縄文人のページ

何を書くかわからない

●職人

2018-05-11 16:31:48 | 文化

◆たがが外れるとは?日本語表現辞典。
読み方:たががはずれる
別表記:箍が外れる、タガが外れる
外側から締め付けて形を維持しているものがなくなり、それまでの秩序が失われること。
緊張を解いて羽目を外すこと。もともと「箍」は桶の枠組みを固定していた輪を指す語。
 
◆たが【×箍/×𥶡】
竹を割き、編んで輪にしたもの。桶(おけ)・樽(たる)などの外側にはめて締めかためるのに用いる。金属製のものもある。
https://kotobank.jp/image/dictionary/daijisen/media/113629L.jpg
 
◆箍 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%8D
箍(たが)は金属や竹で出来た輪のことである。
概要
樽や桶等を作る際、円形に組んだ木版の外側に箍をはめて固定する。
江戸時代には箍屋(たがや)という箍を扱い桶を修理する専門の職人がいた。
葛飾北斎「富嶽三十六景」尾州不二見原、画面中央の大樽の中で板を削る職人の左側に箍が描かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%8D#/media/File:Fujimi_Fuji_view_field_in_the_Owari_province.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%8D#/media/File:Kusakabe_Kimbei_-_302_Cooper.jpg
 
◆寿司桶
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8%E6%A1%B6
寿司桶(すしおけ)は、寿司を盛り付けるのに用いられる、
桶。寿司の出前の時などに使用される。
また、寿司屋や家庭で酢飯を調理する際に用いる桶も寿司桶と言い、飯台(はんだい)または飯切(はんぎり)半切とも書く。
また、調理のほかちらし寿司などを盛り付けて供することもある。
 
寿司桶の箍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%8D#/media/File:Cypress_hangiri_edge.jpg
提供する料理に使う寿司桶
・出前などに用いられる寿司桶は、以前は漆器だったが、最近は軽くて安価な樹脂製のものが多い。
・平べったくて、高さの低いものが使われる。
 円筒形のため寿司を入れたまま積み上げることが可能な上軽く、陶磁器の皿に比べ、効率的な輸送が可能となっている。
・通常、食後の寿司桶は玄関などに置いておくと、出前元の店が回収に来る。
  
酢飯を作り、入れ置くための寿司桶
飯櫃、普通木製で周りを箍(たが)と呼ばれる金属の幅細い板が2本、横方向に押さえている。
最近では樹脂製のものもあるが、本来の目的は木が酢飯の水分を吸ったり放出したりコントロールする為に使用されるため、
本来の味にこだわる職人はほとんどの場合は使用しない。
木が水を吸っているので、しっかり乾燥させないとカビが生える可能性がある。
洗浄時に洗剤を使用する場合は、水に十分につけておいてから洗わないと、木が洗剤を吸い込んでしまう。
作り上げた酢飯を入れ置くためには、桶と同じ作りの木のふた・布巾を使用する。
 
◆タガをはずすって意味がわかりません
 
タガは「箍・たがねる」と読みます。
割った竹を編んで輪にして、桶の周りを締め付けたもので銅や鉄などを用います。
たがを外すの意味は、勢いのあまり、度を過ごしてしまった状態を指して言います。
反対に、箍を締めるの意味は、たるんだ気持ちを引き締めて、緊張や規律、秩序を取り戻す事。
 
◆二本編みのタガ(箍)作り 動画編
http://www.snw.co.jp/~dai/takezaiku/Blog/entori/2015/7/3_er_ben_bianminotaga_zuoridong_hua_bian.html
以前紹介した二本編みのタガですが、今回は動画で編み方を紹介したいとおもいます。
当初教わったやり方を自分なりにアレンジしていますのでご了承ください。
 
田舎で見つけた樽なのですが、上はタガで下はねじってありました。
http://www.snw.co.jp/~dai/takezaiku/Blog/entori/2015/7/3_er_ben_bianminotaga_zuoridong_hua_bian_files/IMG_6850.jpg
上はシングル編みの二周巻きですね。
ぼくはまだ経験が浅く、物に合わせたタガを作ることには挑戦したことはありません。
ピタリと合わせるには職人技が必要になりそうです。
 
