goo blog サービス終了のお知らせ 

疾風の帰り径

BROACHに存在した「疾風の通り径」を移行しました
ブログ内リンクが以前のまま、画像が移行出来てないものは、修正予定

モダンカメラマンⅦ

2008-12-14 09:00:00 | Camera
 昨日の入れ替え戦、ベガルタ、あと一点ジュビロに及びませんでした。
 磐田スタジアムのベガルタファンの数もすごかったし、一ファンとしては無念ですが、仕事のことを考えると、やれやれといった面があるのも確か。
 東名阪三大都市圏以外で、セパのプロ野球チームを持っている街のサッカーチームは、どこもJ1とJ2を行ったり来たり。どこの局もはらはらドキドキでしょう。

 ベガルタが来期J1でプレーする秘策があるのです。それは入場者数減少に悩むモンテディオとの合併。駄目かな。

 ベガルタ、来期こそ昇格してほしいものですが、リャンをはじめ主力を2-3人、J1チームに取られるときつくなりますね。

===

 先週中盤から腰というか、右足の付け根の背中側のほうに痛みがあり、落ちてるものを拾うのがつらくなりました。
 湿布しておとなしくしていますが、昨日のお昼は「広浦」で熱っつあつの大きな牡蠣フライをいただき、口の中を火傷、帰りには隣の、というか、店がつながってる「鈴木水産」で鰤の刺身を買ってきました。でもやっぱり鰤は北陸かな。金沢も、富山も美味かったなぁ。次回は輪島か福井に行ってみよう。大人の休日倶楽部で。

===

 毎年冬になるとき、春が来るとき、ニュースのネタにもなってくれるタイヤ交換。
 腰が痛いおじさんとしては、TTはもう夏タイヤのままかなぁと考えていたらこんな広告を発見。



 出張タイヤ交換サービス。4000円だそうです。
 自分でタイヤをラックから下ろして、車に積んで、スタンドに持っていって交換してもらっても3000円以上は取られると思うので、良いかも。

===

 今日紹介するカメラは、21世紀の製品、まさにモダンカメラですが、クラシックテイストなんです。



 2004年発売の、PanasonicのDMC-LC1。
 渋いでしょう。
 レンズ交換は出来ないデジカメなんです。

 2/3インチの撮像素子、トゥーサーズですね。
 APS-Cとほぼ同じであるフォーサーズの約半分、つまり35mmの1/4ほどの面積ですが、最近のコンパクトデジタルカメラの主流である、1/1.7インチや1/2.2インチよりかはやや大ぶり。
 このサイズは放送用のビデオカメラの撮像素子の大きさなんです。

 ライカファンを揺さぶるのはレンズ。撮られる者を圧倒するでかいレンズです。



 DC VARIO-SUMMICRON 1:2.0-2.4/7-22.5 ASPH. ですよ。F2.0!!
 もちろんズームは無粋なシーソースイッチではなく、回転リング。



 それも表示は35mm換算値で、28から、35,50,70,90mmまで。
 もっと大事なのはフォントなんですねぇ。
 ライカフォントというのでしょうか、独特の角ばったフォント。これが心を揺さぶるのです。

 さらにデジカメなんだけど、悉くアナログちっくなノブ類。



 絞りとシャッターを両方"A"にすればプログラムオート、絞りだけ、"A"からはずせば、絞り優先、シャッターだけをはずせばシャッタースピード優先オートに、判りやすいです。
 フォーカスも同様。AF、AF-Macroをはずして、マニュアルフォーカスも可能です、回転リングで。



 残念なことが二つ。
 まず本体側のフォントは、PANASONICなんですね。ださい。

 それからファインダーは実像ではなく、液晶です。どうもPANASONICは光学ファインダーが苦手なようですね。
 前面のファインダーみたいな窓は、AFのセンサーなのでした。
 モニターは大型でグーなんですけどね。

 もひとつありました。
 フィルター径がなぜか69mmなんです。聞いたこと無いサイズ。
 パナ製のMC プロテクターはあるものの、PLフィルターとかつけようとするとステップアップリングが必要。これもパナ謹製なんですが、メス側が82mmですよ、72mmじゃなくて。
 フィルター屋の回し者か、82mmってENGカメラのフィルターと同じじゃ。

 モダンカメラですから、ストロボの出方もプログレッシブ。



 ホットシューも付いています。

 ちょっとボディが大きくて重いけど、シャッター意欲を沸かせてくれるカメラです。

 このカメラをどこで使ったのか、ファイル名で調べられます。Vistaだとエクスプローラーで画像をクリックすると、元画像であれば撮ったカメラ名、日付、ズームや絞り、シャッターその他データが見られますね。

 まず2007年4月の花見山



 フォトアルバムもあります。



 テレビ屋としては、4:3の画面に違和感はありませんが、やはり静止画は3:2が良いですね。

 それから、2006年の下北半島ツアー。



 仏が浦ですね。



 そして、岩屋ウインドファーム巡礼。

      

 そのときのアルバムもあります。全てがこのカメラというわけではありません。

 2006年に信州へ行ったとき



 上田の別所温泉にある、安楽寺。
 珍しい八角形の塔があるのです。国宝です。四重に見えますが三重塔。

      



