花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

フランスフォトエッセイ~その6:ブロロン村・モンサンミッシェルへ

2013年06月23日 08時45分53秒 | 旅エッセイ⑩~フランス
      

                                                         

                                                                

 私は、雪のため、モンサンミッシェルに行けなかった事が脳裏に焼き付いて離れない。まだまだ海外旅行の経験が少ない私にとっては、再度フランスを訪れることはなさそうだ。日本に帰ってから、友達同士で何かの拍子でフランスの話題になった時、おそらくモンサンミッシェルに行ったの?と聞かれるだろう。そんな時、あの時無理しても行っておけばよかったのにと悔やまれる。そう思うと夜も寝付かれない。

 前日の早朝、その旨を仲間に打ち明けて、モンサンミッシェル観光をすることに決めた。何が何でも明日モンサンミッシェル行きたい事をガイドさんにお願いした。急にもかかわらず、何とか空席のツアーがあって、OKを得た。

 そういう訳で、パリ滞在5日目に「モンサンミッシェルとノルマンディーのいなか村」ツアー(138€)を観光した。
 早朝5時に起き、5時半ごろホテルを出た。当然、朝食は抜きである。途中ドライブインのカウンターで、パンとカフェを食べた。地元の人と同化した気分を味わった。どこで食べてもフランスの食事はおいしい。特にパンはぴかいちである。

 途中に寄った「フランスで最も美しい村」協会認定のブブロン村は、200人ちょとが暮らす小さな村である。かわいい木組の家や昔の景観をそのまま残した観光地である。保護地区になっており、地元の人以外住めないし、制約が多く若者が少ないという。
 外国でも、私は田舎を見ると、写真を撮りまくる。その場の生活感が伝わってくるようで、胸騒ぎを覚える。小雨交じりの中、傘もささずに村を駆け回った。
 その一角にある酒店でりんごの地ビールを少し飲ませてもらった。冷えているともっとおいしいのに残念であった。ノルマンディー地方は、リンゴの産地で有名で、りんごの発泡酒(シードル)は人々にこよなく愛されている。

 モンサンミッシェル島の対岸のレストランで、一度は食べてみたいふあふあオムレツを食べた。ウェーターが大きなお皿にもっこりとしたオムレツを運んできた。そしてそれを4等分に小皿にのせた。ふあふあ過ぎてその中身がとろりと出て、きれいな盛り付けではなっかた。味に関しての口コミ情報では、あまり良くなかったが、その味付けにチーズかバターが入っているのか、クリーミーで私は、おいしかったと思う。
 食べ物の豊富な今と違って、数百年前の過酷な巡礼者にとっては、栄養たっぷりなオムレツは、さぞごちそうだったことだろう。
 
 5日目にやっとシードルを飲んだ。女性好みのさわやかな口あたりであった。

 夜遅くにホテルに着いて、その中のレストランで夕食をしようと思ったが、もう閉まっていた。少し歩いて、中華の惣菜屋さんの灯りがついていた。小さなデーブルが三つあった。ガラスケースに入った焼きそばや炒めし等そしてビールを注文した。8人で約60€と大変安かった。それにもまして、久しぶりに日本的な食べ物にありつけ、満足した。

フランスフォトエッセイ~その7:メトロで遭遇した事件

2013年06月20日 13時05分50秒 | 旅エッセイ⑩~フランス
            

                      
 オランジュリー美術館が9時開館のため、ホテルを8時頃に出た。70歳代の仲間が切符を自動改札口に入れてもアームが開かない。2,3度試みてもだめで、新しいチケットを挿入してやっと開いた。その時には、年配者だから一度使った切符を通したんじゃないかと思っていた。日本に帰ってきてから、ネットの口コミ情報で、切符によっては、磁力の弱いものがあり、その時には係員に言って交換してもらうとよいと書いてあった。彼を疑ってこめん。もう一つ困ったことは、地下鉄のドアの開閉は手動である事だ。車両によって形状が多少異なるが、、初めて乗車したとき時には、フランスのご婦人に助けてもらった。

 次に、地下鉄の車内で起きた出来事について話したい。それは、帰宅時間の混雑した列車内で起こった。階段を降りたらちょうど列車が入ってきた。私たちは、押されるように列車に乗り込んだ。突然、仲間の一人が車内に響く声で友達の名前を呼んだ。それに応え当人は振り向き時は過ぎた。
 また、その近くにいた仲間は、座っていた腹の大きいかわいい少女に「ベイビー?」と話かけていた。ちょっと経ってから、ほかの友が、声をかけた人の足元に、薬の個包装が落ちていたのに気が付いた。最初の出来事はショルダーバッグに不自然な動きを察知してして名前を呼んだとのことであった。もう一つの出来事は、腹のほうに置いたウエストポーチのファスナーが開けられていた。取り出されたものがたまたま薬で、難を逃れた。その後、どうもスリ集団の仕業ではないかと、その話題で盛り上がった。ちょっと慣れくると、日本にいるときと同じような感覚になる。海外では、普段考えないことが起こる。

 コンコルド駅に降りた3人連れの日本人女性にどこに行くのかを尋ねた。私たちと一緒のオランジュリー美術館であった。ひとりはガイドさんと言う。地上にでたら、コンコルド広場は大変広く、今どの位置にいるのか迷いそうになった。でも、彼女たちの歩く方向に、私達も自然と足を運んだ。でも、後をつけているんじゃないぞ言わんばかりに、相当離れて後を追った。

 オランジュリー美術館は、空いていた。モネのスイレンの連作で有名な美術館だ。そのほかルノアール、セザンヌ等そうそうたる名作が、身近で鑑賞できる。日本だと名作はガラスケースに入っていたり、柵を設けて近づけないよう警備してるから、その事にびっくりした。

 オルセー美術館は、日本語のパンフレットのみが無くなっており、仕方なく英語のパンフレットで代用した。やはり、広すぎて目指す作品を探すのに手間取った。写真撮影が禁止のため、このブログには載せれなかった。あげくのはて、オルセー美術館のカタログを売っている店も、足が疲れはて、もう一度戻って購入する気力がなくなった。非常に残念である。
 ルノアールの「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」は、思っていた以上の大作で、一番印象に残った。

 今回のツアーは、雪のため大幅にスケジュールが変更になった。それに伴ってパリのフリータイムに行く予定の、ムフタール通りや蚤の市、オペラガルニエのシャガールの天井画、アルザス地方の郷土料理店、バゲットの有名店などに行けなかった。次回の楽しみにしよう。
 
 
 最後に、日本人のいや私のケチな性分のせいだろうか、朝から晩まで目いっぱい動き回る。もう少しゆっくりにできないかといつも反省する。しかし、限られた時間内でも、その土地で出会った人とのふれあいやその地での新たな発見は、旅の醍醐味のひとつであると思う。まだまだ私の挑戦は続く。(横目で妻を見ながら)  感謝!感謝!