今回紹介するのは三周巻きです。
ヒゴの太さや長さによっては二周でも四周でも可能かもしれませ。
http://www.snw.co.jp/~dai/takezaiku/Blog/entori/2015/7/3_er_ben_bianminotaga_zuoridong_hua_bian_files/IMG_6842.jpg
http://www.snw.co.jp/~dai/takezaiku/Blog/entori/2015/7/3_er_ben_bianminotaga_zuoridong_hua_bian_files/IMG_6843.jpg
向かって左は二周巻き 右は三周巻き
http://www.snw.co.jp/~dai/takezaiku/Blog/entori/2015/7/3_er_ben_bianminotaga_zuoridong_hua_bian_files/IMG_6844.jpg
 
◆二本のヒゴでタガ(箍)作り
https://youtu.be/8Vez_xh_prI
ニシカワ塗装
2015/07/02 に公開
ブログ
http://www.snw.co.jp/~dai/takezaiku/B...
樽などの輪留めに使うタガを二本のヒゴを使った編み方で紹介しています。各所自分なりにアレンジしている部分がありますのでご了承ください。
 
◆#058 桶樽職人 原田 啓司 | 明日への扉 by アットホーム
https://youtu.be/vCwH5ILsSdA
明日への扉 by アットホーム
2017/02/22 に公開

今回のエピソードはこちらからご覧ください。
http://athome-tobira.jp/story/058-har...
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『明日への扉』は、CS「ディスカバリーチャンネル」にて毎週金曜日 22:53~23:00 放送しています。
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『明日への扉』
わが国が世界に誇る、固有の伝統・文化の数々…。
先人たちが築いてきた、その知恵や技を受け継ぐ若者たちがいる。
夢を追いかけ日々研鑽する彼らの「ひたむきで真摯な姿」と普段の暮らしから垣間見える“素顔”を紹介していきます。
制作著作: アットホームホールディングス株式会社
制作協力: 日企
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やっぱり職人って呼ばれる職業って
かっこええなぁ。。。
 
…日本の技術を舐めるなよ。
 
ありがとう!このビデオは絶品です。
 
料亭や寿司屋には、絶対に離せないカテゴリー。
「銀舎利に酢味を馴染ます半蔵・仕上げの銀舎利の保存に重要な お櫃桶」此れだけのクオリテイーは、
日本独自のソーシャルスキル! もはや伝統工芸に~ 職人技術を受け継ぐ弟子、徒弟制度の復活が必要です。
日々研鑽のコメントがすばらしく、良い師匠に付いた証でしょう。
職人技術者には「これで良い」のコメントは似合いません。goodruck.
 
なんで相撲なんかに金を出してこういう若者に国が金を出さないかねぇ…。
 
◆タガ
http://gejirin.com/src/Ta/taga.html
多賀 (治曲)。
現在の滋賀県多賀町多賀。 
二尊はアマテルに皇位を譲った後、ここに宮を造って下り居る。
オシホミミは、この地で養育される (タガ若宮)。
タガは「曲・病 を治す」の意。
ニニキネの時代には、コモリ14女のアサ姫とその夫ツエが多賀の国を治めていて、通りがかったコモリから、
蚕の籠(繭)から作る糸を交差させて衣を織る方法を習う。アサ姫らは皇籠魂の神を纏り、民にも教えたところ国中に普及した。
これにより籠結国と呼ばれるようになる。また皇籠魂(クシヒコ)を籠結国の守神と称え、
籠結国は皇籠の里とも呼ばれるようになる。
  