 他にも、2005年10月に遠野の風車を見に行ったときのものもこのカメラでした。

      





 そしてこのモデルには兄弟モデルがあるのです。私のものではないので、借用画像ですが



 Leicaの、DIGILUX 2。
 ちょっとバタ臭すぎると思いませんか。

 LC1ですが、昨年突如画像が横方向に流れ出しました。それも絵全体ではなく、ラインごとに勝手に流れるのです。
 H転送のパルスが鈍ったのかな。
 中古で買ったものだったので、保証書なしで仙台ヨドバシに持っていったら、後日電話があり、CCDの不良でメーカー責任で無償修理するとのこと。なんと一連のリコールがあったSONY製のCCDが搭載されていたのでした。
 SONY製CCDの半田不良が発生するというリコールは、仕事の関係で知ってはいたのですが、まさか自分のデジカメで、それもPANASONICの製品に使われていたとは想像もしませんでした。
 当時の松下が、SONYからただで貰った新品のCCDに交換し、費用はSONYに請求したということでしょうね。

クラシックカメラマン58

2008-12-09 06:30:00 | Camera
 仙台のお店にもやっとPanasonicのLUMIX G1が展示されるようになり、触ることができました。
 まあ、サイズは予想通り、いわゆる一眼レフより一回り小さいけど、小型を売りにしている一眼よりはレンズが細いのでずっとスマートです。
 ある意味究極のマイクロフォーサーズマウント、初のカメラ。



 3インチの可動式モニターも見やすいし、それより何より驚いたのが、電子カラーVF。
 このカメラはレンズ交換式ですが、一眼レフのようなミラーが無いのでファインダーに光を導けません。かといって、独立した光学式ファインダーも無いので、電子式のファインダーしかつけられないのです。しかしこれが高精細。ちょっと前のカメラだと、粒々感が避けられませんでしたが、これは秀逸。ダイナミックレンジは広くありませんが、ピントの確認には結構使えると思います。モニターとの切り替えも自動モードがあり、顔を近づけるとVFに切り替わります。
 あと、電源を入れたまま、レンズをはずすことができました。
 やはり撮像素子CMOSが見えます。
 光学ローパスフィルターが付いているはずなので、剥き出しではないのですが、ドキドキします。ゴミもつきやすいでしょう。
 それからこれも予想通り、質感は普通のコンパクトカメラ。カタログやCMでも感じられるとおり、ターゲットは私のようなおじさんではないようです。Panasonicらしいストレートさ。

 Panasonicの開発部隊には蔵亀ファンはいないのかな。
 次のマイクロフォーサーズモデルの噂ももう出ているし、オリンパスやライカからの製品を待ちますか。

 話は50年遡って、昔のコンパクトカメラ、キャノネット。

 キャノネットというのはキャノンの35mmレンズシャッターカメラで、いわゆるコンパクトカメラのはしりです。
 1960年前後にに当時の大卒会社員の初任給¥15,000で買えるカメラをということで、開発されたそうです。



 発売されるや否や完売。最近のゲーム機のようです。
 その後1965年発売の、ニューキャノネットQL17と、1972年にマイナーチェンジされたキャノネットGⅢQL17。



 よく似ています。
 しかし実によく出来たデザインだと思いませんか。



 かっこいい。



 正直、日本のカメラの中でもバランスの良さと言う意味では、最高ランクに入るデザインではないでしょうか。



 窓の枠を大きく取って、周辺を黒く塗り実際の窓より大きく見せるのは最近の自動車デザインと同じですね。



 今からすれば、何の変哲も無い距離計連動式35mmレンズシャッターカメラ。



 でも三つのモデルで合計24年間に200万台以上が生産されました。なんというカメラでしょう。



 最初のモデルは明らかにあとの二つよりは大柄ですが、あとの二つはほとんど同じデザインなんです。



 違うところ、違うところ

 ありました。



 1972年発売のGⅢにはバッテリーチェックボタンがありました。
 このGⅢ、海外生産品のはずなんですが、家のは、MADE IN JAPANって書いてありますね。

 初任給一ヶ月分の価格って、今考えてみるとすごいカメラが買えますよ。
 それだけ豊かになっているのでしょうか?

クラシックカメラマン57

2008-12-04 06:53:23 | Camera
 ブログのデザインを今年もクリスマスモードに変えました。
 Broachでは、テンプレートといって何十種類の中からブログのデザインを選ぶことが出来、いつでも簡単に替えることは出来るのですが、サイドバーの構成や内容はデフォルトの項目だけが自動的に移動、後は自分で書き込んだり、ブログパーツはコピーペーストしなければならず、昔のリンク先が残っていたり、どうも最初は体裁が今一ですが、だんだんまとまってきますので、お許しください。

 この季節、あまり知られていないように思うのですが、ドイツでは部屋に蝋燭を4本立てたリースを飾ります。

 アドヴェンツクランツというらしいのですが、自分で撮った写真が見つからないので、借用。

     

