心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

わかって欲しいは 認めてほしい

2024-09-11 18:27:10 | ご挨拶

追放した欲望を抑圧する、自分の望み=欲望を否定して無意識化に落とし込み、無かったことにする。

しかしその欲望は意識から追放しただけで、その人自身から無くならない。

だから、自身のやりたいこと(本心・無意識)をしている人が気になって仕方が無い、批判しないではいられなくなる。

心理学者 加藤諦三先生より

 

私は自分をわかってほしかった、何故この欲求が強いのか分からなかった、困惑していた。

誰かが発言し受け入れられている姿を見ると、居ても立っても居られない気持ちで前に出たくなる。

私のわかってほしい欲求の根源は認めてほしい、肯定してほしいなんだと思う。

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どう生きるのか 何が幸せか

2024-09-11 14:53:56 | 気づかされた言葉

他者の価値観や評価を軸にして、自分はどういう人間なのかというアイデンティティを築いたり、他者と比べて一喜一憂したり、他者から与えられた目標ばかりを追いかけているうちは、本当の意味で幸せにはなれない。

自分らしい充足した人生を送るためには、自分としっかり向き合い自分一人でアイデンティティを築き、どう生きるかの方向性や目標、果たすべきミッションを自分で決めなければならない。

自分がどう生きれば幸せでいられるのか、その答えは自分の中にある、自分の足の向かうほうへ歩いていけばいい。

どう生きるかつらかった時の話をしよう 野口聡一 著

 

私もこれまで一生懸命にやってきたつもりだけれど、虚無感と寂寥感に苛まれている。

振り返ってみれば、私は本当にやりたかったことを置き去りにしてきたのかもしれない。

何の為に他者から評価されたかったのか、何の為に生きてきたのか。

見つめ直す苦しい作業はまだ続いている、焦らずにゆっくり進む、それが私。

諦めない、いつかこの苦しみから解き放たれて、自分らしく生きるために。

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嫌な記憶よさようなら

2024-09-11 14:37:04 | 前向きな自分へ

嫌な出来事=不要な情報

記憶を意図的に忘れる、忘れることにも良い面がある。

「思い出したくない出来事」を思い出させる「手掛かりに出会ったとき」

意図的に思い出すことを止める

何回も繰り返し思い出さないことに挑戦する

手掛かりに出会ったときにだけ思い出さないようにすることで、徐々に思い出しにくくなっていく。

日本心理学会が公開している情報より

 

自分を見返すと、確かに不安になるたびこれまでの嫌な出来事を思い出している。

「だから自分は駄目なんだ」繰り返し自己暗示しているのかもしれない。

止めたくても止められない認知の歪みを修正したいから、私も挑戦することにする。

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いじめっこの言葉「悲観的に捉えすぎ」

2024-09-11 10:41:56 | 気づかされた言葉

仕事に対する傍若無人な愚痴に対してのアンサーのような注意を受けた。

下請けとして仕事を受けている立場の我々が、元請け側に聞こえる様に愚痴を言う人が多いのだ。

「悲観的に捉えすぎ」

「直接非難されたらその時考えればいい」

だから再三注意されても、自分事として考えないのかもしれない。

他責?防衛?都合の悪い注意から無意識にスルリと逃げてしまう。

「そんなつもりない」これはいじめる側の論理な気がしている。

直接には非難されていないから、都合の悪い状況に気付いても憶測では対応しない。

そういった彼女の合理性の中にある違和感、自己都合を感じた言葉。

彼女は分からないし、分かりたくないのだ。

WillnotとCannot、できないことは無い事。

都合の悪い出来事から目を逸らして生きている人たちなのだ。

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