『言は終われど 勢ひは '天に上りて 陽を還す 太陽若宮' に 留まりて 病みを治します 治汚の神』6文
『君は去年 壺を慕ひて 御幸なる タガの都を 引き移し 代のタクハタ チチ姫と 十二の局も 備われば』11文
『二尊の 御代の齢も 安らかに ヲウミのタガに 坐さんと 御子ワカヒトに 和照らす 日月を譲り ます時に』19-1文
『タガに行き 幣を捧げて ミノに行き アマクニタマの 喜びも 昔カスガに 瓜会て 生むタカヒコネ』24文
『タガに到れば ツエが妻 アサ姫迎ふ モノヌシは 桑良きを見て アサ姫に 籠交ひ衣織る 経緯の 道 教ゆれば』24文
『ミヤサキの 君の実心 安まれば 齢も老ひて 早雉の タガに告ぐれば 驚きて』27文
『タガに告ぐれば 喪に入りて "ヒウガの神" と 祭なす ヲニフに祭る "カモの神" アヒラツ山は "御祖神"』27文
 
◆職人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E4%BA%BA
職人(しょくにん、英語: craftsman、フランス語: artisan)
自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出すことを職業とする人のことである。
日本では江戸時代の士農工商の「工」にあたるが、歴史的に彼らを尊ぶ伝統があり、
大陸より帰化した陶芸工や鉄器鍛冶は士分として遇された。
彼らの持つ技術は職人芸(しょくにんげい)とも呼ばれる。
「職人」は主に工業として物を作る人間を指すことが多く、
陶磁器などでも芸術作品として作る者は一般に「陶芸家」などと呼ばれる。
また、転じて熟練した技術を持つスポーツ選手の通称あるいは異名としても使われている。
 
◆鍛冶屋(かじや)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%9B%E5%86%B6%E5%B1%8B
鍛冶屋(かじや)とは、一般的に鍛冶を行う店舗もしくはその職人を指す。
鍛冶屋とは
主として鉄製品を扱い、刃物、工具、農具などの製造、修理を行う。
一般的には、炉、鞴、金床などの設備を有しており、鉄製品の鍛造を行う。
鍛造だけでなく溶接、切断の器具を備えているものも多い。鉄を熱する際の燃料はコークス、石炭、木炭などがある。
ただし鍛造をしなければそれは鍛冶屋ではなく、鉄工所である。
また、鳶・大工・土工等と対比して、建設現場で溶接工の俗称としても使われる。
 
歴史
戦国時代には多くの刀鍛冶、鉄砲鍛冶が武器の生産に従事した。
多くの場合城下の一角に集められ、大名や武士の注文に応じた。各地に「鍛冶町」の地名が残るのはその名残である。
 
鍛冶(鍛冶屋)はもともと鋳物師らをも含む金属加工者を指し、製鉄に従事するものを「大鍛冶」というのに対し、
刀鍛冶(刀工)を「小鍛冶」と称した。
一方、包丁や農具、漁具、山林刃物などを手がける鍛冶屋は「野鍛冶/農鍛冶」と呼ばれ
、かつては日本各地に数多く存在していた。
こうした「野鍛冶」の中には明治以降に刀鍛冶や鎧鍛冶から転業した者も多い。
しかし昭和30年以降農業の機械化や安価な大量生産の刃物の流通によってこうした「野鍛冶」は大打撃を受け、
次々に廃業していった。
とはいえ現在でも伝統的な野鍛冶は日本各地に存在しており、中には松山の白鷹幸伯(薬師寺西塔の和釘で有名)など、
名工として全国に名が知られている職人も存在する。
 
歴史上有名な鍛冶屋
一例を示す。
正宗(岡崎正宗)
国友(国友善兵衛)
芝辻清右衛門(芝辻仙斎)
八板金兵衛(八板清定)
三池典太
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、鍛冶屋に関連するカテゴリがあります。
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神である。
『古語拾遺』、『日本書紀』、『播磨国風土記』に登場する。
別名は天之麻比止都禰命(あめのまひとつねのみこと)、
天久斯麻比止都命(あめのくしまひとつのみこと)、
天之御影命(あめのみかげのみこと)、
天之御蔭命(あめのみかげのみこと)、
天津麻羅命(あまつまらのみこと)、
天久之比命(あまくしひのみこと)、
天戸間見命(あめのとまみのみこと)、
天奇目一箇命(あめのくしまひとつのみこと)、
天目一箇命(あめのまひとつのみこと)、
天目一箇禰命(あめのまひとつねのみこと)、
天戸須久根命(あめのとすくねのみこと)、
天照眞良建雄命(あまてらすますらたけおのみこと)、
明立天御影命(あきたつあめのみかげのみこと)。
ひょっとこ(火男)の原型とも伝えられている。
 