 クリスマス、ドイツ語だとヴァイナハトの4週間前に設置、3週間前の手前の日曜日から、日曜日ごとに1本ずつ点灯してゆき、気分を高めて行きます。
 日本の子供が「もーいーくつ寝ると」を唄って正月を心待ちにするのと、全く同じです。
 長さが異なる4本の蝋燭が立ったリースはまさに風物詩ですし、映画やドラマ、テレビや雑誌のカットにこれが出てきたら、燈っている火の数がそのままクリスマスまでの期間をあらわすのです。
 ヴァイナハト直前の日曜日に4本点灯。気分は最高潮。

 ところがヴァイナハトは故郷に帰って祝うのも日本の正月と同じで、街からは人気がなくなります。
 店も休みになっちゃうし、日本の都会の馬鹿騒ぎを想像して街に繰り出す日本人は、萎えます。

 それからそれから、ドイツの子供たちがザンクトニコラスにプレゼントを貰うのは明日12月5日ごろですね。

 話は変わって、クラシックカメラ。

 レンジファインダーで有名なLeicaにも一眼レフがあります。昔も今も。
 うちにも、LicaflexやSLSL MOTがあるんですが、ドイツにいたころ、それも帰国する直前、1990年4月にケルンの中古カメラ市で、気合を入れて買ったカメラが、R4でした。
 SLとR4の間には、SL2とR3というカメラがあるのですが、R3以降はMinoltaとの技術提携で、R3はXE、R4はXDと関係が深いといわれています。

 それで入手しなければならなくなったのがMinolta XDというわけです。



 1977年発売のXDと1980年発売のR4。
 比較的コンパクトな一眼レフです。

 残念ながらレンズマウントは共通ではありません。



 上から見ると、軍艦部の配置はほぼ同じ。
 やはり兄弟ですか。



 もっと似ているのはフィルム室



 フォーカルプレーンシャッターやフィルム圧板も含めて全く同じです。
 いろいろ調べると、メカ部分の多くが共通、電子回路は全く別物のようです。

 自動露出はMinoltaは絞り優先かシャッター優先。Leicaには中央部重点の絞り優先と、プログラムオートが加わっています。
 肝心な動作と音ですが、どちらも基本的に滑らかで落ち着いた動作音です。Leicaのほうが高周波が抑えられてより落ち着いた感覚があります。



 Leica R4、意外にもドイツの電子回路技術と、日本の精密機械技術のコラボレーションだったのでした。

 XDならではの機構というと



 これは珍しいと思うのですが、ファインダー内、右側のメーター表示が絞り優先時とシャッター優先時で切り替わるのです。



 試写はもう少しお待ちください。

健康が一番のアラフィフ

2008-12-02 06:22:57 | Camera
 喪中のお知らせをいただく季節です。
 今年は心なしか、例年より多いように感じています。
 アラフィフ、50歳前後の人は皆そうなのかもしれません。

 来年の年賀状、面白い企画を見つけて申し込んでいました。
 tipocaという無料年賀はがきの企画。
 広告付きなんですが、宣伝しすぎ、各所で報道されて人気沸騰、抽選になってしまい、外れました。残念。
 来年はきっと郵政公社がパクるでしょう。

 昨日は予約していた脳ドックを受診してきました。去年も9月に受けています。

   

 予約した時刻に泉へ行き、5分ほど待って入室、金物をはずしてまな板の上の鯉(鮟鱇?)、機械が頭の上に覆いかぶさってきます。
 2001年宇宙の旅や、未来世紀ブラジル、時計じかけのオレンジ、1984、ブレードランナー。
 私の好きな未来もの映画のシーンがなぜか蘇ってきます。落雷や停電で誤動作したり、故障したら私の脳はどうなってしまうのでしょう。でも、健康が一番。
 耳栓をして、7分ほど、おそらく強力電磁界を発生させている、カッコンカッコン、グィーーンという規則的な大音量ノイズを聴き続けて終了。私の脳が輪切りにされたはずです。

 本来は年休を取ろうと思っていたのですが、社内でやんごとなき事態が発生していたため、帰社。仕事に戻りました。

 話は変わって、DP1のファームウェアがバージョンアップされました。

 早速ダウンロードしますが、今回は二分割。



 まず最初の実行ファイルだけをSDカードに仕込んで、カメラのメニューからアップデート開始。
 2分ほどで一回目が終了です。

 

 最初のファイルを消去してから、二つ目の実行ファイルをSDカードにダウンロード。
 もう一度アップデートです。

  

 また2分ほどで、何とか終了です。
 この作業中に、異常が起きたり、バッテリーが無くなったら、アウトでしょうね。

   

 私もカメラも今のところ正常です。

 2週間後に届く脳検診の結果はちょっとドキドキものですが、バージョンが1.04から2.00に進化したDP1の新機能はとても楽しみです。

モダンカメラマンⅥ

2008-11-30 11:54:32 | Camera
 今日はお天道様が出ているので、ベランダでカメラ撮影。



 暖かそうな情景に見えるかもしれませんが、今日の仙台、昨日より6度も低く、強風注意報発令中で、かなり悪条件です。



 しかしなんと言う悪趣味な企画。非生産的です。

 今日の主役はCONTAX 167MT。1987年京セラ製です。



 その名の通り、モータードライブというかワインダー内蔵、絞りか、シャッター優先AUTOでオートブラケットも標準装備です。

 クラシックカメラマン55で紹介した初代日本製CONTAX RTSが1975年製ですから、ちょうど一回り下の世代。



 80年代当時は、先輩がEosを買うので、安く譲ってくれたCanon A1や、その後初めてのオートフォーカス一眼、minolta α7700(ドイツではDynax 7700) を使っていましたが、これらの高機能さと比較して、今一の機能とその高価さから、手は出ませんでした。レンズも高価。



