前から いつも疑問だったのだが 新興宗教団体が使う
「使命」っちゃ 何なん?
俺は この言葉に 胡散臭さを感じている
鎌倉時代に活躍した 日蓮や親鸞の文献に 使命なんて言葉があったか?(わしゃ知らぬが)
俺の記憶で 昭和の戦争に送り込んだ人々に強要した「権力者の都合」や 「洗脳」が頭に浮かぶのだが
すなわち 主従が押し付ける大儀の言葉
使命とは戦後にとって付けたように流行った言葉
幕末の世で流行った 下級武士達に因る 志と言う言葉より 拘束力がある。
今 民主主義の世で それを言い換えるとしたら「役割」の方がしっくりとくる。
どうも 平凡な民とは無縁のような 重い言葉・・・
例えば 親になって 子育てする・・・仕事をして 誰かの不便を解消する
これこそ 立派な「使命」とやらの言い換えではないのか?
なんか しなけりゃ ダメ みたいな 誰かの意図に因って 洗脳の道具になっている
ような気がする。だから「役割」という言葉に置き換えてみたら?
代議士の仕事は 有権者の代弁・・・宗教家は 悩める人達の心の癒し
な~んで 庶民の上に君臨し 自分等の都合の為に 利用しょうとするのか
これらは、どちらも 使命という言葉で アンタ達を縛っているが こいつらこそ 役割に背いてはいないか?
背いていないとしたら、一部の金持ちや権力者としての地位の維持 己の食い扶持の安泰だ・・・
庶民の僕(しもべ)にならなければ ならぬ連中が先生等と呼ばれ 国を貧困に導いてきた。
何者かが 他人を動かす時の「使命」とは 従う者達に強要する言葉・・・
これは 自覚する事で生きる 決意の言葉なのだよ
思考停止状態の人間には使用禁止の言葉のように思う
本気で この世を憂い 暖かい寝床に安住せず 弱い人々を救えるだけの度量が
ないと 使用不可だ そして 基本的な「役割」を差し置いて やるものでは無いのだべ
この「使命」という言葉・・・日蓮や親鸞のように 男一匹 権力に屈さず 自分はボロボロになりながらも
弱き 庶民の為に命を捧げて生きて行く 人間にしか 用いてはならぬような気がする。
自衛隊 警察官 消防士・・・命がけで 人命を守る職業の人達が 使う「使命感」ってのは違和感がないがね・・・
己の欲得が基本なら 使わぬほうが良いと思う・・・
ps 自分の頭で考えないで 選挙活動する事を使命だと 勘違いしている人達・・・
それで アンタ達の 周りは 明るくなったのかい?大勢が貧しくなり 他国に侵略され 存続の危機に見舞われた
この状況・・・それでも これを使命と誇れるなら 考え直した方が良い よくよく考えてみりゃ~
こりゃ アンタ 使い方間違うと恥かくべぇ!
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