天津麻羅(あまつまら)は、日本神話に登場する鍛冶の神である。
『古事記』にのみ登場し、『日本書紀』には登場しない。「神」「命」などの神号はつけられていない。
 
キュクロープス は、ギリシア神話に登場する卓越した鍛冶技術を持つ単眼の巨人であり、下級神である一族である。
あるいは、これを下敷き及びベースとして後世に誕生した伝説の生物をも指す。
 
ヘーパイストス は、ギリシア神話に登場する神である。
古くは雷と火山の神であったと思われるが、後に炎と鍛冶の神とされた。
オリュンポス十二神の一柱。神話ではキュクロープスらを従え、自分の工房で様々な武器や道具、宝を作っているという。
その象徴は円錐形の帽子、武具、金床、金鎚、矢床である。
 
鋳掛屋 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/鋳掛屋
鋳掛屋(いかけや、英語: tinker)とは、鋳掛を行う職人のこと。
鋳造された鍋、釜などの鋳物製品の修理・修繕を行う職業。鋳かけ、または「鋳鐵師」との表記もなされる。
鋳造された鍋、釜などの鋳物製品の修理・修繕を行う職業。
 
ヴェルンド - ゲルマン民族の伝承
鍛冶屋の政 - 必殺仕事人で表稼業は鍛冶師
刀工
村の鍛冶屋
 
◆鋳掛屋(いかけや)は、上方落語の演目
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%91%E5%B1%8B
いかけ屋(いかけや)は、上方落語の演目の一つ。『いかけや』『鋳掛屋』とも表記。歴代桂春團治のお家芸として知られる。
この項では成立期の演題である山上詣り(さんじょうまいり)についても記述する。
いかけ屋(道端で店を出し、壊れた鍋、釜などの鋳物製品を溶接によって修理する業者)と
町場の悪童たちとのやりとりを描いた噺。
いかけ屋は溶接の際ふいごを用いるが、ふいごのおもしろさから子どもたちにからかわれてしまって仕事にならない。
成立
もともとは『山上詣り』(『大山詣り』とは異なる)という、二場構成の噺の前半部分である。
前半はいかけ屋が主人公であるが、後半はうなぎ屋が主人公となる。
「山上詣り」とは、山伏に似た服装で大峰山の蔵王権現へ参詣する旅行者を指した呼び名であるが、戦後までに、
この風習が廃れたことと、登場人物が急変するなど、筋の運びに無理があることから、
うなぎ屋の場面はほとんど演じられなくなった。
すべての部分の口演は初代桂春團治、2代目桂小南らの録音が残されている。
 
バリエーション
うなぎ屋の場面のサゲは、山伏にかけて「どおりで、ホラ吹きやがった」というものもある(ホラガイとほら話をかけている)。
 
◆伝統技術の美しさ。曲げわっぱのお弁当箱が気になる! | キナリノ
https://kinarino.jp › 生活雑貨
2017/04/21
曲げわっぱのお弁当箱は、日本に古くから伝わる伝統工芸品なのに、とっても機能的ということをご存知でしたか?
でも、スギやヒノキなどの天然素材で作られた曲げわっぱは、見た目の可愛さだけで選ぶのは注意が必要です。
素朴でホッとする温もりを感じる曲げわっぱ。
今回は、曲げわっぱの種類とそれぞれの特徴、取扱方法などを解説していきますので、
ご自身の用途に合った選び方の参考にしてみてくださいね。
 
