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浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

病院食美味しくない当たり前

2024-07-16 17:36:00 | お知らせ
私も過去に何度か入院を経験しましたが、病院食がおいしかったという経験はありません。病院食は、美味しくないとみんな口々に言われます。先日、その病院食を調理されている方が、お参りにいらっしゃいまして、朝の4時から入院患者さんと職員さんのお食事を200食以上調理するそうであります。私はその話を聞いて、病院食が美味しくないなんか言っちゃダメだと思いました。
病院食が美味しくないのは当たり前です。それは、入院患者さんは好きで入院してるわけじゃないからであります。どんなに高級な食事を出されたとしても、病院で食べるのは美味しくないとは思います。自然豊かな公園や景色の良い山頂や気の合う人と海辺で食べる食事は、美味しく感じるのです。そしてお腹が空いていれば、何でも美味しく感じるのであります。逆にお腹が調子が悪かったり、それほど空腹でなかったりすれば、どんな食事を食べても美味しくないのであります。私は、どちらかと言えばあまり食事に興味がなく、おいしいだとか、美味しくないだとかあまり気になりません。それよりも作ってくれた人に対して、ありがたく、いただくだけであります。おいしいだとか、美味しくないだとか言うのは贅沢であります。そして、その食事は、すべて他の命をいただいていることを忘れてはならないのであります。

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欲は生きる原動力

2024-07-15 20:01:00 | お知らせ
自分の欲しいもの、全ては手に入りません。たとえ、すべてのものを手に入れたと思っても、満足するのは一瞬で、また何かを欲しがるのが人間であります。欲に限りはございません。欲のことを願いと言い換えることができます。しかし、欲と願いは全く違います。欲は自分の幸せのことです。願いは他の幸せを願うことです、仏様は他を幸せにすることが生きる目的であります。私たちは、自分が幸せになることが人生の目的であります。生きる目的が違います。私たちは、欲がなければ生きていても、面白くありません。欲があればこそ、人生は楽しいともいえます。私もネットショッピングでものを選んでいる時はとっても楽しい。今、我慢してれば、いつかは、幸せになれるとそう思っても、明日生きてるかわからないのであります。欲があるという事は、元気な証拠です。病は気からであります病気を知れば、欲もなくなり、元気もなくなります。今やりたいことがある、欲しいものがある。それは、幸せな証拠なのです。阿弥陀如来は、欲をなくせとは申しません。そんなことは、できない事は承知だからであります。その欲のままに、必ず、浄土に救うと願う仏様は、阿弥如来しかいらっしゃいません。食欲もなくなったら、人生面白くありません。あれは体に悪い。これは体に悪いと食べたいものも、我慢していたら、長生きできるかといったら、そんなこともないのであります。人間は定命と言って、この世に生まれた時から、寿命は決まっているのです。

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図々しい乞食

2024-07-14 14:47:00 | お知らせ
今月号の月刊住職を読んでおりましたら、テレビのコマーシャルでお馴染みの高須クリニックの高須院長が執筆をされておられまして、読んでいて驚いたのは、真宗大谷派の僧籍をお持ちだと言うことです。しかも、もう13年も前からだそうです。動機は2つ、1つは子供の頃から親鸞聖人の教えに接してきて尊敬されていたこと。そして、もう一つは22年前に奥様とお母様を立て続けに亡くされたこと。また僧侶への反発もあったと書かれていらっしゃいました。僧籍を取る前に、先生から「僧侶に対して、どのように思われていらっしゃいますか」と言う質問に対して、怒らないでくださいねと前置きし、一言で言って「図々しい乞食」と答えたと書かれていらっしゃいました。それで1度目は試験に落ちたと書かれていらっしゃいました。僧侶になってよかったことも書かれていらっしゃいます。美容外科医と言う肩書きが有名ですけれども、本業はお医者様である高須先生は、患者様と接することが多い中で、誰もが死ぬのを怖がっている。そういう患者さんに対して、「死ぬのは怖くないよ」。そう言ってあげるだけで、すごく安心されます。「僕は、何回も死にかけて、手術をやって心臓が止まったこともある。生き返っちゃったけど、死ぬ時は気持ちいいぞ」って言うとみんな「楽しみです」って喜んでくれますよ。しかし最後に世の中が変わってきてるから、お寺としても経営の部分だけはアップデートしていかないといけないと思います。お金と言うのは、エネルギーですから、自分が動くために必要だし、人を動かすためにも大事なものです。航空燃料みたいなもので、なければ墜落しちゃうし飛べない。だから補給はすごく大事なんだけど、燃料を詰め込みすぎるのは、着陸するときに重すぎて着陸できなくなるんです。人生もいつかは着陸があります。死ぬときまでに、お金は使い切るのが理想です。いただいたものを、お返しすると言うことです。自分の肉体ですら、この世で貸してもらっている借り物なんだから。

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はて?浄土真宗何派ですか?

2024-07-13 19:57:00 | お知らせ
今日は朝から、法事のご依頼のお電話は頻繁にいただきまして、やはり7月のお盆だからでしょうか。
これからお盆の時期になると、テレビなどでは、墓じまいやら、檀家を離れるための離断料に何百万円請求されたとか、そんな話題がニュースになったりいたします。全く嘘では無いとは思いますけれども、すべてのお寺でそのように請求されるようなニュースにするのはやめてほしいと思います。浄土真宗の寺も、他の宗派にも、様々な派がございます。京都の西本願寺を本山とするのが、浄土真宗本願寺派です。東本願寺を本山とする寺が真宗大谷派です。浄土真宗とだけ書いてある。お寺は単立宗教法人と言って包括団体に入っておりません。特に、こだわらない方は良いのでございますが、問題は京都の西本願寺に大谷本廟という親鸞聖人の遺骨が納められた墓所がございます。本来は、大谷本廟に分骨をするのか、昔からの西本願寺の習わしとして伝わっています。納骨する場合は、住職の印鑑が必要でございます。そこには、正式な浄土真宗本願寺派のお寺の住職のサインと印鑑でなければ、受け付けてくれません。葬儀社さんなので紹介されるお寺さんが、本当に正式な包括団体に所属しているお寺かどうか確かめた方がよろしいかと思います。そもそも、袈裟と衣を着ていれば、お坊さんには見えますが、本当に正式な僧侶の資格をお持ちかどうかなども怪しいのであります。




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法事が出来ない方いる

2024-07-12 23:12:00 | お知らせ
今日も、雨の中49日法要と納骨法要がございました。亡き方に対して、残された方ができるのは謝ることではなく、これからも、しっかりと人生を大切に生きていくことしかないのであります。ときどきご法事を、泣き方への罪滅ぼしだと思って、勤める方がいらっしゃいます。亡き方は、そんな思いで勤めてほしいと思っていらっしゃらないと思います。いつか、阿弥陀如来のお浄土で再会を遂げられたとき、亡き方から褒めてもらえるような、生き方ができれば、それが1番の供養であり、それができているのであれば、法事をするしないは関係ないのであります。時々、親戚の方々が、法事をしないなんて、亡き方がかわいそうなどとおっしゃる方がいらっしゃるのですが、そんな事は全くありません。様々な事情で法事ができないというお宅は多いと思います。それよりも、毎日、南無阿弥陀仏と称えてあげてください。南無阿弥陀仏を称えると言う事は、大無量寿経を、全て称えることと同じなのであります。この経は、阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の名号となり、私に救いを届けてくれていることを伝えてくださる経だからであります。南無阿弥陀仏の六字には、私を浄土へ救うすべての功徳がそなわっているのであります。

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