 それでも90年に帰国して、中古カメラ屋さんで他の客がワインダー内蔵のCONTAXを弄っていたときの、シャキーーん、シャキーーんという高周波というか、ハスキーな衣擦れのような、絹を引き裂くような動作音はずっと耳に残っていたのです。



 そんなエレクトロニックでオートフォーカスなカメラたちを敵に回したCONTAXもこの時ばかりは軸がぶれていて、下の液晶パネルを見ながら、上のスライドレバーで制御するといった、近代的なシステムを、このレトロっぽいデザインに並べたもんだから、実に年齢不詳、温故知新、中途半端なカメラになってしまいました。



 でも使って見ると、使いにくいわけではなく、重点測光も出来るし、最高速は1/4000だし、オートブラケットの使い方はいまだに判らないのですが、ファインダーも明るいし、サイズも手ごろ。良いカメラです。で、人気が無いのか安いのもグーー。

 春の櫻シーズンに携行していたので、そのときの写真を載せておきます。
 自分でスキャンしたので、ホコリだらけ。

 福島県三春町、小沢の桜



 秋田県仙北市角館、武家屋敷通りの空き地



 岩手県雫石町、小岩井農場の一本桜



 どうも全部露出オーバーですね。

クラシックカメラマン56

2008-11-27 07:02:43 | Camera
 先週のInterBEE、このところ数年続けていやいやながら見学に行っています。
 嫌な理由は、たっぷり歩かされること、お姉さんにカタログを押し付けられるので荷物が重くなること、幕張が東京から遠いこと、それなりに成果が期待されること等等。前に水戸に住んでいたとき、車で行って、船橋のららぽーとに宿泊したら少し楽でしたが。そのときは、聞きたい技術発表を選んでおいて、その合間に展示を見るというゆったりした日程。
 最近は日帰りか、一泊の二日目だけで見なければならないので、忙しいし、見落としも沢山。

 忙しいけど楽しいのは、前の会社の同僚や、前の前の会社の先輩後輩との再会。
 前の会社の部下が前の前の会社の後輩と一緒の会社にいたり、うちの会社を担当していた某社の営業マンが前の前の会社のブースにいたり、前の会社の同僚が今いる会社の幹部が私の幼馴染だったり、すっかり同窓会です。
 やはり三日かけて見る必要がありますね。

 未紹介のクラシックカメラもだいぶ少なくなってきました。



 1967年発売の、Olympus 35LC。
 オリンパスのコンパクトカメラの中では、大柄なほうです。



 35mm距離計連動レンズシャッターカメラ。
 レンズは、42mm/F1.7 Gズイコーレンズです。



 一眼レフ並みの大口径、がっちりした存在感。
 ボディもレンズも40年以上前の品物にしては綺麗です。
 針式の露出計の表示が、軍艦部とファインダー内にあります。



 この露出計の針が中央に来るように絞りとシャッタースピードを調整するのですが、動きません。
 バッテリーを交換しようとしましたが、蓋が空回りするばかりで、開かないのです。



 下面の蓋を開けてみると、バッテリー室の蓋へのかしめが緩んでいて、ケースごと回っていたのでした。



 昔の水銀電池が中で駄目になっているのは、ジャンクカメラには良くある現象ですが、どうやって開けたものか。
 ただこのカメラは、露出計が動かなくてもフルマニュアルでは使えます。

 どこかで使ってみたいけど、なかなか順番が回りませんね。

クラシックカメラマン55

2008-11-22 06:48:01 | Camera
 今日から三連休、出かけたいけど寒そうだなあ。

 で、カメラネタです。



 1975年発売の、CONTAX RTS。

 元々、Contaxと言うのは言わずと知れたZeissのレンジファインダーカメラのブランドです。
 この辺のカメラContax Ⅱa、Ⅲaについては前に書きました。



 そのContaxが1961年に製造中止となり、ブランド名も休眠、さらにツァイスは1971年に、ついにカメラの製造もやめてしまいます。
 その後、日本のYashicaがブランドを買収。このカメラが1975年に発売されたのでした。



 Contaxではなく、CONTAXになりました、このときから。



 ボディは、ポルシェデザイン。レンズはツァイスの設計、気合が入ったシステムカメラでした。
 革装も、ライカのようなしぼ入りではなく、なめし革の様な独特の肌触り。



 シャッターが機械的なボタンというより、スイッチになっています、今のデジカメと似たフェザータッチ。賛否両論。

 ニコンやキャノン等の日本の主流派と異なる点は、シャッタースピードのノブが左手側にある点です。



 ツァイスがブランド名の譲渡を含めた提携先を探していたときに、最初の候補は旭光学Pentaxだったという噂もあります。
 でも提携って大体競合分野が少ないところに落ち着きますね。



