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疾風の帰り径

BROACHに存在した「疾風の通り径」を移行しました
ブログ内リンクが以前のまま、画像が移行出来てないものは、修正予定

僕ら離れ離れになるんだね

2009-09-20 05:48:02 | 懐かしの昭和
 友引の昨日突然、このブログの去年の記事「イメージの詩」と、掲示板のほうへ、あるコメントが届きました。

 「あなたは誰?」



 なんと中学三年生のときの同級生から。

 自分の名前で検索を実行して、私のブログに到達したそうなんです。

 この写真は、春の遠足で箱根の山に登った時のものなんですが、一緒に写っています。



 私が高校一年の5月に引っ越したこともあり、中学時代の友人とは疎遠になったこともありますが、恐らく卒業後、一度会ったか会わないか。

 考えてみると、自分は匿名にしておいて、友人は実名で載せるなんてひどい話。
 でもそのおかげで今回の感動的な遭遇が生まれたわけなんです。



 上の写真に彼は写っていませんが、これは修学旅行専用列車「ひので」の車内。

 9月に奈良京都への旅でした。



 最初に行った琵琶湖湖畔。

 そして雨の飛鳥寺。鬼の俎。



 修学旅行で一緒に写っているんだから、かなりの仲良しですよね。



 たぶん京都のホテル。

 悪ガキばかり。



 天龍寺かな。



 私と同じく彼も常にカメラをぶら下げていたようで、うちにある私の写真は彼に撮ってもらったものかも。




 神護寺



 そして大徳寺



 この後清水寺にも行きました。

 拓史君これで私を思い出してくれるでしょうか。

 下の写真は、卒業直前に横浜の氷川丸に行った時のもの、私が撮ったものなんでしょうね。



 次回、東京に行く楽しみが増えました。

 今度は好きだった女の子の実名入り記事を書かないと。

古くて懐かしくて

2009-04-20 08:27:02 | 懐かしの昭和
 昨日は天気は良かったものの、冷たい風が入り、気温は低めでした。

 勾当台公園市民広場。



 2009 Historic&Classic Car Meeting in Sendai
 「2009 ヒストリック&クラッシックカーミーティングイン仙台



 テーマは、車文化で仙台に活力を! Energytic SENDAI! Anti aging Vehicle 「エナーティックせんだい!人も車もアンチエイジング」だそうです。



 中でも凄かったのが



今年も戦前のロールスロイス。左の車は1910年製だから来年で100歳です。



 湘南ナンバーなので、神奈川から走ってきたのでしょうか。



 こんな車も



 当時の卓袱台なんかもありますよ。

 そしてもちろん



 フェラーリたちが円形公園のほうにまで並べられていました。

 このあと、榴ヶ岡公園まで、花見に行ったのですが、延々5時間の宴、とても楽しかったけれど、疲れました。明日報告します。

AV事始め

2009-04-15 05:00:00 | 懐かしの昭和
 先日弟と、富士吉田で医者をしている、またいとこの写真を探していたら、家族のアルバムに面白い写真を見つけました。
 私が自分で写真を撮るようになる前、小学校時代までの我が家の写真は母によってきれいにアルバムに整理されています。
 カメラの担当は、一応新聞記者だった父。
 ミノルタAと言うカメラで撮影したはずです。



 まず、1959年2月。住んでいたのは祖師谷団地と言う、当時流行の集合住宅。

     

 弟が生まれる前、私が二歳の時なのですが、なんとカメラを構えているのです。

    

 おもちゃでしょうけど、きっと最初の私専用カメラ。

 それから後にある蓄音機。おそらく我が家初のAV機器です。



 なぜ、セルフタイマーで家族写真を撮っているときに父がレコードプレーヤーに手を伸ばそうとしているのかは、謎です。

 中学生ぐらいまで使っていたので、良く覚えていますが、ラジオは中波と短波の2band、ターンテーブルは4speedだったと思います。
 近所の家の親戚が、世田谷の上町で「川島ラジヲ商会」という電気屋さんを開いていて、そこが松下の特約店(?)だったので当時の電化製品はほとんど”NATIONAL"ブランドだったはずです。もちろん真空管駆動。

