心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

虐待を受け入れるよう訓練された状態の人

2022-10-30 18:48:17 | 気づかされた言葉

 

「虐待を受け入れるよう訓練された状態の人」

「自分が感じていることを蔑ろにして相手に服従するよう強要されて育った」

「普通の人が抱えていない過剰な荷物を背負うことを当たり前に思っている」

「価値のない自分はせめて人の役に立たなくてはいけない」

「役に立たない自分には価値がない」「ありのままの自分には価値がない」

虐待を受け入れるよう訓練された状態の人という言葉にハッとした。他人の言葉を尊重しなくてはならない、他人の言葉が正しいから受け入れなくてはならない。自分が我慢すれば上手くいくことだから我慢することが私の役割。いつの間にかそれは私の中の当たり前の価値観だった。

 

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依存症を治すために頑張れ私

2022-10-30 12:30:42 | 新しい心持へ

 

「他者への依存も依存症の一種なんだ」というのは大きな発見で、個人的な感想ではあるのだけど実感として腑に落ちた。

以前、人間ドックで血液検査に引っ掛かっかり栄養指導を受けた時の「何故食べるのか」に向き合った時と似ていた。嗜好品は食べなくても栄養に問題はないのに「悪影響があるとわかっていて何故止められないのか」、そこに依存があったのだと気付いた時は衝撃だった。寂しさや怒りや苦しさを誤魔化す為に食べていた食事を見直し、長期的な目標を掲げてスモールステップで食事を見直し結果を出せた。

「なぜ他者依存をするのか」に気付けたのだから、きっと同じ様に結果を出せると思う。寂しい苦しいイライラした時に他者に依存して肯定や安心感を得ようとしていたのなら、そんな心持の時に「(他者を使う前に)自分で自己を肯定して」安心すればいいのだ。自分に「いい依存」をする分には誰の迷惑にもならないのだから。

他者依存には悪影響がある。菓子や酒などの物質とは違い対象自体がコントロールできないものだ、そして依存はエスカレートする。コントロールできない他者と未熟な自分とで、対人関係に困難を抱えて結果的に苦しくなるのは当然だ。過剰摂取した結果肥満や肝硬変など身体の病気になるように、心が病気になるのだ。

強く心をもって他者依存に取り組もうと思う。「他人がどうであっても気にしない」「自分は自分」そんな当たり前の事に今やっと取り組もうとしている。頑張れ私。

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他者依存して誤魔化してきたもの

2022-10-29 15:53:48 | 新しい心持へ

 

「母親から嫌われているという事実から目を背けたかった」

だから小さな棘に気が付かない振りをした

私はずっと母親に認めてほしかった

嫌われている自分を認めたくなかった

だから「他人からの評価に依存した」のだ

「自己ではなく他者」を「行動や生き方を決める軸」にしたのだ

最初は母の嫌う私を封印し母が認める私でいようとした、その後はクラスメイトの認める私、先生が認める私とエスカレートし、最終的には「誰もが認める私」になろうとした。誰からも認められることは土台無理なことだったのに。

新たな気付きは「ああそうだったのかと」新しい心持になり、そして意識の下にまた潜っていった。夫には何度も同じことを言っていると言われたが、新たな側面での気づきは新鮮で、こうして一つづつインプットしていかないと定着しない自分なんだなと思い至る。

心の整理はまだまだ必要で、自分を知り他者を知り、しなやかな思考でそして希望をもって進む、そう決めたから、自分のために。

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わかってほしい気持ちは依存だった

2022-10-29 14:43:13 | 新しい心持へ

 

私の中の「わかってほしいという欲求」の衝動は激しかった。ずっと心の奥底に脈打ち、不安で苦しくて堪らなかった。

私を見てほしい、私を蔑ろにしないでほしい、私を無視しないでほしい、私を大事にして、私の話を熱心に聞いてほしい。

物心ついてから苦しさを抱え続けて生きてきた、学生時代も社会人になってからも、結婚してからも。

東日本大震災をきっかけに自分の中の綻びが表面化し、6年経って自分に向き合い始め、心療内科に通いカウンセリングを受け、民間のカウンセラーのセッション、民間団体の心理セミナーを受講したり心理についての通信教育を受けたりもした、その後は本や各種情報の媒体を利用して学びを深めてきた。大学で学ぶという手段も考えたが、私は今は「ピンポイントな自分の悩み」の正体を知りたかった。

心の中というものは言語化しがたく「個人的な悩み」と言われてしまえばそれまでだった、私が過去に受けた教育では「我慢」「努力」が最良の手段だったが、現在抱えている苦しみは我慢では解決するようには思えなかった。

もしかしたら「私の知りえていない世界があるのかもしれない」そう感じて苦しい道のりをたどってきた。答えは度し難いこの欲求の先にあると感じている、その答えがおぼろげながら見えてきた気がする。

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一日を振り返り自分を認める

2022-10-18 20:12:15 | 前向きな自分へ

 

一日の終わりに今日を無事に過ごせた事を思い起こしてから眠りにつくことにした。

今日も一日よくやった、よく頑張ったね。

他の人間との付き合いはストレス過多なのに、よくやり切ったね。

大事にせず無事にやり切ったね、すごいよ。

あなたは良くやった、最大限の力でやり切った、えらかったね。

明日もきっといい日になる、あなたを信じてる、あなたを愛してる。

 

泣きたい夜もある、辛い夜もある。

悔しくて寂しくて、泣き出したいそんな時、思い出して、私がいるよ。

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