◆#038 大館曲げわっぱ職人 仲澤 恵梨
https://youtu.be/fwP9O71mHxg

明日への扉 by アットホーム
2017/04/19 に公開

今回のエピソードはこちらからご覧ください。
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わが国が世界に誇る、固有の伝統・文化の数々…。
先人たちが築いてきた、その知恵や技を受け継ぐ若者たちがいる。
夢を追いかけ日々研鑽する彼らの「ひたむきで真摯な姿」と普段の暮らしから垣間見える“素顔”を紹介していきます。
制作著作: アットホームホールディングス株式会社
制作協力: 日企
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ただただ素敵です。歴史を継承しようと志す若者が居ることに、それが女性である事に殊更感動を思えます。
私を含め今の人には「木製弁当箱」なんて選択が全くありません。使用用途のメリットデメリットを広めつつ
需要供給の道を開拓していってください!
ちなみに私、小学校の修学旅行で木曽に行った事のあるおっさんです…(^^;
 
曲げわっぱの弁当箱、いいですよね。
最近では安いわっぱ弁当箱が出回っていますが、漆塗りなんて酷いもので中国製の、塗装の割合がほぼ合成材料の入った液で塗られているのが現実です。
ちゃんとしたモノを買えば10年は持つと言われています。

◆別府竹細工 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/別府竹細工
別府竹細工(べっぷたけざいく)は、大分県別府市周辺で伝統的に生産されている竹細工である。
 
◆別府竹細工の歴史
https://www.city.beppu.oita.jp/06sisetu/takezaiku/02history/index.html
 別府竹細工の起源について、「日本書紀」の記述によると、人皇12代景行天皇が九州熊そ征伐の帰りに別府に立ち寄った際、
 お供の膳伴(台所方)が、良質のシノダケが多いことを発見し、メゴ(茶碗籠)をつくったことがはじまりとされています。
 
 本格的に工芸品として扱われるようになったのは室町時代からだとされ、
 行商用の籠が販売のために生産されるようになり、竹細工の市場が整備されていきました。

 江戸時代に入ると、日本一の温泉地別府の名が全国に広がり、各地から別府へ湯治客が集まるようになりました。
 そして湯治客が滞在中に使用する飯籠、米あげ笊(ざる)といった竹製の生活用品が売られるようになりました。
 竹製品は湯治客の土産品としても好評で、需要の増加と共に竹細工市場は拡大し、別府に地場産業として定着していきました。
 
◆別府竹細工「Bamboo bamboo」
http://www.gokuraku-jigoku-beppu.com/entries/bamboo-bamboo
大分県が誇る伝統工芸、別府竹細工。「Bamboo bamboo(バンブーバンブー)」は、
10人ほどの竹細工職人が手掛ける竹製品を扱う、数少ない別府竹細工専門店。
お箸、竹かご、ざる、バッグ、キッチン用品、インテリアなど、
伝統の技から生まれた暮らしに寄り添う竹製品が並ぶ。
 
◆ツゲ(柘植) - 庭木図鑑 植木ペディア
https://www.uekipedia.jp/%E5%B8%B8%E7%B7%91%E5%BA%83%E8%91%89%E6%A8%B9/%E3%83%84%E3%82%B2/
【ツゲとは】.
ツゲの花は3~4月に咲く
寒い地方では冬季に葉が褐色になる
・本州中南部~九州を原産とする常緑低木。材から櫛や印鑑、木箱を作ることで知られる。
・一般にツゲとして庭木に使われるのはモチノキ科の「イヌツゲ」である。本種とは異なるが、
葉の大きさや形が似ているため、しばしば混同される。
・3~4月ころに写真のようなクリーム色の小花を咲かせる。観賞価値は乏しいが、ミツバチが集まる蜜源となる。
また、秋になると黄褐色の実ができる。
・成長はかなり遅く、幹の直径が10センチになるのに80年近くかかるとされる。
このため木目が細かく良質の材木となる。ソロバンや将棋の駒、琵琶のバチにも使われる。
・細かな葉が次々に層を成すことから「継ぐ」が転訛してツゲになったとする説や、
木目が丈夫なために、「強木目木(つよきめぎ)」とされ、それが転訛したとする説などがある。
 
