昨年の大河ドラマ、「どうする家康」
の中で、厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)が、徳川軍の旗印になっていました。汚れたこの世を離れ、阿弥陀如来の極楽浄土を願い求めるという意味でありますが、ドラマの中では、この世をお浄土の世界にするという意味で使われ、戦乱の世を平和にすることを旗印にしたのであります。戦国時代のドラマを見てると、まさに生き地獄であります。ですが、戦乱の世を、他人事と観てはいけないのであります。もしかしたら、過去世で、私たちも戦乱の世を生きていたかもしれないのです。戦の中で、敵を殺し、そして、敵に討ち取られいたかもしれないのであります。この世を、極楽浄土にしたいと願う気持ちが、あの時代には確かにあったと思います。親鸞聖人が生きた時代も同じです。武士は人を殺さなければ、生きてはいけないのであります。その当時の人々はいつか、その報いを自分が受けることを、ちゃんとわかっていたのです。武士は、阿弥陀如来の救いが、心の支えであったと思います。今の時代、自分の行いが未来を作ると言うことをどれだけの方が信じているでしょうか?人を殺していなくても、仏教では身口意の3業が問題になりますから、心で思うことも罪なのであります。今の日本は、ありがたいことに平和が保たれています。極楽浄土のようであります。しかし、だからといって、みんな幸せかと言うと、そうでもないのであります。誠に不思議なことです。戦国時代を見れば、今の時代は、なんと幸せなことかと、思わぬ人はいないのではないでしょうか?しかし、今の時代も、この世は、どうもお浄土ではなく、生きにくい時代なのかもしれません。