心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

それは違うと思う

2023-05-29 09:11:50 | モヤモヤする事

「不得手だからって、始める前から挑戦しないのは、それは違うと思う」

子育ての他愛ない会話の中で引っ掛かった言葉だ。コミュニケーションが苦手だという特性の存在と、だからこそ個性に合った場所選びが大事なのだ、という私の言葉を受けての意見だったと思う。正直挑戦的な意見だと感じた、努力こそが報われる手段だとまだ思っているのだろうかとか、私は努力も挑戦もしてきたけれど負担はとても大きく、普通の当たり障りないコミュニケーションに全力を注いでいるのに上手くいっていないのにとか、そんな私に鞭打つ意見だな等と感じた。

モヤモヤした自分がいるが、何故なんだろうかと自己分析してみて一番しっくりしたのは「発達的な特性」「文章全体が読み取れない&文脈が消えてしまう」そんな思い込みの癖だ。幼稚な価値観の私は自分の延長線上に他人を見てしまうので「理解できる上限がある」気がしている、これまで考えてこなかった自分の外に真実があるのだという「暗黙知」に気付き始めている。もしかしたら、これがこれまで感じてきた違和感の正体なのかもしれない、私は誤解しやすいのだ。文脈が消えて断片的にしか理解できず誤解しているのに、それが真実だと思い込んでいる。それは誤解から生まれたとしても「私の中の真実」なのだ、私が感じたものが私の全てだから。

モヤモヤしたけれど客観視してみれば、彼女は私の「努力しても上手くいかないという葛藤」など知らないのだから、私に当て擦った訳でもないのだろうと思う。会話の中で誤解して一人怒るという思い込みの世界、ひとりよがりな癖を自覚した出来事だった。

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不安でいっぱいの私の変化

2023-05-28 21:51:08 | 前向きな自分へ

私は常に不安で安心できていない。何もない時こそ不安に駆られる、油断していたらどんな不利益が降りかかってくるか分からないのだから。そういう思い込みがある。

だからこその、人に関わって肯定感を得たいという思い、人から評価されて安心したいという欲求、嫌われているのではないかという孤独の恐怖、大事にされ愛されたいという欲求がある。つまり生きていてもいいんだという認定が欲しい、役に立つ自分でいなければ許されないという罪悪感があるのだ。

安心したいが為に人に深く関わろうとしてしまう、やり過ぎてしまうのだ。だから最近は支配されないよう気を付けている。話しかけ過ぎないように、関わり過ぎないように、突き詰め過ぎないように、距離を取るように心がけている。

相手は相手のままでいていいなら、自分だって自分のままでいていい。別に職場がいい雰囲気にならなくったっていいのだ、そのために道化にならなくたっていいのだ、必要以上に不安にならなくたっていいのだ。

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失う事を恐れているのか?という問い

2023-05-28 21:29:52 | 気づかされた言葉

体調が悪く憂鬱で楽観的になれない。

定期的に通院している婦人科で最近の体調を問われそう答えた。診察後、看護師さんとの会話の中で子供が自立した為の空の巣症候群、もしくは女性としての機能の衰えに焦っているのか?と聞かれ少々ハッとした、確かにそういう側面はある一般的にそういう時期だから。

そして、今の私は一般的な悩みの下にある自分としての土台が揺らいでいるのだと気付いた、自分に向き合い自分のこれまでを振り返って少し落ち込んでいるのだ、疲れてしまって当然なのかもしれない。

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これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのか

2023-05-28 21:21:39 | 新しい心持へ

自分に向き合い始めて6・7年になる。

道は見えてきたと思える日もあれば憂鬱になる日もあり一進一退だ。

だがしかし、今のこの状態を幸せと呼ぶべきだろうと言い聞かせている。

失敗しても笑って自分を許してくれる人がいて、何も特別なこともなく日々が過ぎる。

穏やかに一日を過ごす事を自分に許したい、そう思っている。

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