 このCONTAX一眼用のレンズは、アダプターを解して後のGシリーズでも使用できるようです。

 このカメラで撮った写真は前にも何枚か載せた事があります。



 七ヶ宿の材木岩



 萬蔵稲荷神社



 うちのフィルムスキャナーで取り込んだもの。



 無神経でがさつな私がやるとこんなにホコリが入り込んでしまうのでした。



モダンカメラマンⅤ

2008-11-19 06:44:03 | Camera
 今日明日は、会議と展示会で赤坂と幕張に出張です。
 新幹線に乗るのは好きだけど、会議と展示会はどちらも嫌い。憂鬱です。

 今日もカッコいいカメラを紹介します。



 1996年発売の、Contax G2。
 1994年に発売されたG1の上位機種になります。



 金属ボディのレンズ交換式オートフォーカスカメラ。一眼レフではなく、こんなカメラは他にはありません。
 写真のPlanar45mmを始め、7本のカールツァイスT*レンズが用意されています。



 絞り優先オートだけだし、オートフォーカスもボディ側のモーターからの機械的な制御なんですが、結構端子数は多いですね。未知の機能が予定されていたのかも。
 一眼レフのようなミラーがないため、フランジバックも短く、カメラもレンズもコンパクト、さらに写真のように思いっきりリアに張り出したレンズも装着可能なため、16mmホロゴンなどというコンパクトな超広角レンズもラインアップされています。



 しかしファインダーはコンパクトカメラのような実像式で、ボケの確認は出来ないし、レンジファインダーもありませんが、レンズ交換で自動的にサイズが変わる凝ったもの。ブライトフレームではなく、フレームそのものが変化するのです。オートフォーカスにあわせて、パララックスも補正されます。

 G2は、オートフォーカスの性能をアップさせるため、G1よりやや大きくなっていて、100g重いのでした。



 軍艦部のノブの配置も少し違います。



 シャッター速度と露出補正のツマミが別々になってマニュアルフォーカスのノブが前面に移動、使い易くなっています。

 そんなGシリーズの遺産がデジタルカメラに移行されなかったのは残念でなりません。
 そのためか、新品が10万円以上したカメラシリーズなのにもかかわらず、かなりリーズナブルな価格でこのフルメタルカメラやレンズが入手可能になっているのは嬉しいのですが。

 先日の蔵王ツーリングに持って行って試写。例によってホワイト急便で、現像したあとCD-Rに焼いてもらった画像です。
 ASA400フィルムでAUTOで撮ったもの、ノーストロボ。



 村田の酒蔵、乾坤一













 そして高畠昭和縁結び通りの、昭和ミニ劇場





 旧高畠駅に停車中の電気機関車





クラシックカメラマン54

2008-11-12 05:57:00 | Camera
 山元町出身で元マリーンズの小坂がイーグルスに移籍です。
 イーグルス初の宮城県出身選手。岸か佐藤由規を取れていればそっちが初だったけど。
 小坂、3年もジャイアンツでくすぶっていたのですね、もったいない。ジャイアンツは他の球団の戦力をダウンさせるためにたくさんの選手をくすぶらせているようです。球界の盟主。
 他球団が苦労して探して輸入して育てた選手まで持って行っちゃう、札束びんた。まったくね。

 前にアメリカ製のKODAK SIGNET 35というカメラを紹介していますが、最近その後継機を入手することが出来ました。



 左が35、右が40です。(絵が傾いているのはどうもカメラGX100が悪いのではと最近疑っています)
 40は1956年発売、私と同じ年です。



 こんなに小さくて、ころころしてて、アメリカンのでかい手で扱えるのかと心配になるようなコンパクトさ。
 35と機能もそれほど変わらないのですが、どうも脇にフラッシュユニットを取り付けるための大きな設計変更だったようです。



 オークションの売り手が呉の方なので、米軍放出品かな。



 35と同じ、距離計の二重像はなぜか三角



 これも35と同じで、フィルム巻上げとは別にレンズ左脇でシャッターチャージを行う必要があります。シャッターボタンもレンズ右脇。



 フィルム巻上げは、なんと世にも珍しい3回巻き。トリプルストロークです。



 35はアルミボディでしたが、40はなんとプラスチック。裏蓋もプラ。



 金属カバーも使われていますが、ブリキのおもちゃ風。



 それでも、なんだかんだ飾りがいろいろあって、あまり安っぽくはありません。



 レンズはEktanar 46mm/F3.5、これはちょっとチープ。



 しかし、ドイツ製カメラとも、MADE IN JAPANとも異なる、独特な雰囲気を持つ、50年以上昔の器械だけどピカピカのカメラです。

クラシックカメラマン53

2008-11-06 06:00:00 | Camera
 東北学院大卒2年目、名取出身の岸が日本シリーズで初登板、初完封しました。この岸と、東北高出身のダルビッシュがイーグルスにいたら優勝できるかもしれませんね。
 しかし、岩隈と、岸、ダルビッシュは似ていますよね、長身で、手足が長い。昔の日本にはいなかったタイプのピッチャーです。

 今朝の仙台の空



 朝6時ちょっと前ですが、空の色は刻々と変わっています。

 今日紹介するのは、35mmフィルム、フルサイズの一眼レフとしては、最小を争うシリーズになります。



 1979年発売のPentax MEsuperと、1976年発売のPentax MXです。
 どのぐらい小さいかというと、



 親子のようですね。右に置いたCanon FTbは、当時のNikonやMinoltaと同じぐらいですから、いかにPentaxが小型化に力を入れていたかがわかります。対抗馬はOlympusのOMシリーズ。OM-1と比べるとMXのほうが縦横高さすべて0.5mm小さいのだそうです。執念。