◆別府つげ工芸
http://www.tsuge-kushi.com/shop_item.html
つげブラシ・つげ細工品販売
十二支ストラップ
販売価格 ¥1,000(税別)
earpick
薩摩つげ耳かき
販売価格 ¥2,000(税別)
earpick-charm
薩摩つげ耳かき(十二支チャーム付き)
販売価格 ¥2,300(税別)
 
◆根付 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E4%BB%98
根付(ねつけ、ねづけ)とは、江戸時代に煙草入れ、矢立て、印籠、
小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。
江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和、平成の現代根付に大別される。

製作国の日本以上に、日本国外では骨董的蒐集品として高く評価されている。
日本では郷誠之助と高円宮憲仁親王とが蒐集家として著名である。
2人が遺した膨大な蒐集品は、いずれも東京国立博物館に寄贈され、その名を冠したコレクションとして所蔵されている。
 
◆根付とは何ですか?
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mystudy/kikite/what%20is%20netuke/what%20is%20netsuke.htm
 根付(根附、ねつけ、ネツケ、根付け、Netsuke)とは、
ポケットのなかった江戸時代において、印籠や巾着、煙草入れなどの提げ物(さげもの)を腰の帯にさげて携帯するため、
紐の先に結わえて使用する滑り止めとして作られ、装飾美術品の域にまで発達した、日本独自の小さな細密彫刻 のことです。
「根付」の語源は諸説ありますが、提げ物の根元に結び付けられて、着物の帯の上に引っかけて提げられたことから、
”根付”と呼ばれたようです。歴史上、文献で最初に”根付”という語が現れるのは、
寛文十一年(1671年)の『寶藏』が最初だといわれています。
提げ物とは、印籠、巾着、煙草入れ、火打ち袋、矢立、煙硝入れなど、小道具を腰から提げて携帯するものの総称です。
左の写真をご覧下さい。丸い根付が帯の上に引っかけられて、煙草入れと煙管入れが帯下にぶら下がっています。
これが根付です。帯の上の目立つところに根付は身に着けられました。そのため、彫刻に贅を尽くした細工物の装飾品として、
江戸時代の着物文化とともに根付は発達しました。ポケットを持たない和服を着るときは、
根付は欠かせない必需品でした。
海外でも”Netsuke”という言葉は良く知られています。ネツケという単語は、
日本でよりもむしろ外国の方で良く通じることがあります。 
古根付(こねつけ)と呼ばれる江戸時代の古い根付は、だいたい17~18世紀頃に初期の根付が形作られ、
18世紀後半から19世紀前半の約1世紀に渡り発達を遂げました。文化・文政時代(1804年-1830年)から
江戸時代の末期までが最盛期といえます。...
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mystudy/kikite/what%20is%20netuke/netsukeobi2.jpg
 
◆【伝統を繋ぐ人々】伊勢根付/梶浦明日香さん - 四季の美
https://shikinobi.com › 伝統を繋ぐ人々
【プロフィール】
梶浦 明日香(かじうらあすか)
伊勢根付職人
根付の粋な遊び心、細かな彫りの美しさだけでなく、一生現役・一生成長という職人の生き方、仲間と助け合い自然とともに
暮らす師匠の生き方に憧れを抱き、2010年、取材を通じて出会った中川忠峰氏に弟子入りし、根付職人となる。
また次世代の若手職人の活動の幅を広げるべく、様々な伝統工芸を担う若手職人のグループ『常若』を結成。
各地で展示会やワークショップを開くなど、新たな担い手の育成にも力を注ぐ。

元NHK名古屋放送局・津放送局キャスター
NHK時代に『東海の技」というコーナーを担当し、様々な職人を取材。伝統工芸の素晴らしさやそこに込められた思いに
感銘を受けるとともに、このままでは多くの伝統工芸が後継者不足のため失われてしまうと危機感を感じ職人の世界へ。

