心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

私の間違った認知の核

2023-07-10 17:33:41 | かなしい記憶

「悪い相手を悪いと思ってはいけないのなら、何をされてもどんな感情が生まれても、相手を悪いと思わなければいい、そもそも自分が悪いからと思っていれば楽だから。」

暴力を振るう父を悪いと言ってはならなかった、言うと暴力を振るわれ何時間も責められた、いつしか父を悪いと思わなくなった、思わなければ言いたい気持ちは無いも同然だった、自分の本当の感情を感じなくなったのは何時からだったのか。

「よくこれまで持ち堪えてきましたね」5年前に民間のカウンセラーにかけられた言葉だ、その時は感慨深かったが、そこから更に自分を見つめ直し学び続け認識を新たにする、その時はここまで自分に影響を与えていたことが判らなかった。

しかし今でも、人間関係に悩んだ時は「自分が悪いから」と引き受ける癖は相変わらずで自動的に発動する。思考が停止してグルグル思考に陥り、憂鬱と不安に苛まれ自己肯定感が下がり、承認欲求が高まり他者に依存し受け入れられないと、益々不安になり疲れ切ってしまう負のループだ。こうなってしまうと自分も世の中も混沌として人が怖くなる。

私にとって優しくない人との関りは辛い環境で、それは相手に合理的配慮を求めるという事かとか、優しくないから辛いとか考えるのは如何なものかとか悩ましい。どう適応していくかが課題、バランスが大事なのかもと今は考えている。

コメント

一里塚①発達障害の学びを深めて

2023-07-09 21:53:23 | モヤモヤする事

自分を知り他人を知り、多方面から発達障害について学びを深めている。

原動力は過去の疑問点。過去と現在の「人間関係の疑問」を「学んだ知識」とでつなぎ合わせ、新しい認知に置き換えている。つまり放置してきた傷を一つ一つ手当てしているのだ。

今悩んでいる苦しみの根源を探れば「自分が悪いから」「自分が至らなかったから」という認知に至る。この認知の上書きには自分の傷を追体験するような感覚があるので、非常に疲れるしとても億劫でなかなか進まない。

最近の大きな認知の上書きは、自分以上に実父に発達的な特性が強いという事。そして夫と舅と義姉、そして息子は同じようなASDの特性があるのではないのかということだ。誰でも持っているのかもしれない発達の凸凹に気づいた。

何故、自分にとって都合の悪い指摘を否定し感情的に怒るのか、激情が覚めた後に頓珍漢な理屈で責めたり嫌みを言ってくるのか。私は相手の最もらしい攻撃や怒りを信じて傷ついたり悩んだり、自分が至らないからだと自己嫌悪しながら受け入れて苦しんできた。

今こそ、私は彼らの暴言を全面的に受け入れる必要はなかったと、認知を上書きし自分に言い聞かせている。私は相手が正しいのだとずっと信じてきた、しかしそうではなかった可能性が高い。だって間違っていると指摘されたのならば素直に修正しアップデートすればいいだけなのだから、それが成熟した人間なのだから。彼らは何故かそうできない、その理由を知りつつある。

コメント

わかってほしいの根源

2023-07-08 19:23:26 | モヤモヤする事

私の中の「わかってほしい」という強い欲求について、現段階の考察をまとめてみた。

両親や自身の発達的な特性、機能不全家族、時代性、愛着障害や複雑なトラウマ、自身が深めてきた傷つき体験、震災体験と適応障害。心療内科受診や医療機関や民間や公的機関のカウンセリング。自分を見つめ直す作業、心理への学びと気づき。

「原家族」

母がなぜ私を慈しまなかったのか、それは機能不全家族というのも大きかったが、母自身の成熟度が低かったことが一番の要因のような気がする、もちろんお互いの特性もあるのだろうけれど。

父はとても問題を抱えた人間だった、生まれ持った特性故に苦しんできたことは幼心にも理解できた、社会的想像力と社会性に欠けておりコミュニケーションに障害を抱えていた。アルコールに逃げ暴力を家族に向け、周囲との関りの中で様々なトラブルに直面していた、そして今も変わることなく人間関係にトラブルを生み出している。

母は常に被害者ポジションだった、母には離婚をする選択肢も2世帯同居の家を出る選択肢もあったがそうはしなかったし、思考停止している母は今も昔も自己の不利益(離婚)を回避したいと考え、現実から目を背け自己憐憫に耽溺している。家族のトラブルは他人事、私は可哀想という考えに終始し自分にばかり囚われていた。子供の情緒には全く考えが至らなかった、子供の困り事には「あんたが悪いんでしょ」と助けてくれることは無く、子供が殴られても無関心だった、殴られて当然というスタンスだった。

つまるところ私は機能不全家族の中で適切な養育をなされてこなかった不憫な子供だったのだ。私の苦しみの根源は父と母の関係性なんだと思う、そして発達的に問題を抱えて生まれついた私は、適切な養育と支援が必要な子供だった。父と母がどんな私でも愛し認めてくれて私の困りごとに対応してくれていたら、「自分は駄目な人間なんだ」と傷つきながら生きることは無かったのではないかと感じている。

コメント

進めこの声の限り

2023-07-08 18:59:57 | 前向きな自分へ

「進めこの声の限り 明日を夢見て歌うよ」

私がここ数年追い続けている歌手wakanaの新曲、琴線に触れた歌詞だ。

自分を信じ自分を愛せますように、他人を気にせず自分でいられますように、と言い聞かせて私は日々を過ごしている。気が付くと「わかってほしいという」強い承認欲求に振り回されていて、他人に照準を合わせて考え行動している自分に気づく。自己嫌悪と罪悪感で苦しくなる。

自分を信じるという事が簡単なようでいて簡単じゃない、そんな時私はどうなりたいのか原点に立ち返ることにした。この不安と自己嫌悪から逃れて自分を生きたい、自分を信じて進んでいきたい、きっとそうできると自分を信じたい。

コメント