世界遺産 東寺の五重塔【国宝】
江戸時代(寛永21年/1644年)に再建した五代目です。
真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。
東寺「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)
春の特別拝観があり五重塔の中が公開されていて、
最終日でしたが拝観できました。
東寺は平安京鎮護のための官寺として建立され。
東寺・西寺は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、
さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という
意味合いを持った官立寺院です。
現在 西寺は残っておらず東寺のみです。
京都駅より徒歩で行った為、駐車場入口隣りの東門から拝観
宝蔵 (平安時代)【重要文化財】
弘法大師空海が唐の国師、恵果(けいか)から授かり、現在、
国宝となっている密教法具や両界曼荼羅(りょうかいまんだら)、
犍陀穀糸袈裟(けんだこくしのけさ)、仏舎利、五大尊(ごだいそん)など数多くの
寺宝を納めていました。
その為、周囲は堀で囲まれ、火事による延焼に備えていました。
扉の取付け方法は、平等院鳳凰堂と同じで使われている瓦も平安時代のものです。
食堂じきどう (平安時代)(昭和8年/1933年)
本尊は6mの千手観音菩薩。足利尊氏は当時に本陣を置き、
この食堂に居住していたこともありました。
いまの建物は1930年に焼失後3年をかけて完成。
本尊の千手観音菩薩の周りを、3mを越す(持国天じこくてん、
増長天ぞうちょうてん、広目天こうもくてん、多聞天たもんてん)の
四天王が護っていました。
本尊と四天王は、かつて旧国宝でしたが、昭和5年/1930年の火災で
本尊と四天王も大きく焼損。
千手観音菩薩は修復後、宝物館に安置され食堂の本尊は十一面観音菩薩となりました。
四天王は、まだ修復されておらず、
今も激しく焼損が残ったまま十一面観音菩薩をしっかり守護しています。
(今後修復 予定のようです)
講堂 室町時代 (延徳3年/1491年)【重要文化財】
東寺の中心つまり密教の中心的建物
国立の寺院だった東寺を託された弘法大師空海は、
人生のすべてを注いで、密教という教えを伝えようとしました。
その中心的な建物として位置づけたのが講堂です。
承和6年/839年に完成。
弘法大師空海御作
【国宝】二一体佛が安置されています。
完成当時は講堂と金堂の周囲を廻廊が巡りふたつの大伽藍を
つないでいました。
しかし、文明18年/1486年に金堂、南大門などとともに焼失。
金堂が桃山時代・南大門が江戸時代にようやく再建したのに対し、
講堂は焼失より5年後に、最優先に再建されました。
金堂 桃山時代(慶長8年/1603年)【国宝】
平安遷都とともに建立された東寺。
東寺の本堂が金堂です。
本尊は、あらうる病から人々を守ってくれる薬師如来と日光菩薩、月光菩薩。
平和で安泰であれ、と願う桓武天皇の思いだったのかもしれません。
平安京の正門(羅城門)を挟んで建立された東寺と西寺。
延暦15年/796年に東寺が創建され最初に工事がはじめられたのが金堂です。
金堂には、朝廷が造営した官寺、
つまり国立の寺院にふさわしい壮厳な姿が求められました。
以後600年以上、都の正面で威風堂々とその姿を残していました。
しかし、文明18年/1486年に焼失。
いまの建物は、関ヶ原の合戦後に落慶しました。
宋の様式を取り入れた天竺様(てんじゅくよう)と和様を
合わせた桃山時代の代表的な建物。
屋根の切り上げは、東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも
見られる形です。
本尊の薬師如来は、薬壺(やくこ)を持たない古い様式の仏像で
光背に七体の化仏を配する七仏薬師如来です。
右側に日光菩薩、左に月光菩薩。
薬師如来は、文明18年/1486年に
金堂と共に焼失した後、
桃山時代を代表する仏師、康正(こうしょう)により
復興された彫刻史上に残る薬師三尊です。
五重塔【国宝】
55mと木造建築としては日本一の高さです。
五重塔とは、仏陀の遺骨を安置するストゥーバが起源とされ
東寺の五重塔にも弘法大師空海が唐から持ち帰った
仏舎利を納めています。
落雷などで、4度ほど焼失しましたが、
そのたびに、再建されました
御影堂〈大師堂〉
弘法大師空海がお住まいだった御影堂。
ここで講堂の立体曼荼羅を構想し造営工事の指揮をとりました。
弘法大師空海がお住まいだった頃と同じ様に御膳をお供えする
生身供(しょうじんく)が今も行われています。
毘沙門堂
兜跋毘沙門天【国宝】・不動明王・愛染明王が祀られていました。
毘沙門天は現在、宝物館に移されています。
大日堂
江戸時代もともとは、御影堂の礼拝所でした。
その後、桓武天皇・嵯峨天皇をはじめ足利尊氏の位牌を納め
(尊牌堂そんはいどう)となり、
大日如来を本尊としたことで大日堂となりました。
今は先祖供養などの回向所になっています。
小子房
天皇をお迎えする特別なところです。
小子房庭園
小子房庭園
小子房庭園
蓮花門れんげもん【国宝】
弘法大師空海は晩年、この門から高野山に向かいました。
隠棲のため東寺を後にする、その日、多くの人々が別れを惜しむなか、
空海自らが念持仏として西院に祀っていた不動明王が、
この門に現れ空海を見送ったといわれています。
その不動明王の足下や歩んできた跡に蓮花が咲いたと言われ、
それに因んで、この門を蓮花門と呼ぶようになったのだそうです。
天皇をお迎えする際の専用門です。
国宝・重要文化財が多数あり
帰りにもう一度拝観させて頂きました。
