マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

伊豆の雨

2006年11月13日 07時28分16秒 | 柳 - 11月
番傘柳(雨)の20点札の小野道風、花札48枚中登場する唯一の人間です、前に言いました。
この札もまた、花札名物ですよねえ。
ところがです。図柄が採用されたのは明治になってからだそうです。
それ以前、本来は、雨に番傘という図柄でした。

番傘ですかあ。
太い竹の骨に和紙を張り、その上に油を引いた実用的な雨傘。もと、商家などで番号をつけて客に貸したところからいう。
ふんふん。
こんな歌がありますよねえ。

1 宿の番傘 ふたりでさして
  行けば川面の 灯に泣ける
  愛しあっても どうにもならぬ
  恋のおもさよ せつなさよ
  頬につめたい あゝ 伊豆の雨

と、歌は歌でも昭和歌謡『伊豆の雨』、作詞 たかたかし 作曲 市川昭介 でした。
いいですよねえ。雨に番傘の情緒があります。

 ♪~ あーあぁー いーずのー あ~ーめ~

が『会津の雨』にならないように、ブレスに気をつけて。
伊豆は情緒的風雅漂うご当地です。
その根底にあるのは、やはりノーベル文学賞作家・川端康成『伊豆の踊子』あたり。こー、なんか日本人のDNA情報に刻まれているって感じです。

ところがですよ。
こともあろうに、『伊豆の踊子』を糞だと言った糞坊主がいるのです。
前にも話しましたか? 今東光。
ネット上でもときどき見ますよ。

まあ、それ自体は、ありとあらゆる創作は作者の精神的排泄物、ってまあ、目新しい話でもないのですが、なぜ和尚はこんな汚い言葉を使って人生相談の回答をしたのでしょう?

箇条書きにしてみますか。

① 文学者志望の青年からの相談であったこと。
② 青年がかなり行き詰まりを訴えていたこと。
③ 当時の作X家は(創作の行き詰まりから)自殺することが多かったこと。事実、川端康成も。
④ 東光和尚自身も作家であったこと。
⑤「糞の製造元」康成と和尚は非常に仲が良かったこと。

という理由から、「俺も川端康成も糞を弄んで悦んでるような人種だからあまり有難がるな」の回答がなされたと思われます。
これも再三くりかえしてる、時代と背景を元に戻さなければ正しく理解できない、の一例です。

と、この言い回し、



たまにゃ他ジャンルのテーマに出向くか

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!