月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

367.小山田事件をきっかけに、90年代のお笑いと漫画の振り返り(月刊「祭」2021.7月5号)

2021-07-21 22:26:44 | 新型コロナと祭、民俗
●90年代に若者だった人たちの文化
 障害を持った同級生たちへの性的、人種障害者差別的、物理的な虐待を語っていた小山田圭吾氏がオリンピックの音楽担当を辞任しました。開催可否議論から目を逸らすための炎上要員として小山田氏に白羽の矢がたった可能性も管理人は疑っています。しかし、ここではそれを追及しません。
この記事では、小山田氏が活躍した90年代を鬼畜趣味がサブカル界であったことにふれつつ、それでも小山田氏の言動はよくないことだとしています。現在の小山田氏への社会的な批判と辞任は妥当です。しかし、小山田氏を責めるだけではなく、小山田氏を作り出した時代背景を今一度振り返り、今後の反省の材料とするのも意味のあることではないかと思います。
そこで、90年代の若者文化を、管理人の体感で振り返りたいと思います。

●いじめ肯定派
まず結論から言うと、90年代はいじめ肯定派ともいえる文化が若者の中に流れていたのではないかと管理人は考えます。
管理人が高校生の頃、「俺はいじめ賛成や」といっている高校生らしき人を見たことがあります。その人がいる集団は、●●高と書いた鞄をもち、制服らしき服を着て、見た目も同年代だと思ったので、間違いないと思います。百歩ゆずっても20代だったと思います。
管理人は一人だし、明らかに向こうのほうがケンカが強そうだったので、不快でしたが、何も言うことはありませんでした。そして、同じ制服らしきものをきた人たちも、反論することはありませんでした。
男子中高生の場合、いじめ・虐待加害者と被害者のどちらが異性との交際経験が多いのかと問われると、前者となるでしょう。加害者と被害者の交際経験などの統計をとると、おそらく言った通りの結果が出ていたことと思われます。
被害者は損をする、加害者は特をする、正義感をもって行動したり反論すればつぶされ、被害者に転落する。このような実情が90年代を取り巻く環境で、それが上のような発言を容認した背景だったと思います。
それは、小山田氏や後述の藤沢とおる氏、松本人志氏、浜田雅功氏らが中高生時代を過ごした70~80年代も同様だったのかもしれません。

●湘南純愛組とGTO
まずは漫画の世界を見ていきます。藤沢とおる「GTO(1997-2002週刊少年マガジン連載)」の主人公・鬼塚栄吉は、大学の単位を腕力で自分に従わせるようにした替え玉を使って取得していたことが描写されています。さらに高校生時代の鬼塚栄吉と親友の段間龍二の青春を描いた「湘南純愛組」では、2人が日常的にカツアゲを行っていたことが描かれています。
この漫画が日本や世界に知れわたる雑誌で連載されていたのは間違いない事実です。管理人は、カツアゲの描写には恐ろしさを感じつつも、それ以外の場面は楽しく読んでいました。

●ダウンタウン
ダウンタウンのお笑い芸人・松本人志氏は、「ひとりごっつ」だったかと思いますが、大喜利のネタとして飢えに苦しむ子どもの写真を扱っていました。また、そのことについて自身のエッセイでも触れられていました。
また、後輩芸人に対する浜田氏や松本氏の理不尽なパワハラエピソードはかなり苛烈なものがあります。そのような関係性が当時の芸にも表れているようにみえました。そして、多くの当時の若者がそれを支持していたのは敢然たる事実です。

●昔若者だった人たちの振り返りと自己批判の必要性
 こうしてみると、いじめを助長しうる作品を昔若者だった人たちは、軽率に支持していたことが分かります。そして、それはあくまで作品の中の世界で現実では絶対に許されないことだという認識のもとではなかったように思います。純愛組やダウンタウンの世界と現実を分けるべきだという考えは、「白ける」ものとして忌避されていたようにも感じます。忌避されていたものではなかったとしても、十分ではなかったことは言えるでしょう。
管理人は今でもオリンピックの強行開催は反対です。が、一つオリンピックを有効活用できることがあると考えます。それが、我々おっさん、おばはんが、小山田氏や雑誌記者のような安っぽい「善悪超越芸術家きどり」の言動の滑稽さ、カッコ悪さ、加虐志向の醜さが自身にあったのではないか、そしてその被害者がいるのではないかという問いに一人一人が内省し続けることです。


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