江戸時代(寛永21年/1644年)に再建した五代目です。
真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。
東寺「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)
春の特別拝観があり五重塔の中が公開されていて、
最終日でしたが拝観できました。
東寺は平安京鎮護のための官寺として建立され。
東寺・西寺は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、
さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という
意味合いを持った官立寺院です。
現在 西寺は残っておらず東寺のみです。
京都駅より徒歩で行った為、駐車場入口隣りの東門から拝観
宝蔵 (平安時代)【重要文化財】
弘法大師空海が唐の国師、恵果(けいか)から授かり、現在、
国宝となっている密教法具や両界曼荼羅(りょうかいまんだら)、
犍陀穀糸袈裟(けんだこくしのけさ)、仏舎利、五大尊(ごだいそん)など数多くの
寺宝を納めていました。
その為、周囲は堀で囲まれ、火事による延焼に備えていました。
扉の取付け方法は、平等院鳳凰堂と同じで使われている瓦も平安時代のものです。
食堂じきどう (平安時代)(昭和8年/1933年)
本尊は6mの千手観音菩薩。足利尊氏は当時に本陣を置き、
この食堂に居住していたこともありました。
いまの建物は1930年に焼失後3年をかけて完成。
本尊の千手観音菩薩の周りを、3mを越す(持国天じこくてん、
増長天ぞうちょうてん、広目天こうもくてん、多聞天たもんてん)の
四天王が護っていました。
本尊と四天王は、かつて旧国宝でしたが、昭和5年/1930年の火災で
本尊と四天王も大きく焼損。
千手観音菩薩は修復後、宝物館に安置され食堂の本尊は十一面観音菩薩となりました。
四天王は、まだ修復されておらず、
今も激しく焼損が残ったまま十一面観音菩薩をしっかり守護しています。
(今後修復 予定のようです)
講堂 室町時代 (延徳3年/1491年)【重要文化財】
東寺の中心つまり密教の中心的建物
国立の寺院だった東寺を託された弘法大師空海は、
人生のすべてを注いで、密教という教えを伝えようとしました。
その中心的な建物として位置づけたのが講堂です。
承和6年/839年に完成。
弘法大師空海御作
【国宝】二一体佛が安置されています。
完成当時は講堂と金堂の周囲を廻廊が巡りふたつの大伽藍を
つないでいました。
しかし、文明18年/1486年に金堂、南大門などとともに焼失。
金堂が桃山時代・南大門が江戸時代にようやく再建したのに対し、
講堂は焼失より5年後に、最優先に再建されました。
金堂 桃山時代(慶長8年/1603年)【国宝】
平安遷都とともに建立された東寺。
東寺の本堂が金堂です。
本尊は、あらうる病から人々を守ってくれる薬師如来と日光菩薩、月光菩薩。
平和で安泰であれ、と願う桓武天皇の思いだったのかもしれません。
平安京の正門(羅城門)を挟んで建立された東寺と西寺。
延暦15年/796年に東寺が創建され最初に工事がはじめられたのが金堂です。
金堂には、朝廷が造営した官寺、
つまり国立の寺院にふさわしい壮厳な姿が求められました。
以後600年以上、都の正面で威風堂々とその姿を残していました。
しかし、文明18年/1486年に焼失。
いまの建物は、関ヶ原の合戦後に落慶しました。
宋の様式を取り入れた天竺様(てんじゅくよう)と和様を
合わせた桃山時代の代表的な建物。
屋根の切り上げは、東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも
見られる形です。
本尊の薬師如来は、薬壺(やくこ)を持たない古い様式の仏像で
光背に七体の化仏を配する七仏薬師如来です。
右側に日光菩薩、左に月光菩薩。
薬師如来は、文明18年/1486年に
金堂と共に焼失した後、
桃山時代を代表する仏師、康正(こうしょう)により
復興された彫刻史上に残る薬師三尊です。
五重塔【国宝】
55mと木造建築としては日本一の高さです。
五重塔とは、仏陀の遺骨を安置するストゥーバが起源とされ
東寺の五重塔にも弘法大師空海が唐から持ち帰った
仏舎利を納めています。
落雷などで、4度ほど焼失しましたが、
そのたびに、再建されました
御影堂〈大師堂〉
弘法大師空海がお住まいだった御影堂。
ここで講堂の立体曼荼羅を構想し造営工事の指揮をとりました。
弘法大師空海がお住まいだった頃と同じ様に御膳をお供えする
生身供(しょうじんく)が今も行われています。
毘沙門堂
兜跋毘沙門天【国宝】・不動明王・愛染明王が祀られていました。
毘沙門天は現在、宝物館に移されています。
大日堂
江戸時代もともとは、御影堂の礼拝所でした。
その後、桓武天皇・嵯峨天皇をはじめ足利尊氏の位牌を納め
(尊牌堂そんはいどう)となり、
大日如来を本尊としたことで大日堂となりました。
今は先祖供養などの回向所になっています。
小子房
天皇をお迎えする特別なところです。
小子房庭園
小子房庭園
小子房庭園
蓮花門れんげもん【国宝】
弘法大師空海は晩年、この門から高野山に向かいました。
隠棲のため東寺を後にする、その日、多くの人々が別れを惜しむなか、
空海自らが念持仏として西院に祀っていた不動明王が、
この門に現れ空海を見送ったといわれています。
その不動明王の足下や歩んできた跡に蓮花が咲いたと言われ、
それに因んで、この門を蓮花門と呼ぶようになったのだそうです。
天皇をお迎えする際の専用門です。
国宝・重要文化財が多数あり
帰りにもう一度拝観させて頂きました。