「受け身的過ぎる」そうなんだろうと思う。
今苦しい夜を越えようとしているが、どうにも苦しい、
自分は大丈夫なのか?と言いようもない不安に押しつぶされそう。
「自分を信じる勇気を持ちたい」
「他人にわかって貰いたいを諦める」
わかってくれない他者に仲良くしてもらおうとするから疲れる。
明日から、また新しい気持ちで、自分を大切にする行動をとりたい。
「自分を信じて、自信をもって行動するのだ」しかしそれでも
私をターゲットにする一派と接触する時には注意を払う事にする。
「受け身的過ぎる」そうなんだろうと思う。
今苦しい夜を越えようとしているが、どうにも苦しい、
自分は大丈夫なのか?と言いようもない不安に押しつぶされそう。
「自分を信じる勇気を持ちたい」
「他人にわかって貰いたいを諦める」
わかってくれない他者に仲良くしてもらおうとするから疲れる。
明日から、また新しい気持ちで、自分を大切にする行動をとりたい。
「自分を信じて、自信をもって行動するのだ」しかしそれでも
私をターゲットにする一派と接触する時には注意を払う事にする。
孤立したらラッキー、自分に時間を使える‼
いじめは嫌だなと思うし、可哀想なこと。
でもそういう人達なんだと思って、自分のやりたいことをやればいい。
そんなに周りを気にする必要はない。
悪い事をしていなくて孤立しているのなら、そんなに卑屈になる必要はない。
やりたいことをやればいい。
精神科医 益田裕介さん
何を解ってほしいのか?
大変だという事を解ってほしいの。感情に支配されて苦しいの。
怒っていることを解ってほしい。悲しいことも解ってほしいの。
大丈夫と言ってほしいの。生きていていいって言ってほしいの。
自己肯定感が下がって(様々な理由で)、自信を失いそうで不安でたまらない。
だから話しかけたい、会話の中で自己肯定したいのだ。
無意識に何かに依存しようとしている、エスカレートして益々苦しくなる道に進もうとする。
「分かってもらわなくてかまわない」そう思えたら。
度を越した「話しかけたいという」欲求の苦しさを越えられるのかもしれない。
「進めこの声の限り 明日を夢見て歌うよ」
私がここ数年追い続けている歌手wakanaの新曲、琴線に触れた歌詞だ。
自分を信じ自分を愛せますように、他人を気にせず自分でいられますように、と言い聞かせて私は日々を過ごしている。気が付くと「わかってほしいという」強い承認欲求に振り回されていて、他人に照準を合わせて考え行動している自分に気づく。自己嫌悪と罪悪感で苦しくなる。
自分を信じるという事が簡単なようでいて簡単じゃない、そんな時私はどうなりたいのか原点に立ち返ることにした。この不安と自己嫌悪から逃れて自分を生きたい、自分を信じて進んでいきたい、きっとそうできると自分を信じたい。
私は常に不安で安心できていない。何もない時こそ不安に駆られる、油断していたらどんな不利益が降りかかってくるか分からないのだから。そういう思い込みがある。
だからこその、人に関わって肯定感を得たいという思い、人から評価されて安心したいという欲求、嫌われているのではないかという孤独の恐怖、大事にされ愛されたいという欲求がある。つまり生きていてもいいんだという認定が欲しい、役に立つ自分でいなければ許されないという罪悪感があるのだ。
安心したいが為に人に深く関わろうとしてしまう、やり過ぎてしまうのだ。だから最近は支配されないよう気を付けている。話しかけ過ぎないように、関わり過ぎないように、突き詰め過ぎないように、距離を取るように心がけている。
相手は相手のままでいていいなら、自分だって自分のままでいていい。別に職場がいい雰囲気にならなくったっていいのだ、そのために道化にならなくたっていいのだ、必要以上に不安にならなくたっていいのだ。