変化した。

その結果、どんぐりなどの植物性の食糧が入手しやすくなり、それらを食べるための、あく抜きに必要な容器として土器が生まれたのではないでしょうか」。


ちなみに現在国内最古と考えられているのは、模様のない無文土器。

主に東日本で出土している。

だが約14000年前ごろになると粘土紐を張り付けた土器が生まれ、全国へ広がる。

◆料理に使った最古の土器 縄文人がサケ煮炊きか :日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG10042_Q3A410C1CR8000/
2013年4月11日


 北海道や福井県の遺跡から出土した1万1千~1万5千年前の縄文式土器の焦げ跡に、サケなどの魚を煮炊きしたとみられる脂質が含まれていることを日英などの研究チームが見つけ

、11日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。チームは、料理に使われた世界最古の土器としている。

 農耕が始まる前に発明された土器は氷河期を乗り越えるため食料の貯蔵などに使っていたとみられていたが、栄養価の高い魚類を料理していたことも示すという。縄文人の暮らしぶり

の一端を明らかにする成果。

 チームは北海道や新潟、福井、長野、鹿児島の13遺跡から縄文式土器計101個を集め、焦げ跡を分析した。

 このうち鳥浜貝塚(福井県若狭町)と大正3遺跡(北海道帯広市)の土器片の内側に付着した成分を詳しく調べた結果、鳥浜貝塚で35個のうち17個、大正3遺跡では2個のうち1個か

ら魚の油分が劣化したとみられる脂肪酸を検出。海の魚か川魚かは分からないが、深鍋の土器を300度近い高温の状態に熱し、煮炊きした証拠と判断した。

 チームは詳細に分析していない他の遺跡でも、焦げ跡の炭素や窒素の同位体比から、ほとんどの土器は煮炊きに使われたとみている。素材はサケの可能性が高いという。

 研究に参加した総合地球環境学研究所(京都市)の内山純蔵客員准教授(景観考古学)は「この時代の土器の量は際立って少なく、煮炊きして日常的に食べたとは限らない。儀礼に使

った可能性もある」とみている。〔共同〕
 
◆ 世界最古の調理跡|日本が良くなりますように
https://ameblo.jp/lovejapanmuch/entry-12043322968.html
2015年6月26日
土器の煮炊き跡、世界最古=1万4000年前、北海道の縄文式−日欧チーム.
http:// www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act.
福井県若狭町で出土し、復元された縄文草創期の土器(福井県立若狭歴史民俗資料館提供)
https://stat.ameba.jp/user_images/20150626/11/lovejapanmuch/b7/6a/j/t02200197_0500044813348215556.jpg
    北海道や福井県で出土した約1万5000~1万1800年前(縄文時代草創期)の土器から、魚などを加熱調理したとみられる世界最古の痕跡を発見したと、英ヨーク大学や新潟県立歴史博

物館などの研究チームが11日付の英科学誌ネイチャーに発表する。これまでに確認されていた最も古い調理の跡は、地中海東沿岸地域から出た約9000年前の土器で見つけた、動物の乳を

加工した跡だった。


    研究チームは、国内13か所の遺跡から出土した世界最古級の土器試料101個を分析。このうち、北海道帯広市と福井県若狭町で出た土器の焦げ跡から、魚などの水生生物を270度以上

で加熱したときに生ずる残留物を検出した。若狭町の試料には、陸上哺乳類の可能性がある残留物も含まれていた。


    また、残留物の元素を詳しく調べたところ、「食材」の多くは海の幸だったが、淡水産に似た特徴を含む残留物も一部に見られたことから、サケのように海と川を行き来する魚を調

理した可能性もある。


    当時は、北米や欧州に厚い氷が発達した氷期の後半にあたり、縄文人は採集狩猟生活を営んでいた。初期の縄文土器は、儀式や貯蔵などの様々な使い道が考えられてきたが、加熱調

理に使った直接的な証拠はこれまで得られていなかった。


    ■2003年、「大正3遺跡」から



    帯広市の土器が見つかったのは同市大正町東8線の「大正3遺跡」。市教委などが2003年、土器片444個、矢尻などの石器約9000個を発見し、縄文草創期の約1万4000年前のものと確認

された。

    発掘調査に関わった帯広百年記念館(帯広市緑ヶ丘)の北沢実館長は「土器の持つ貴重な情報が、世界に発信されるのはうれしい限り。この土器を使った縄文人は、本州から十勝に

たどり着いたと見られている。他の土器も調べることで当時の食生活もより深くわかるだろう」と話している。

    (2013年4月11日 読売新聞)
    YOMIURI ONLINE

    この研究はオランダ・フローニンゲン大のピーター・ジョーダン博士らが、土器は狩猟採集時代にアジアから欧州に伝わったとみて行っている調査の一環。





http://ohya.hatenablog.com/entry/20130411/1365643052
土器の煮炊き跡、世界最古=1万4000年前、北海道の縄文式−日欧チーム

http://www45.atwiki.jp/jippensha/?https://i.pinimg.com/564x/2e/12/35/2e12350da83b7cd772147fcae79dd094.jpg

