6月13日。
去年のこの日、クーは虹の橋を渡って行きました。
私の手の中で眠るようにして・・・・・。
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いつも思い出さない日はないくらいの毎日ですが、この日はずっとクーの一日でした。
あいにく息子たち二人は不在。
①はゼミの集まりで新潟へ。②は山岳部のインターハイ予選で高尾山へ。
オットと二人でクーの写真を並べてお酒を飲みながら思い出をたくさん話しました。
本当に猫に非ずと言う感じで、警戒心ゼロ。人一倍お寝坊さんでした
普通、人の起きる気配とかで起きそうなものですよね?
なのに、クーはいくらシャッターの音がしても目を開けません
これはまだすごく小さい頃の写真。②がまだ小学校1年生の頃かな。この頃から人の顔が大好き
訳あって、二匹いたことも・・・。手前でふてくされているのがクー。
こんな切り株に入っていたことも・・・。
クーの最初の症状が出た半年前、私は交通事故にあいました。
私と息子②の乗っていたタクシーに、交差点でわき見運転でノーブレーキの車が
右側から突っ込んできました。
タクシーは交差点の信号機の電柱に激突で、車は大破。
ガソリンも漏れ、一瞬本当に危険な状態でした。
それなのに、乗っていた運転手さんを含めた私たちは大けがもせず、後遺症もありませんでした。
現場検証で、警察官も驚いていたほどだと後から聞きました。
私は助手席のヘッドレストに顔からぶつかりましたが、奇跡的にムチ打ちもなく
顔は腫れたり、内出血はあったものの、すぐに綺麗に治りました。
その日はオットは出張で海外、息子①は合宿で不在。
悪いことが重なっていました。
後から調べてみると、その日は私にとってすべての機能が止まるほどの最低の運勢の日だったのです。
クーは身代わりになってくれたのかもしれないと最近、本当にそう思うのです。
クーがいなくなって自分の身体の一部がなくなてしまったような、無理やりに引き裂かれてしまったような喪失感。
クーが私を救ってくれたのかもしれないと、クーとの関わりもこの1年でよくわかった気がします。
一周忌を迎え、あらためて確信したような気がします。
短い間でしたが、本当にたくさん愛して、そして愛されたと思っています。
きっとどこかでまた逢える気がして、いつもクーを探しています。
猫ではないものに生まれ変わるのかもしれないとも思うのです。。。。。
大切な友人がお花を届けてくれました。
私と同じ、ペットという家族を亡くして同じ気持ちを抱えている彼女。
二人でそのことを話すと未だに飲んでいるお店でも号泣してしまう私たちです
素敵なお花をありがとう
今でも庭をいつも眺めているクーがそこにいるような気がしてなりません・・・・・。