 スピーカーは二つ付いていますが、たぶんモノラル。ツマミはたぶん左から、電源&TONE,VOLUME,SELECT,TUNEです。プレーヤーが壊れたあともアンプとスピーカーは、何かをつないで鳴らしていたような気がします。

 続いて、同じ年の7月。



 弟が4月に生まれて、この時は3ヶ月。そういえば今日がその誕生日だね。おめでとう、大人の休日倶楽部の会員紹介送りますからね。

 なんと、テレビがあります。要するにこの年の4月10日は現在の天皇皇后両陛下御成婚。
 わが両親もイベント見たさに大枚をはたいた組だったと思われるのでした。

 蓄音機はテレビの上に移動しています。

  

 どうもテレビのブランドは”TOSHIBA"に見えますね。まだNATIONALは無かったのでしょうか。

 しかしいずれにしても、当時は蓄音機やテレビが、家族の記念写真のバックにはなくてはならなかったものと言うことが良く判ります。テレビ用の織物のカバーも含めて、微笑ましいですね。

 さらに同じ年の12月です。



 昔のアルバムのページをフラットベッドスキャナーに置く都合で、ちょっと左が切れてしまっていますが、私がシャッターを押したと、母の字で記してあります。

 ひょっとしたら私が生まれて初めて撮った写真かもしれません。大発見です。

 右下に写りこんでしまっているのは、カメラのストラップか、指でしょうか、ご愛嬌。

 そして兄弟で、驚愕したもうひとつの事実とは、



 いにしえの家族写真の後に写っている本箱。

 まだうちにあるんですよ。両親の写真も飾ってあります。

 祖師谷、北烏山、南雪谷、水戸見川、仙台貝ヶ森、そして今のうちまで、山や谷、川と森を渡り、もう50年、まさに時空を越えて我が家の本を守ってくれているのでした。もう捨てられません。

 おそらくその間にテレビやステレオはもう何台も買い換えられているというのに、昭和30年代の日本の家具、どうせ高級なものではないと思うけれど、たいしたものです。

 感動しました。

 そして、このブログのルーツは、我が亡き両親にあるということも、確認したのでした。
 一枚一枚の写真の横にある、母の楽しいコメントの数々、いずれまた紹介します。

 天国でもこのブログを見られるといいのだけれど。

昭和の香り漂う散歩道

2008-11-16 18:08:44 | 懐かしの昭和
 いよいよLynx Clubの恒例蔵王ミーティング。
 今年は8人が参加です。
 思うところがあって先輩の車に相乗り。

 まずは仙台を出発し、村田経由で遠刈田、七ヶ宿と突っ走ります。
 南蔵王は紅葉真っ盛り、山が萌えているようです。

by TX1

 長老湖そばの神社が最初の立ち寄り地。



 私もClubの長老と呼ばれるまで、長生きできますように。



 続いてやまびこ吊橋から眺める不亡山



 ここから七ヶ宿街道へ降りる途中にある、横川集落では、今でも民家の前の清流に小屋が架けてあり、水仕事がそこで行われています。

 早くも昼食、お馴染みのお店です。



 七ヶ宿そば街道の最奥に位置する「芭蕉庵」ですね。



 前来た時は、入り口に番号札が置いてあって、札がゲットできなければ蕎麦は売り切れというシステムだったのですが、今回はファミレス方式。用紙に名前と人数を記入。12時半ごろでしたが、10人待ちぐらい。お店の周りをぶらぶら散歩しながらのんびり待ちます。



