大洗磯崎神社(おおあらいいそさきじんじゃ)
六国史の一つ『文徳天皇実録』によると、
856年(斉衡3年)十二月二十九日条に常陸国鹿島郡の大洗磯前に神が表れたといいます。
ある夜、製塩業の者が夜半に海を望むと天が光り輝いているのが見えました。
次の日、海辺に二つの奇妙な石があり、両方とも一尺ほどだったそうです。
さらに次の日には二十余の小石が 二つの怪石の左右に侍座するようにならび出現していまた。
怪石は彩色が派手で、沙門(しゃもん)(修行僧) の姿をしていました。
神霊は人に依って(よって)(里人の一人に神がかりして人々に教えられました)
「われは大奈母知 (おおなもち)・少比古奈命 (すくなひこなのみこと)である。
昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきた」
と託宣(たくせん)しました。(斉衡3年12月戊戌条)
この二神のうち、大己貴命 (大奈母知)を大洗に祀り、少彦名命 (少比古奈命)を酒列に祀り、
両社の創建となったそうです。
即ち当神社は御創立の当初から東国の総守護神として、大神様御自ら此の大洗の地を選び、
御鎮座になったのであります。

神磯の鳥居
大御降臨の地を神磯(かみいそ)と称云う。
海岸の岩礁に最初に神が影向(神霊が出現すること)したと言われるところがあり、
そこに鳥居(神磯の鳥居)がたてられました。
岬は陸地と海原の境界であり、この世と異界の境界であると同時に両者を繋ぐところでもあります。
岬に神が降臨したのは、
岬が (神が天界からこの世に来るための) ゲートだったからだといえそうです。

随神門は、江戸時代末期頃に建てられたと思われます。
正面が三間、側面二間、切妻造(きりづまづくり)、銅版葺(どうばんぶき)となる欅造(けやきづくり)、立派な彫刻が多い門で、
頭貫(かしらぬき)の木鼻(きばな)は「籠彫」(かごぼり)と称される透彫(すかしぼり)の彫刻です。
海に近いからか「波」の模様が多く、正面と背面の中央の蟇股彫刻(かえるまたちょうこく)には
祭神のご威徳を表す「因幡の白兎」が彫られています。
主祭神:大己貴命(大国主命)
配祀神:少彦名命
主祭神 大己貴命(おおなむち のみこと)は、神々の中でも中心的な位置を占める神で、
大国主命などの別名を持ち、記紀神話では素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子または子孫とされ、国造りを行なったそうです。
またこの神社のご祭神は昔から大己貴命を大国様(大黒様)、少彦名命を恵比須様と親しまれ、
家内安全、商売繁昌、福徳円満、良縁成就、開運厄除の大神、更には酒造、病難治療の祖神としてあらたかなご神徳により広く厚く信仰されております。