 Pentaxは1975年にレンズマウントをそれまでのM42スクリューマウントから、Kバヨネットマウントに一新したのですが、そのとき発売したKシリーズは、どちらかといえばそれまでのSPやESをバヨネットマウント化しただけ、その後出てきたMシリーズにPentaxの技術の粋が集まっているともいえます。

 今度は、コンパクトといわれるLeicaのM6をMEsuperと並べてみました。



 やや大きめのMEsuperでもかなりコンパクトなことがわかります。

 特に小さいMX、Mシリーズ唯一の機械式シャッターを搭載しています。



 露出計付きのフルマニュアル機になりますが、コンパクトさを追求するためにメーターが針ではなくLEDになっているのが残念ではありますが、M6等の3点式ではなく、5点式なのが救いでしょうか。
 絞りとシャッタースピードもファインダーを覗いたまま直読可能です。

 MEsuperの方も絞り優先専用機と割り切っています。マニュアルは可能ですが。



 絞り優先、シャッター優先はどっちがいいか議論があった時代のカメラたちですが、この後、Minolta XDや、Canon A1が登場し、今に至るまで、プログラムオートから、絞り優先、シャッター優先までフル搭載するのが当たり前の時代に入ってゆきます。
 カメラが精密機械から電子機器に変わるターニングポイント、最後のクラシックカメラたちですね。

 MXは先日の県南ツーリングに帯同したので、そのときの写真です。











 ぴんぼけ







クラシックカメラマン52

2008-11-02 07:00:00 | Camera
 いつの間にか今年もあと2ヶ月、選挙も暫く無さそうだし、年賀状のグラフィックの検討に入りますかね。

 今日は、こんなカメラを紹介します。久しぶりの中判カメラ。



 これもいわゆるスプリングカメラ。連動距離計も付いています。



 軍艦部にあるボタンを押すと、前蓋が開き、



 くねっと、ぐにゅっと



 最後には、ちーんと
 レンズが定位置に出てきます。



 1955年製の、Mamiya 6というカメラです、国産。これはOlympusのD.Zuiko 7.5cm/F3.5レンズが付いていて、ⅣB型と分類されるようです。



 いわゆる120タイプの裏紙付きフィルムを使う6x6サイズのカメラなんですが、フィルムを入れるときに、



 フィルム室内のベロを出し入れすることで、



 6x4.5の長方形サイズを選択することも出来るのです。
 ファインダーも



 フィルム室のベロとは全く連動はしないのですが、レバーで画枠サイズを切り替えることが出来ます。



 当然撮影可能な枚数も変わってくるし、フィルム巻上げ量も違うのですが、



 しっかり切り替えレバーも付いています。

 面白い工夫ですが、これは実際いろんなカメラにもある機構。
 Mamiya 6ならではのすごいメカがあるのです。
 このような開き方をするフォールディングカメラはピント調整がやりづらいので、VitoⅢでは左上にノブがあって、レンズ全体を前後させているのですが、このカメラのフォーカス調整は右手の親指で行うように設計されています。

 これがinf側、無限遠のとき



 そしてnear側、1m時



 判りますかね
 結像面であるフィルムをボディに対して前後に動かすんです。



 このコンパクトなボディの中で、なんと言う作業でしょう。
 当たり前ですが、前蓋を開けさえすれば、レンズはボディに対して常に固定位置。単純です。だからここまで薄くコンパクトに折り畳めるのかも知れません。



 確か、ヤシカの執念とも言われた、Contax AXという一眼レフカメラが、このアイデアを取り入れて、オートフォーカスを実現していたように思います。

 往年の名玉が取り付けられて、撮像素子を動かしてオートフォーカスするデジカメなんて、どこかで造ってくれないかな。

 単純だから、当然フィルム巻上げとシャッターチャージは独立した作業。二重露出の危険が伴います。なのでフィルム巻上げ後にシャッターを押すとファインダーにはこんな表示。



 小さなこれも工夫です。
 カメラって本当に面白いですね。



 時代も同じ、形も似ているVito Ⅲと並べてみました。



 60x60mm対24x36mmほどは大きくないのが判りますね。

名機の肖像

2008-10-31 06:00:00 | Camera
 昨日会社で何気なく業界紙を読んでいたら、がぴょーーーん。(花の応援団調)
 10月からヴィンテージカメラの番組が始まっているではないですか。BS Japan!! 知らなかったよ。



 番組HPから画像もテキストも片っ端からコピーしちゃいます。

 名機の肖像~魅惑のヴィンテージカメラ~

 百年以上の歴史を刻んできたフィルムカメラの中には、人類の英知の結晶ともいえる「名機」が存在します。
 独自の技術や先進のアイデアがあり、そして人々に永く愛され続けたとき、そのカメラの名前は「名機」として刻まれ、輝き始めるのです。