    北海道帯広市の大正遺跡群「大正3」遺跡で発掘された約1万4000年前の縄文土器(復元、帯広百年記念館提供)。日欧チームが焦げかすを分析したところ、海産物成分が見つかった

。土器を煮炊きに使った世界最古の証拠という
    北海道帯広市の大正遺跡群「大正3」遺跡で発掘された約1万4000年前の縄文土器片から、海産物を煮炊きした焦げかすが見つかったと、日欧研究チームが10日付の英科学誌ネイチャ

ー電子版に発表した。土器を煮炊きに使った証拠としては世界最古で、海産物は川をさかのぼったサケ・マス類の可能性があるという。
    この研究はオランダ・フローニンゲン大のピーター・ジョーダン博士らが、土器は狩猟採集時代にアジアから欧州に伝わったとみて行っている調査の一環。中国江西省の洞窟遺跡で

は、世界最古の2万〜1万9000年前の土器片が見つかっている。
https://i.pinimg.com/564x/82/45/c3/8245c3e2d83096933c9d63aa3d2d035a.jpg
(2013/04/11-02:29)
    時事ドットコム
    http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013041100039

◆縄文人がサケ煮炊きか 「世界最古の調理の跡」
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0411/7202569034/ jj_expansion_photo.html
 縄文時代のごく初期、今から1万5000年前に作られた土器から、「サケ」などの魚を煮炊きしたとみられる痕跡が見つかりました。今回の発見は「世界最古の調理の跡」として注

目されています。
動画つき記事 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20130411-00000051-jnn-soci
      NHK http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130411/t10013833591000.html

◆土器の煮炊き跡、世界最古=1万4000年前、北海道の縄文式―日欧チーム
時事通信 4月11日(木)2時7分配信
 北海道帯広市の大正遺跡群「大正3」遺跡で発掘された約1万4000年前の縄文土器片から、海産物を煮炊きした焦げかすが見つかったと、日欧研究チームが10日付の英科学誌ネイチャー

電子版に発表した。土器を煮炊きに使った証拠としては世界最古で、海産物は川をさかのぼったサケ・マス類の可能性があるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130411-00000008-jij-soci
 
 
 
 ネイチャー電子版http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature12109.html
 
・・・・・・・・・・・・・・・・
 
調理した痕跡のある土器は、これまでの最古が9000年前だったので今回の発見は、それを500年も遡る最古の発見になる。
この発見で、縄文土器には煮炊きに使ったものがあったことが明確になった。
 
当ブログの関連過去記事
縄文土器は煮炊き用だったか?
 
縄文土器は世界最古の土器でいいか?/BP20000年
 
 
◆土器 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%99%A8
土器(どき)は、土を練り固めて成形し、焼き固めることで仕上げた器である。

「土器」とは、一般に胎土が露出した状態のいわゆる「素焼き(すやき)」の状態の器であって、磁器のように化学変化を起こしてガラス化していないため粘土の不透明な状態がそのま

ま残っているものを称している。

広義には陶磁器も「土器」に含むことが出来るが、一般には粘土を窯で焼かず、野焼きの状態で700–900℃の温度で焼いた器のことを指し、区別することが多い。この場合、野焼きを行う

穴を「焼成坑」と呼ぶ。また、古墳時代より製作が始まった日本の須恵器のように窯で焼成したものであっても胎土として使用された本来の粘土の性質が露出しているために、陶器とみ

なしえないものも土器に含まれる。この場合、須恵器は陶質土器として位置づけられている(朝鮮半島でも陶質土器の表現を用いる)。土器の器壁の内部には、気孔が多く残っているた

め、透水性が著しく、陶磁器と比べて比重が軽く、胎土の密度が小さい。したがって、脆くて壊れやすい。

中国江西省の洞窟遺跡で世界最古と思われる2万年前の土器が見つかっており、北海道の大正遺跡群の調査によって土器が最初に料理に使われたのは1万4000年前であるとされている。

土器の出現はオーストラリアの考古学者ヴィア・ゴードン・チャイルドによれば「人類が物質の化学的変化を利用した最初のできごと」であり、物理的に石材を打ちかいてつくった石器

とはまた異なる人類史的意義を有している。

ことに日本にあっては、それが煮炊きのために用いられたところから小動物の狩猟に依存していた生活や自然の恵み(植物の実・根、貝・鳥獣・魚)に依存する食料採集生活ではあまり

土器が使われなかった。彼らの中で比較的定住する傾向を持つ集団が土器を使った。

土器を使用することによって加熱によるアク抜きや煮沸、煮炊きが可能となった。

(日本では)ドングリ・クリなどの堅果(木の実)、貝類を含めた魚介類、山菜、根菜など多種多様な動植物が食糧として活用される契機となって定住化がすすみ、各地で竪穴住居より