 15分ほどでテーブルにつき、二八そばセットの大盛りを注文し、ほどなく到着。



 揚げそば豆腐と、そばデザートがついてきます。

 私の二八蕎麦



 連れが注文した全蕎麦



 二人が大盛り、一人が普通盛りだったのですが、新蕎麦の美味しさのあまり、全蕎麦を一枚追加、3人で分けました。



 全蕎麦はより硬質、二八はすこしもっちりした食感。どっちもいけますよ。

 この後二井宿峠を越え、分水嶺のあっち側へ。



 まほろばの郷、高畠なのですが、この街の中にこんな通りがあるのでした。



 街の中央通に、ポツン、ポツンとですが、昭和の香り。



 クラシックなレトログッズが所狭しと並んだ木造の家が点在しているのです。



 東京オリンピックの陸上競技に出場したお母さんのいるお蕎麦やさんや



、いにしえの映画ポスターが貼りめぐらされた喫茶店。



 もちろんクラシックカメラもあります。




 どのお店も自由に見学可能。スイーツもあります。



 楽しい散歩道です。





 驚いたのは、並んでいるのはそんなお店だけではなく



 レトロな駅まであるんです。
 車両もあります。



 しかしこの駅跡周辺には全く説明書きがありません、謎の駅。

 帰宅してから調べてみると、昔、奥羽本線の糠ノ目駅からこの高畠駅を通って二井宿まで、高畠鉄道という私鉄が通っていたのでした。その後山形交通と合併したあと、昭和43年から47年に廃止されたそうです。
 廃線あとはサイクリング道路になっているのでした。



 右から、高、畠、ひとつおいて、鉄、道、とあったように見えます。
 中央は社章でしょうか。

 駅舎は綺麗に保存されていました。

 派手ではありませんが、なんとなくほっとさせられる街、昭和の香りが一杯の高畠です。 



 そしてそして、高畠といえば



 高畠ワイナリーです



 初めて寄ってみたのですが、大規模な施設です。
 団体さんも大勢。

 小さいけどガラスのグラスで、試飲が出来るんですよ。



 最上の朝霧、そして、最上の紅花



 このために自分の車を転がして来なかったようなもんです。
 酸化防止剤無添加デラウェア



 まほろばの貴婦人、超甘



 2008高畠新酒、みんな美味しいよ



 葡萄の香りも漂っていたのでした、高畠。

おら東京さ行くだ

2008-06-01 17:49:18 | 懐かしの昭和
 昨日は朝から新幹線に乗りました。
 まずは、昨年倒れて療養中の、大学の倶楽部仲間を尋ね、横浜へ。以前の東北ツーリングにも登場する友人ですが、車椅子の人となっています。残念な出来事でしたが、何とか奥様と一緒に頑張ってほしいと思います。また遊びに行きますからね。

 そこから久しぶりに東横線に乗り渋谷へ。いつの間にやら桜木町駅がなくなっています。
 昔住んでいた日吉駅からは、若くて美しいお嬢さんたちが大勢。慶応大生でしょうか。
 渋谷にホテルを予約していたのです。新南口前のホテルだったのですが、何を間違ったか井の頭線のほうへ行ってしまいました。ぜんぜん違う名前のホテル。昔は渋谷を闊歩していたのに、トホホな田舎もんです。雑踏の駅周辺を再び東横線のほうへ戻りチェックイン。
 ロビーに揃いのスーツを着た黒人の皆さんが20人ほどいたので、なんとなくジャズのビッグバンドかしらと思っていたら、足元にENGカメラ。同業者じゃん。横浜で開かれているアフリカ開発会議の関係者でしょうね。
 そういえば私が子供の頃プラネタリウムに通った東急文化会館が取り壊されていました。

 ホテルには荷物だけを置いて今度は新宿へ。いつの間にやら新木場まで開通している埼京線の渋谷駅がホテルの中にあったのでそこから乗ると新宿までは一駅。われらが母校は新宿駅新南口から3分です。



 35年以上前に私たちが入学した当時の新校舎も昨年取り壊され、新たな新校舎が出現していました。
 面白いことに母校の敷地は新宿区と渋谷区にまたがっており、昨年までの校舎があったのは渋谷区千駄ヶ谷、新校舎は新宿区内藤町です。前の前の校舎と同じところ。なんだか伊勢神宮の遷宮のようです。

 この旧甲州街道に面した新校舎の向かいに、こちらも新たに移設というか新築の丸井の新宿店が出来ていました。確か丸井の社長は高校の先輩です。意識したのでしょうか。
 この丸井の8階で、高校の同級会があったのでした。母校を見下ろせるお店で同級会が出来るのは幸せです。
 2年3年と同じクラスだったメンバーと担任の先生、合計15人くらいが集まりました。男女半々。

