心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

自己理解と受容ができるように

2022-10-18 18:12:17 | モヤモヤする事

過集中とこだわりが「わかってほしい」という欲求と繋がる、そこに衝動性が加わることで欲求が暴走する、止められない。

私がわかってほしいと居ても立っても居られないのは、衝動性があるから。

過集中で止められない欲求と、察する力の弱さ、統合的な判断力が私は一般の人より劣る。

相手が本気で怒るまで気づかない、空気の読めなさ察しの悪さ。

人の言葉の奥、踏み込んでいいかどうかの境界線が読めないからこそ、真に受けるし境界線がわからない。

好きでこんなやり方をしている訳では無いのだけど、ふと気づけば突き詰めたくなる。

疲れるがしないよりはしたほうが自然なのだ私的には。

しかしこれは一般的には努力の足りない未熟者になる。
「大人なんだからわかっているべきでしょ、子供じゃないんだから手取り足取り教える事じゃないでしょ」

その普通のことが、努力しても注意してもどうやっても理解しきれない苦しみを知らないのだろう。

努力で何とかすべしと認識する人が多いのだろう。そんな私にとっての理不尽さ。

相手の不快感情の発露で、読みを外したのだと知る。そして自分に失望する、もう疲れてしまった。

 

それでも立ち上がるしかない自分がいる、生きることは投げ出せない。

私に与えられたメーカーオプション、新たな次元で受容が必要な部分。

悔しくても受け入れて対応を続ける、明るく生きる未来のために、自分のために。

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大事なことはなに?

2022-10-10 17:49:38 | モヤモヤする事

どうしていつも「自分」を忘れてしまうのか。どうしたらいいか考える時はいつも他人軸、自分軸と他人軸はまだ混乱していて、境界線もあいまいだ。今のところ、そこまでは分かるけれど。

問題が勃発したとして対処を考えた時、まず軸にするのは「問題だと考えている他人のためにどうするか」だって怒ってるわけでしょ、私がした「何か」のせいで。例えば私の思いやりのない言葉だとか態度だとか、それは私のことな訳でしょ。だとしたらその為に自分が何かできるのか?を考えるのが自然なのではないのだろうか?でもそれが違うんだと言われる。他人軸だと言われる。

自分のこと考えてるよ、これは自分軸じゃないの?よくわからないんだ。「何言ってるのバカバカしい」なんて思えないよ。だって相手は怒ってる、察しろよって怒ってる。私に何をしてほしいの?わからなくて戸惑うと相手はさらに怒る、私が悪いからだと怒る。自分なりの正義が間違ってると言われたら、もう何もできない。自分の拙さに罪悪感と無力感を抱くしかなくなる。喉に小石が詰まって息が苦しいよ。消えてなくなりたいよ。だって私が間違っているから怒ってるんでしょ、どうしたらいいの?母はいつも私を怒っていた、思いやりがないと、自分勝手だと。

もし、これがただの母の八つ当たりだったのだとしたら、これは母の問題なのだろうか?カウンセラーに言われたのは、真に受けることはない、どうして真に受けるのか?そんなの私にもわからない、私は何時だって人の感情のために疲弊しているのだから。相手の感情が正しいのだと、私が下手を打ったのだと、そういう事ではないという事なのか?

横暴な父と母という私の心証は、彼らを相手に手古摺ったから。父母を悪だと罵っても、そう思いつつも、私がもっとうまくできていたらよかったのにと今でも思っている。もっと根本的なことなのだろうか?大事なことがわかっていないのだろうか?

確信に近づきつつある気がしている、私の問題の本質の一つに。

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思い出して

2022-10-10 17:10:00 | 前向きな自分へ

疲れて元気が出ない時

ただやるせなくて寂しい時

不安でどうしていいかわからない時

思い出して

あなたはどうなりたいの?

 

自信をもって

自分を愛してあげて

そんな時もある

気が付くことが第一歩だから

 

不安になったら思い出して

今のあなたがあるのは

あなたが努力し続けたから

くじけても転んでも起き上がってきたから

よくやってきたね

 

世の中に胸を張っていいんだよ

あなたの良さを発揮していいんだよ

自分のために行動していいんだよ

きっとできるよ

自分を愛して信じてね

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寂しい

2022-10-09 23:14:18 | 不安な時の

愛してほしいの そのままの私を

ただあたたかく包んでほしいの

大切な存在だよって教えてほしいの

安心してもいいんだよって

生きていてもいいんだよって

わからせてほしいの

そんな思いをいつも誤魔化している私が

自分で叶えるしかないということを

疲れた夜は思い知る

希望はあるんだってまた自分を鞭打つの?

立ち上がる勇気をまた搔き集めなくてはならないの?

そんな時もあるってわかってる

かなしくても朝は来るってわかってる

それが私の人生だってわかってる

不幸が特別じゃないこともわかってる

自分を愛する

自分を信じる

そんな簡単なことが私には難しい

だからただ愛してほしいとおもうの

あたたかく包んでほしいと思うの

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中間子の悲哀

2022-10-09 22:03:36 | かなしい記憶

ある動画を見て中間子の悲哀を感じた。

姉(小1)妹(年少)弟(乳幼児)の三人姉弟が母と一緒に作業をする動画だ。

途中、中間子の妹が姉に絡んで叱られ自室で反省タイム、父親がフォローに向かって作業復帰、完成という流れだった。

中間子が作業復帰時、母親からの「反省した?」との声掛けに少しモヤモヤ…

中間子であった私から見ると中間子がさりげなく無下にされているなと感じるのだ。

途中で幼児に中間子の帽子がかぶせられた「私の」と声が出る中間子、ママと何度も声掛けしてるのに対応がなかった中間子、一番ダメダメなことをしてるのに最高の笑顔で微笑み合う母と弟をみている中間子。母に誰かこれ飲んで~と言われて私が飲むと手を挙げる中間子、忖度なく水がいいという姉。母の隣の定位置をおやつタイムに姉に奪われる中間子、私の席よと訴える中間子に今日は私の番という姉、ルールを守らないと遊び歌を歌われる中間子。

動画を通して母目線で見るとまた違う感慨も涌く。上手く楽しく作業をする姉、失敗したり暴走したりする妹、やんちゃをしても咎められない幼児の弟。中間子は問題ばかり起こす、姉に絡んでばかりで引っ込まないという風に見えるのだ。姉は妹にも弟にも気遣いがあるように見えるし、幼児の弟は笑顔笑顔で母としては何をしても癒しであろう。

母親はナチュラルにそうとしか思えないのだろう。姉目線で見たらまた違う感慨なのだろうけれど。最大限、母として3人を分け隔てなく対応しているように見えても、子供それぞれへの評価には個性や相性が加味されているように見えた。それを肌身で感じる中間子は努力しても姉にも弟にも敵わないが、なんとか食らいつこう母に評価してもらおうとしているように見えた。母をより笑顔にできるものが最高位なので何とか評価してほしいけど、中間子は個性が勝ってしまっているように見えた。

中間子が姉に盾突かず大人しければ母としては手間が省けるのだろうな、評価を受けたい中間子には難しい課題かもしれない、ましてや衝動性が勝る年代で多動的なら難しいかもしれないな。

ささやかな中間子の不都合に目を向けて欲しかったのは、多分私の願望なのだろう。

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