 やるね BS Japan



 どうもこれまでスーパーカー、鉄道模型、アクアリウムを取り上げていたらしいのですが、蔵亀が第4弾。

 百年以上の歴史を刻んできたフィルムカメラの中には20世紀、人類の英知の結晶ともいえる「名機」が何台も存在します。「カメラ」という機械を作る上では長い経験と知識がないと名機にはならないといわれます。
 では、名機とはなんでしょう。
 それは、独自の技術がそこにあり、先進のアイデアがあり、誠実に作られた物。そして何より、人々に愛され、永く受け入れられ、結果として物語があるもの。
 そのとき、そのカメラの名前は「名機」として刻まれ、輝き始めると思います。




 良いですね、すごいですね。

■Vol.01 ニコンFの神話 [08/10/10]
■Vol.02 ニコンSの起源 [08/10/17]
■Vol.03 ライカMの伝説 [08/10/24]
■Vol.04 カメラの源流 ライカL [08/10/31]
■Vol.05 ハッセル 6x6中判の雄 [08/11/07]
■Vol.06 2眼レフの王国 ローライ [08/11/14]
■Vol.07 キヤノン ニッポンのカメラを作れ [08/11/21]
■Vol.08 リンホフの威厳 [08/11/28]
■Vol.09 ミノックスの奇跡 [08/12/05]
■Vol.10 スイスカメラの粋 アルパ コンパス [08/12/12]
■Vol.11 キヤノンレンズ0.95の夢 [08/12/19]
■Vol.12 ニッポンオリジナル オリンパス [08/12/26]
■Vol.13 原点 カールツァイス [09/01/02]



 もう3回終わっちゃっていました、今晩もその時間、家に居ないし。とほほ。
 でもDVDが出るかもしれないな。

 その後東口で放送機器の内覧会があり、HD対応のIP伝送装置がコーデック一組で50万を切るというのを見て来たのですが、ついでに久しぶりで覗いた禁断の地、ヨドバシカメラ仙台。

 新しいカメラがずらり並んでいます。
 しかし期待していたLumix G1はカタログだけ。
 10月下旬発売のはずなんだけど、影も形もなし。

 しかもカタログがこんな感じ。



 うーーーん。
 Panasonic、結構良いカメラを生み出しているとは思うんだけど、やっぱり家電メーカーです。
 名機を生み出す風格が無い。

 樋口可南子さんはデビューしたころからずっとファンではあるんですが。

 でも、9月決算では、大儲けしてるんだよなあ、パナソニック。
 名機は儲かるということではないんですね、きっと。

 とりあえず、我が家の名機たちのために、フィルムを1ダース買ってきました。

クラシックカメラマン51

2008-10-30 07:33:33 | Camera
 昨日は今シーズン初めて、蔵王のエコーラインが通行止めになりました。
 嫌いな冬がゆっくりやって来ています。
 降雪を取材して来てくれたカメラマンには感謝。

 ベランダから見える蔵王連峰



 冠雪しています。
 再来週に山形蔵王温泉に集まるんですが、宮城側からは行けなくなりそうです。

 以前Canonのレンジファインダーカメラを何台か紹介しましたが、最後の機種を入手することが出来ました。

by GX100

 1961年発売の、Canon 7sです。後はCanon 7。



 露出計がセレン式の7が、CdS式になって感度が上がったものが7sになります。



 他の機能は変わらないのですが、CdSになって採光窓が小さくなり、デザインの自由度が増して、アクセサリーシューをつけることが出来ました。



 Canon伝統の八角形のボディ。



 ファインダー上のノブを回してブライトフレームを使用レンズに合わせて切り替えます。



 がっちりしたボディは、アマチュアカメラマンには大き過ぎたかもしれません。



 一眼レフの栄光の時代が始まりつつある60年代の距離計連動式カメラの名機たちです。



 ここ数回のツーリングに7sを持ち出したので、試し撮り。

 泉が岳裏の桑沼 w/ Jupiter 8 50mm/F2(ロシア製)





 デジカメ(Pentax K10D)撮影の写真はこちら←リンク先へ



 七ヶ宿湖 w/ Jupiter 50mm/F2 デジカメはこちら(GX100)



 金華山 w/ Ultron 35mm/F1.7 Aspherical



 鮎川港 w/ Ultron 35mm/F1.7 Aspherical





クラシックカメラマン50

2008-10-24 04:40:14 | Camera
 昨日は来春入社希望者の採用試験。
 アナウンサー志望者のカメラテストだけ参加しました。
 誰に決まっても一緒にがんばってほしいものです。

 クラシックカメラの紹介もようやっと50回目を迎えました。まだまだ終わりませんよ。

 今日はVoigtländerの2台です。片仮名表記ではフォクトレンダーというのが一般的なようですね。



 Voigtländer社は、1756年、宝暦6年に、神聖ローマ帝国の都ウィーンで生まれた世界最古の光学メーカーです。当時の女帝マリア・テレジアがプロシアと戦争をしていたころだそうです。
 日本は8代将軍吉宗の子家重が江戸幕府の将軍のころ。
 もちろんそのころにカメラは存在しません。
 クエスチョン。ウィーンで当時使われた光学機器とはいったいなんでしょう。それは現代になっても同じ場所で使われています。世界不思議発見。