 もう子供が結婚した話が出る歳になりましたが、私から見ればみんな若い。思い出話に花が咲きます。

 思い出話だけでなく、祐天寺の煙草屋の元看板娘が、先週のアド街ック天国で取材を受け21位、それが大胆にも、まんま看板娘役で出演したとか、大学教授をしているやつが数年前に結婚した相手が20歳年下で、その記録を破れるのはお前しかいないとか、酔えない話もたくさん。ヤフーの社長はお前と中学校が一緒だろとか、M日新聞のA論説委員は最近朝ズバに出てるけど、B組だったっけとか、有名人の知り合いを共有する話もありました。
 良いもんですね。犬はさすがにいなかったけどソフトバンクのCM状態。中華だったのでずいぶん紹興酒を空けました。刻み生姜と檸檬を紹興酒のロックに入れる呑み方も歯科医に教わりました。
 女子の皆さんも、薬局の社長がいたり、最近税理士の資格をとって仕事を始めた奥様がいたり、皆さん美しく且つ優秀。
 二次会は一年後輩がやってる店を水泳部の先輩女子が無理やり席を空けさせ乱入。この時点でまだ12人ぐらい残っています。



 同期の誰とかが虎ノ門に日本酒を楽しめる店を出して、良い店なんだけど、行くと同窓生ばっかりとか、奥さん(彼女も同窓)が単身赴任で、子供の弁当まで作っているやつもいたりして、まだまだ話はつきません。

 われわれの世代は、中年か初老かという議論は、情けないけど初老という結論。

 当時初めて自前で呑みに行った、西口ハルク(古いね)裏の焼き鳥屋「ボルガ」はまだあるよとか、しょんべん横丁が火事があった後ずいぶん変わったけどまだあるとか。

 ここで焼酎のボトルを数本あけても未だ帰らせてもらえず、もう一軒。再び明治通り沿いの母校を見下ろすサロン風の綺麗なお店。
 さすがにラストオーダーで、ちょうど一ノ倉の「すず音」があったので、宮城の味を最後に残った6人で味わってお開き。東京の良いところは終電前に解散するところです。
 ホテルに戻ってゆっくり休みました。

 同窓の皆さん、コメントをお待ちしています。名前は伏せてね!!

メカニカルカルキュレイタ

2008-01-24 16:29:52 | 懐かしの昭和
 仙台は午後から吹雪になっています。
 今朝方PentaxがK-20/200Dを発表、キャーキャー言ってたら今度はCanonがEOS Kiss X2だって。いやはや。

 暮れからヤフオクに嵌り、ジャンクカメラを取り寄せては一喜一憂している私ですが、今回はちょっと異なるものを。



 70年代にラリーに参加していた方、もっと前、電卓が出てくる前に工学部にいた方にも、昔懐かしい手回し式、機械式計算機です。がちゃがちゃ、ちーん。



 Nippon Calculator



 SM-21という型名ですね。日本計算機製。検索すると、怪しげな器具も出てきますが、なんと昭和31年発表のマシンです。私の誕生年。奇遇です。
 1964年購入でしょうか、時水さん。出品者が高槻なので、ひょっとしたら松下の方ですか。

 重さ7.4kg、定価¥35000だったそうです。
 掛け算だと10桁x10桁まで計算可能。



 上の結果は1234x1234=1522756ですが、123x456の掛け算なら、上の目盛りに123をセット、まず6回右のハンドルを回し、レバーで手前の部分を左へ一回移動、5回回してさらに左へ、4回回せば右の目盛りに答えが出るのです。答えは56088。慣れれば456x123のほうが早いことはわかりますね。
 


 左右の移動は上の桁からでもOK。実際に回した回数も左に表示されます。割り算もできます。もちろん足し算引き算もできますがこれは筆算のほうが速いでしょう。



 ジャンク品ということで3000円で競り落としたというか、競合者がいなかったので開始価格ですが、今日受け取ったときはハンドルが回りませんでした。動いていれば7-8000円まで行ってたかも。
 昔もこんなことがあったかなあと、思い出しつつ、自分で直した記憶はあまり無いけど、ふたを開けたのでした。



 このハンドルはホームポジションでロックがかかり、せっかくの計算結果が消えるのを防いでいるのですが、どうもこのロックがリリースできなくなっていました。



 この金具がもう少しこっちに寄ってくれればなあと裏を覗くと。ありました。リリース金具の位置設定の金具。



 ネジを緩めて金具を右に2mmほど移動して閉めなおしてOK。順調に動き始めました。
 やっぱり昔の機械はいいですね。単純。

 LynxClubミーティング、私の会はこれで決まりか。

 SM-21の検索でいろいろな計算機を探し当てたのですが、大きな再発見。



 そう言えばこれをラリーに使ってた人も居たなあというクルタです。



 
 なんでも、ナチスの収容所でユダヤ系オーストリア人のクルト・ヘルツシュタルクが考案したものが、戦後リヒテンシュタインから製品化されたという機械。見るからに技術の結晶という雰囲気。いいなあ。