2014年 パラミタミュージアムにて高円宮家所蔵の根付展と併せて開催された根付展へ出品
2016年『飛騨高山現代木彫根付公募展』 優秀賞
2016年 伊勢志摩サミット会場のホテルにて展示

2012年『ゆかたキレイコンテスト』全国グランプリ受賞
着物の文化が牽引してきた日本の伝統工芸も多くあることから、『ゆかたキレイコンテスト』に根付をつけて出場し、
全国グランプリに。
日本の着物文化の素晴らしさをつたえるため、日本の国際文化交流親善大使として国内外で着物のショーに出演するなど、
着物文化の広報活動にも力を入れている。
◆#063 伊勢根付職人 梶浦 明日香
http://www.athome-tobira.jp/story/063-kajiura-asuka.html
https://youtu.be/GwCdvEetxig
 
◆トピック展示 『江戸の粋、印籠』紹介
https://youtu.be/AF51rywstzg
kyuhakuchannel
2013/01/20 に公開

現在、開催中【平成24年12月19日(水)〜平成25年3月10日(日)】のトピック展示 『江戸の粋、印籠 - フィンランド・クレスコレクション』を、担当学芸員がご紹介します。
 
◆印籠 - 八光堂
https://www.hakkoudo.com/ninki-sakka/%E5%8D%B0%E7%B1%A0/
テレビドラマの水戸黄門でも有名な印籠。本来は薬などを入れるために用いられていたものですが、
江戸時代に入るとファッション感覚で印籠を使用する人が増えてきました。
現在で言うところの携帯電話のストラップのような感覚でしょうか。
元々は武士が礼装である袴を着る時、印籠を提げるという習慣がありました。
しかし、江戸時代になると武士たちはハイセンスなアクセサリーとして、
一般市民の間でも流行品として捉えられるようになりました。
印籠は通常、漆細工で作られることが多いのですが、このような歴史的経緯から印籠には工芸品の技術が使われるようになり、
もはや本来の役目である容器の領域を完全に超えています。
印籠は男性用装具。江戸時代の印籠の価値はある意味で男性にとって地位や名誉の象徴と考えることも出来ます。
つまり、誰が最も派手な装飾品に出来るか、オシャレな装飾品に出来るかという点にこだわって作られるようになったのです。
例えば、現代に置き換えると腕時計のようなものと考えれば分かりやすいでしょう。
特に当時から高級とされていた印籠は武士や大名、豪族、天皇など、かなり高い階級の人たちが所有していたものです。
前述したような経緯から名工と呼ばれるようなプロフェッショナルな職人に制作させていたのです。
そのため、後年贋作も多数出回ることになるのですが、本物の印籠はやはり見栄えからして違います。
それもそのはず。職人の腕ももちろんですが、階級の高い人が使うものであるため、素材にもかなりこだわりがあるのです。
現在、海外に流出している作品が多く、印籠はコレクター向けのアイテムに変わっています。日本に点数が残っていない理由。
それは明治維新期に江戸時代の習慣や装飾品が処分されてしまったからです。
つまり、過去の文化を否定する流れの中で諸外国から芸術品として評価されたことにより、その多くが日本から持ち出されてしまっています。
非常に勿体ないのですが、その分、アンティークとしては価値が高まっているのが骨董買取 印籠なのです。
 
◆熊野の木箱職人: 印籠蓋 - 上古代折箱店
https://www.kibako.net/blog/2011/05/post_926.html
熊野の木箱職人
木箱・折箱情報の他、熊野の食・美を熊野人「上古代隆昌」が紹介します
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印籠蓋
大阪の設計事務所さんから依頼で印籠蓋木箱依頼がありましたよ
依頼内寸法 高さ3センチ・・・・
すみません
高さ3センチで製造したら、最初はいいですけど、後から蓋反ってきますよ
当店では6センチは必要ですとお客様に伝えるのですが・・・・・
なんとかと言うことで、底上げで製造してもいいならできます
 
