一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と共に、家庭自給生活を自学自習中

8月18日愛媛新聞・社説「福岡正信さん死去 遺産を農業の今後に生かそう」

2008年08月18日 | 【グリーンピック・緑の道】地球を『緑の生命連鎖』でつなごう!!



■2008年08月18日(月)付 愛媛新聞 【社説】

福岡正信さん死去 

遺産を農業の今後に生かそう  

  独自の「自然農法」を実践してきた伊予市の福岡正信さんが亡くなった。
 後継者不足や耕作放棄地の拡大、食料自給率低下など日本農業は多くの課題を抱える。福岡さんが提唱してきた自然農法やその基盤となった思想は今後の農業、食の在り方を考える上で示唆に富む。
 農業の基本は田畑を耕すことである。また、農家は昔から雑草の処理に追われてきた歴史がある。しかし、福岡さんは一般に行われている農業技術をひとつひとつ否定し、何もしない農法をめざした。
 その結果、自然農法の四大原則とされる「不耕起」「無肥料」「無農薬」「無除草」の農業を実現した。
 たとえば「不耕起」。自然は自然にほうっておいても肥沃(ひよく)化するという。モグラやミミズ、作物の根など生物による耕運に任せるのである。人為的に耕すよりも土地が黒く深く肥えてくるそうだ。
 自然農法には強固なバックボーンがあるのが特徴だ。哲学ともいえるその考え方は難解だが、人為を排して自然の意思をくむことの重要性を説いているようだ。
 著書「わら一本の革命」によると、二十五歳の時に突然、人知や人為は一切が無用であるとの考えが発生したのだという。その具現化が自然農法というわけだ。
 福岡さんは、この農法で米と麦の連続じかまき栽培技術を四十年間の年月を費やして確立する。一般的な科学農法と収量も違わなかった。
 そうはいっても田を耕しもせず、肥料も薬も使わないのである。勤勉な日本人、特に農家に何もしないことの大切さを理解してもらうのは容易でなかったろう。
 しかし、農薬への危惧(きぐ)や自然食ブームなどが手伝って次第に理解者が増えていった。農家も自然農法を一部だが取り入れるようになった。福岡さんには不本意なところもあったかもしれないが、今日の有機農法の隆盛などは、その結果である。
 常に農業の原点とは何かを考えていた。だから、「もうけになる作物をどこでどうして作るか、いかに多量に作るかということだけを目標にして研究にやっきになっている」などの近代農業批判となる。
 その思想は、理解を得られない部分もあろうが、方向性を見失いつつある日本農業の進むべき一つの道を示してもいよう。参考にしたい。
 後年は地球規模で進む砂漠化や食料問題にも関心をもった。高齢にもかかわらずアフリカのソマリアやインド、米国などに出かけて緑化や自然農法の技術指導に奔走した。
 いわば地球への種まきの旅だった。食料危機が叫ばれる今日、その先見性にあらためて驚かされる。

http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017200808186619.html


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