 現在ヤフーオークションにもさすがの楽天市場にもクルタはありません。遠いところへ行ってしまったのでしょうか。

親方の親方? (クラシックテレビマン)

2007-09-14 18:52:23 | 懐かしの昭和
 朝青龍問題、朝から晩までワイドショーでやっているようですが、国民はどれだけ興味を持っているのでしょうか。高砂親方の会見とか見ると、絶対この人が悪いと感じてしまいます。泥塗り温泉治療なんかの送りに貴重な機材と電波を使わないでほしい。まあどうでもいい話題です。

 ところで、私の世代、高砂部屋といえば、ジェシー、高見山ですよね。
 貴ノ花、輪島と数々の名勝負。
 CMにもずいぶん出ていました。

 記憶に残るのが、ナショナルのポータブルテレビ「トランザム」のCM
 軽快にタップを踏んでいました。
 1977年ごろのCMだそうです。

 そのトランザムがうちにあるのを同僚のO寺くんに話をしたら、すかさず「それはブログネタですね」と言われたので写真を撮りました。



 たぶん大学生のときにバイト代で買った自分専用の初めてのテレビです、よく残ってたなあ。30年もの。



 これがちゃんと映るんですよ。
 今日のイブニングニュース。



 人気上昇中の川尻アナウンサーが映っているので間違いなく2007年の映像ですよね。



 もちろん白黒です。
 昔の電気製品って、すごいですね。
 でも発火すると怖いので、あまり火を入れないようにしないと。

 それで、高砂親方の朝潮、彼の親方は高見山だと思い込んでいたのですが、どうも高見山は東関親方、高見盛の親方でした。芸風は確実に引き継がれています。


夏が来ーると想い出す...

2007-06-07 05:55:17 | 懐かしの昭和
 物心ついてから高校1年の春まで、東京の祖師谷に住んでいました。
 小学校3年から5年くらいまでの遊び盛りの頃、夏といえば、クワガタ捕り。もちろん今では大住宅地の祖師谷ですが、当時は周辺の仙川や野川の水系を中心に田んぼも肥溜めもたくさんありました。この季節は蛙の大合唱。また隣町の成城大学には池があって、ザリガニ釣りのメッカ。私達はスルメをつけた紐をを使ってたくさんアメリカザリガニを捕りました。
 当時の祖師谷・成城はちょうど街から里山への境のようなところで、成城を越えると調布や狛江の北多摩郡でした。田んぼを埋めたり、森を切り開いて住宅地を作り始めた頃です。それでも新しく造成された住宅地の奥にはくぬぎ林が残っていて、そこがクワガタ捕り少年達の秘密基地。
 夏休みは、一日おきくらいに朝6時くらいになると仲良しのとんちゃんや、ゆうちゃんが迎えにやってきます。祖師谷から調布への境までの里山に5-6ヶ所秘密の場所があり、それぞれの場所には、お目当ての木、蜜が滲み出ているポイント、根っこを掘り返すと必ずクワガタがもぐっている場所がありました。徒歩だったか自転車だったかは覚えていないのですが、毎回その秘密の場所を回っては、ノコギリクワガタやコクワガタを捕っていました。
 年に一度くらい、ミヤマクワガタやヒラタクワガタが捕れることがあり、そのときは大騒ぎでした。

 20代の頃までは、時々クワガタの大漁を夢に見ましたし、今でも夏が近づいて、今朝のような湿っぽい空気をかぐと、とんちゃんゆうちゃんと一緒に早足で向かった秘密の場所、あの木、あのポイントに近づいていく時のわくわく感を、昨日のことのように想い出します。
 木や花の名前は今でもさっぱりですが、くぬぎの木だけは今でもすぐに見つかりますし、夏でなくても自然に根っこの周りを探してしまいます。

 今でも夏が一番好きな季節です。

 でも夏はまだちょっと先ですね。