◆世界的に有名なナイフ職人が作りだすボールペンとは?
https://ima.goo.ne.jp/column/article/5168.html
2017/8/16 17:00 ブーストマガジン ブーストマガジン ライフスタイル
文:水谷祐司
 みなさん、こんにちは。「Mのブツ欲日記」の水谷です。
 前回の【王室、皇室ご用達】普通の傘より高い?すごいビニール傘に続き、今回お送りするのは「ボールペン」。
 と言っても皆さんが普段よく使われている百円ボールペンとも、老舗ブランドのそれとも全く別世界のもので、
 レザーマンなどの工具にも似た重量感や存在感、硬質感は“ギア好き”には堪らない、持っているだけで気分がアガる
 ボールペンです。お値段は数万円から十万円台と決してお安くはありませんが、
 確実に“家宝級”であることは間違いありませんので、ご興味のある方は是非ご覧ください。
 
◆木のボールペン制作
https://youtu.be/BO5apS-mUTk
Kazuhiro Nohara
2009/04/13 に公開
長野県の妻籠宿で好評実演制作中の野原工芸の『木のボールペン』の制作風景です。
より詳しい情報は野原工芸のウェブサイトから→
http://www.nohara.jp
 
樹種によって異なります。また同じ樹種でも硬いもの柔らかいものあります。
 
◆琉球漆器螺鈿技法
https://youtu.be/4HurPIgHlIQ
 
◆琉球漆器最古の老舗 角萬漆器|琉球漆器とは
http://www.kakuman.jp/ryukyu/index.html
沖縄の漆器の歴史は長く、中国との貿易が盛んであった琉球王国時代14~15世紀頃中国から伝わったとされています。
漆器の特徴として乾燥するには温度と湿度が必要であり、年平均気温22.4℃、湿度77%の沖縄は漆器を作るのに
非常に優れている環境です。

沖縄の漆器の歴史は発掘調査による出土品から13~14世紀ごろには存在していたと思われます。
15世紀に統一された琉球王国の王府の中には「貝摺奉行所」(かいずりぶぎょうしょ)を設け、
そこで漆器の制作を管理していました。貝摺奉行所が記録として出てくるのは1612年ですが、
それ以前から組織的に漆器を制作していたと考えられます。
 
◆琉球漆器最古の老舗 角萬漆器|漆の加飾技法
http://www.kakuman.jp/ryukyu/technique.html
琉球の
漆器 漆の加飾技法
堆錦 (ついきん)
漆に顔料を混ぜて練られた「堆錦餅(ついきんもち)」と呼ばれる材料を薄く延ばして文様の形に切り抜き貼り付ける技法です。
クロメ漆に顔料を飽和状態になるまで混入し、餅状にして薄く延ばし文様に切り取って漆面に貼り付け、立体的な表現をします。
この堆錦餅の練り上げの際には、餅状になるまで顔料を練り込むのですが、沖縄ではその高温多湿な気候が
乾燥(固化)を早めてしまうので、「焼漆(やきうるし)」と呼ばれる特殊な漆の調整方法で乾燥を抑えます。
乾燥を抑えることで、顔料を均等に練り込み、色彩豊かな堆錦餅を作り出します。
この焼漆は、日本の他の地域では漆の乾燥(固化)を強力に抑制することが知られています。
堆錦の技法は1715年に比嘉乗昌(ひがじょうしょう)氏によって創始されたと歴史書『球陽』(きゅうよう)に
記録されていますが、その着想は、
堆彩漆(ついさいしつ)
・堆朱(ついしゅ)
・漆絵(うるしえ)
・密陀絵(みつだえ)の技法から得られたものだと思われます。
堆朱が立体的な文様を加飾する技法であり、漆絵・密陀絵が豊かな色彩表現を行う技法であり、
堆錦はこの2種の技法での表現を、組み合わせて加飾するための技法といえるでしょう。
堆錦という加飾技法の特徴は、顔料による豊かな色彩と精緻な造形を挙げられます。
他の技法に比べてもその表現力は高く、絵画的文様を漆器に施すという点に優れた技法です。

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