 正解はオペラグラスですね。Voigtländerといえば当時オペラグラスのことを意味したようです。
 まあ歴史を紐解くと、それだけで本が一冊出来てしまうのですが、最初にカメラを作ったのは、1841年、天保12年で、フランス人のダゲールさんが写真を発明した2年後。伊藤博文が生まれ、アヘン戦争真っ盛りの年ですね。
 オーストリアの政情が不安定になったこと、創業者であった、ヨハン・クリストフ・フォクトレンダー二世がドイツ人であったことから、1848年、嘉永元年に北ドイツのブラウンシュバイクに移転します。

 時は流れて、1950年代初頭に生み出されたのがこの2台のカメラだったのです。



 まるで雌雄のシーサーのような2台。

 まずは1952年、昭和27年発売のVITOⅢ。
 底のボタンを押すと、前蓋が途中まで開きます。



 さらに指で前蓋を引っ張ると



 くねっとレンズが蛇腹を引き連れて移動してゆき、カチッと決まったら撮影スタンバイ完了。
 いわゆるスプリングカメラ、フォールディングカメラです。
 立派に距離計もピントに連動するレンジファインダーカメラ。



 使い勝手としては、残念ながら、シャッターチャージはフィルム巻上げと連動はせず、1枚撮影するごとに、フィルムを巻上げとシャッターチャージを別々にしてやる必要があります。



 昔西ドイツで入手して気に入っていたのですが、盗まれてしまい、ずっと探していて、やっと最近手に入りました。
 しかし前玉のど真ん中に傷。まだ試写はしていないのですが、どんな影響が出るんでしょうか。



 もう1台も同じ構造なんですが、変わっているところがピント調整。
 ボディ左上のノブがピント用なんです。(右上はフィルム巻上げ)



 被写界深度表示もありますね。



 この2台のレンズの構造は、全部のレンズがシャッターより前にあります。そのレンズ全体を前後してピントを調整する原始的なスタイルなんですね。だからピント調整をボディー側で出来るわけです。



 もう1台がPROMINENT、こちらも1952年発売です。



 プロミネントとは、突出という意味なんですが、それまでのVoigtländerのフォールディングカメラと比べるとまさにレンズが突出しています。



 このレンズは交換可能。



 35mmと100mmがあるようです。
 ただしファインダーは対応しないので外付けが必要になります。

 Retinaのようにレンズ前群を交換するのではなく、全部を交換です。



 美しい絞り羽根。

 VITOⅢと異なりシャッターチャージはボディから機械的にアームが伸びて、フィルム巻上げと連動しています。



 19世紀末の退廃したウィーンの雰囲気を残すVoigtländerの銘機たちでした。

 Voigtländer社は1965年にツァイス・イコン社と合併。Zeiss Ikonも1972年にカメラの生産を終了し、Voigtländerブランドは今度はRollei社へ譲渡。VITOの名前は1980年代にも製品名として使われていましたが、いつの間にか、日本のコシナ社がそのブランド名でカメラやレンズを生産販売するようになっています。

モダンカメラマンⅣ

2008-10-22 06:00:00 | Camera
 寒くなってきました。
 テスト、動作試験と自分に言い聞かせてついに禁断の暖房のスイッチをオン。

 今朝の朝焼け



 お気に入りのこんなカメラがあります。ご存知ですかね。



 Konicaのレンジファインダー



 1999年発売の、HEXAR RFというカメラなんです。
 この時期、21世紀直前の発売のくせにフルメタルボディ。存在感があります。



 KMマウントと呼ぶらしいのですが、要するにライカのMバヨネットマウント。



 ファインダーは28mmから135mmまで、ブライトフレームが変化します。



 フィルム巻上げはモータードライブ、シャッターも1/4000までついてます。絞り優先AEもあり。



 他人のHPに、見事にこのカメラを説明している文章を見つけたので、そのまま載せてしまいます。

 1999年に発売されたレンジファインダーファン待望の新型機種でしたが、発売直後の怒涛のデジタル化によりさっぱり売れずに2005年に生産停止になってしまった悲劇の名機です。おまけに生産停止アナウンスの3ヵ月後にメーカーのコニカミノルタホールディングスが写真事業から撤退してしまい、名実共に「20世紀の産業遺産」となってしまいました。実質的に「Konica」の独立ブランドがつけられた最後のカメラであり、老舗として有終の美を飾りました。ライカファンが数十年間の間渇望していた機能(モータードライブ、自動露出、1/2000秒、1/4000秒シャッター)を全て内蔵してしまったマニアの妄想がそのまま形になった夢のカメラだったのですが。おそらくここまで積極的に電子化した銀塩レンジファインダーカメラは未来永劫現れないでしょう。


 HEXARというのはもともとコニカのレンズがHexanonヘキサノンという名前だったことから、カメラの名前になったのですが、Hexa-というのは6を示す冠詞、もちろんコニカの社名、小西六工業から来ているわけです。

 偶然ですが、ライカのM7はまだ発売される前、まさに正面切って、ライカのM6に闘いを挑んだようなカメラでした。



 赤城耕一さんもこのカメラについてHPに長文を載せています。題して「ヘキサーRFの愉しみと悲しみ

 もしこの世にデジカメが無かったら、おそらくうちのエースになっていたカメラに違いないと思うのです。

 おっ!あったかくなってきた