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自然の中を散策!な日々

身近な美しい自然を ご紹介していきます

吉田神社・・朝日三角山遺跡と日本武尊

2016年01月23日 | 日記
常陸第三宮 吉田神社

創建の年紀は詳らかではないが、当社の古文書によれば正安4年(西暦1301年)は、
御創建以来800余年に当たるとあるので、
これより推定すると、顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の御代の間に遡るもののようです。

御祭神 日本武尊 〔ヤマトタケルノミコト〕
日本武尊は、第12代景行天皇の第2子で、幼名を小碓命(オウスノミコト)といいます。
豪胆で武勇に優れた行動的な性格で、その上愛情に富み、その世界に生きようとする浪漫的性格をも併せ持つ英雄です。


一の鳥居
ここ実は館内に駐車場があり、車で来ると鳥居をくぐりません。
なので下まで下り鳥居をくぐって参拝しました。


階段途中の平地に保存樹があります。 
ケヤキ 推定樹齢300年


階段を上り切った所に三の鳥居



三の鳥居から参道を見下ろす。



朝日三角山遺跡
日本武尊が東夷平定の帰途、常陸を過ぎて兵をこの地朝日山に留めて休ませた事を以って、
この地に神社を創建し日本武尊を奉祀した。
日本武尊の御休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め、
神聖な処として伝え残されています。


三角山
聖地であり三角に仕切られた場所が三角山です。
ここに御神木があります。


日本武尊御遺蹟は、「朝日三角山」とも言われ、日本武尊が御旗を朝日に輝かせ、
四方を展望された由縁の場所で、古くから聖地とされてきた。


日本武尊は東征のとき、舟で那珂川をさかのぼって、この地に上陸し
三角山で宿営したと伝わっています、翌朝すがすがしい朝日の昇るのをご覧になったので、
三角山は朝日山とも呼ばれ、聖地とされてきました。


祭神日本武尊御遺蹟


三角山を過ぎると四の鳥居


随神門
随神門は、社に邪悪なものが入り込まないように、守護する二神の像を左右に安置する門です。


手水舎



天満宮
天満宮は、学問や詩の神様としてあがめられる天満天真(菅原道真)を祀るお社です


随神門と拝殿
国土鎮護の御神徳
景行天皇40年(西暦110)日本武尊が東国地方を鎮められ、
西国地方と供に平和で豊かな国土を築きました。
平和共存・国家安泰・庶民和合の為に功績を残された大神です。

健康守護の御神徳
「尊は幼き時より雄々しく気力有りて容貌優れ身長一丈御力強くたくましき」(日本書紀)
と記されています。
昔より健康守護の神として出生時の初宮詣り・子供の成長祈願(七五三詣り)等、崇敬篤い大神です。

武道守護の御神徳
尊は強い信念のもとに、筑紫の熊襲を征し、東国の蝦夷を平定しました。
武の大神として崇められています。武とは悪を退け、正道を求めることです。

交通安全の御神徳
尊は東国に西国に、陸路・海路・水路を開きながら国土平定を成し遂げられ、
古くより旅の安全・交通の安全を守護する大神として崇められてきました。

縁結びの御神徳
境内に「縁むすび笹」という篠があり、笹の葉を結ぶと良縁に恵まれると
古来よりの言い伝えがあります。

建暦3年(1213)社司解状に「当社は国内第三の鎮守にして霊験無二の明神也」と、
五穀豊作・家内安全・商売繁昌・諸災消除・病気平癒・厄難消除・学業成就・安産守護等の
御神徳があります。



吉田神社並朝日三角山由緒の碑と藤の木

後鳥羽天皇は建久4年(1193)国司に勅して社殿を改造せられ12月遷宮式を行い、
これより後は鹿島神宮(旧官幣大社)の遷宮についで当社の遷宮が行われるのを例とした。

次いで亀山天皇は弘長元年(1261)2月20日本社の神位を従一位より正一位に進め、
後陽成天皇の父、誠仁親王は天正4年(1576)に御手ずから第三宮の三字を記され、
大宮司田所清恒に賜り当社の扁額とされた。

更に後光明天皇の慶安元年(1648)10月には、大将軍源家光が「吉田宮印」の朱印を下され、
権中納言源頼房は水戸に封ぜらるるや尊の功烈を慕われ、

その子贈大納言源光圀に至っては、尊崇最も敦く旧制に従って
本殿(神明造)拝殿・神殿・神楽殿・宝蔵・階・玉垣等を造営し、八乙女・神楽男五人を置き
盛大な斎祀を行われた。

 ホームページより 


吉田神社の夕日


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