構成される縄文集落が形成された。生業として採集や漁労が採り入れられ、沿岸部では、土器を用いた塩づくりも広くおこなわれて広汎な交易がおこなわれるようになった。

土器は現在でも世界各地で実用民具や土産物として製造されている。日本でも素焼き鉢やテラコッタなど、園芸用品として利用されている。
 
◆世界最古の栽培稲発見される
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/rice/china05.1.23.html
中国の国営通信、新華社は22日、中国の長江(揚子江)下流の新石器時代の上山遺跡(浙江省浦江)から、約1万年前の世界最古の栽培稲のもみ殻が見つかった、と伝えた。新華社電

によると、これまで最古の栽培稲は長江中流の遺跡などで見つかった8000年前のものとされており、稲作の起源はさらに約2000年さかのぼることになる。

同省の考古学研究所などが調査した結果、上山遺跡で約1万年前の土器とともに大量の稲のもみ殻が出土。もみ殻を調べたところ、野生種より長さが短く、幅は逆に太い栽培稲の特徴が

確認できたという。

専門家は今回の結果について「長江下流が稲作の発祥地の一つであることを裏付けた」との見方を示した。

中国では1990年代に長江中流域の玉蟾岩遺跡(湖南省)や仙人洞(江西省)で1万年以前とされるもみ殻も見つかっているが、栽培種か野生種か明確でないことなどから、稲作の起

源とはされていない。

稲作の起源をめぐっては近年、長江流域での発掘成果が注目され、長江下流域の草鞋山遺跡では約6000年前の水田遺構も発掘されている。(北京・共同)

解 説
これまでインドのアッサム地方が原産と言われていた栽培稲は近年の発見にもとづく研究で「インディカ種」はアッサム地方,「ジャポニカ種」は中国と言われてきました.どちらも紀

元前6千年ころと言われていました.

ところが今回の発見によって稲の栽培そのものが中国からはじまったという可能性も出てきたと言うわけです.一方世界最古の土器が発見されている日本ですが,もしかしたら日本でも

早い段階から稲作が伝わったかもしれないという可能性が出てきました.なぜなら土器はモノを煮炊きする道具であり,農耕とも密接な関係があるからです.現在日本最古の稲の痕跡は

縄文時代前期の岡山県朝寝鼻移籍から発見された稲独特の細胞「プラントオパール」です.この発見によって日本でも今から6~7千年前に稲作があった可能性があると言われてきまし

た.

長江下流域から黒潮と言う海の道でつながっている日本は,中国の人やモノが意外に早く簡単にくるのです.これも早くから農業の技術が日本にきた可能性の大きな要素になります.そ

のうち日本でも縄文時代の耕作あとが発見されるかも知れません.

日中の学者が連携して研究が進むといいですね・・・・

ゲンボー先生
 
◆ 米は炊かずに蒸していた?日本最古のおにぎりから知る古代人の食事情 ...
http://www.mag2.com/p/news/207893/2
2016年6月17日
 世界最古の煮炊きの跡は、日本の縄文土器に付いている炭化物の跡だという、科学雑誌ネイチャーに掲載された論文を紹介させていただいたこともありました。まさしく、和食の原点で

あったわけです。世界最古というのが鼻をくすぐります。
この煮炊きをする縄文人達の中へ、稲作文化を持ち込んだとしたらどうなるでしょうか。絶対に、米をその動植物とともに煮炊きをしたのではないかと思います。パエリアはスペイン料

理の代表的な米の食べ方ですが、生米を魚介類と一緒に炊き上げます。まさにこれと同じような食べ方をしたのではないでしょうか。

そして、その中から、ただ米だけを煮炊きするという食べ方が生まれ、それが現代に繋がる米を炊くという調理方法になったものと思われます。現代の中国の人が日本に来た時、必ず買

って帰るのが炊飯器だと言われています。四千年の食の歴史を持つ中国人ですら、主食の米は日本の炊き方が一番美味しいと知っているのです。また、日本の炊飯器こそ、日本人の伝統

的知識を日本の技術でくるんだ最高傑作であるのです。

しかし、この最古のおにぎりは、お米を炊いたのではなく、蒸してから焼いたものだそうです。すごいですよね、炭化した米が出てきているだけなのに、それを炊いたのではなく蒸した

ものだと言い切れるのが本当にすごいと思います。
つまり、縄文人の中にもたらされた食べ方なら、米を炊いたのでしょうが、稲作文化を伝えた純粋弥生人達は米を炊くのではなく、蒸して食べたということです。蒸すことを選んだ人達

の気持ちは、なんとなくわかるような気がします。硬い生米を食べても美味しくないですから、なんとか水分を含めせようとしたのだと思います。

でもどうやったのでしょうか。土器に水を入れて下から火をつけて、土器の上に藁を敷いてその上に米を並べたというようなところでしょうか。そうすると、ご飯粒があちこちについた

わらが出来上がりますから、それを固めて一口サイズにしたのでしょうか。もしかすると米を葉っぱで包んで蒸気をあてたのかもしれません。まさに、現代も受け継がれているチマキの

食べ方になったわけです。

www.mag2.com/p/news/207893



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