青山霊園は都内でも有数の大型墓地です。
幕末以降の歴史上の人物の墓がたくさんあります。
僕が遼東半島で訪ね歩いた日露戦績で活躍した人物の墓も多いようです。
僕は20年ほど前にこの付近で暮らしていたので、この霊園は神宮外苑に至るジョギングコースとして頻繁に通っていたのですが、墓石のひとつひとつをじっくり見たことはありませんでした。
多くの歴史上の人物の墓があることは知っていましたが、興味がなかったのですね。
大連で暮らし、自分の目と足で近代史を学んできた今は違います。
暖かい週末を選んで出掛けてみました。
青山霊園はきれいに区画整理されていて、住所表示のような番地が付されています。
案内所に行くと、歴史上の人物の墓を示した地図を無料で入手することができます。
地図を受け取り、さっそく探し始めます。
まずは、「軍神」広瀬武夫の墓を見つけました。
広瀬の旅順口閉塞作戦での殉死は1904年ですから、1世紀以上ここで眠っていることになります。
神とまで崇められた超有名人の広瀬中佐ですから、これまで多くの日本人がここを参ったのでしょう。
続いては陸軍第三軍の参謀長・伊地知幸介です。乃木の右腕です。
旅順で児玉源太郎から前線に足を運ばず、陣地に居座って作戦を練っていたことを叱責されるシーンが象徴的でした。
伊地知は1917年に没したそうですから、今年でちょうど没後100年ということになりますね。
今はどんな思いで眠っているでしょうか。
次は秋山好古です。
「坂の上の雲」の主人公のひとりで、「日本騎兵の父」です。
日露戦争の奉天会戦などで騎兵団を率い、世界最強と言われたロシアのコサック騎兵団を撃破しました。
小説では豪快で質素、心の熱い大酒飲みの人物として描かれています。
墓標です。好古は右から4番目。一番右は母の貞子です。ドラマでは竹下景子が演じていました。
左からは3番目は好古の妻・多美です。ドラマでは松たか子でした。
好古は1918年まで生きたそうです。
こちらは山本権兵衛です。
日露戦争時の海軍大臣です。
東郷平八郎を連合艦隊司令官に指名しました。ドラマでは石坂浩二が好演していました。
乃木希典です。
ここは一軒家風に墓の周囲を壁で囲まれていますが、施錠はされていないので入ることができます。
逆光なので名前が読めませんが、これが希典の墓石です。
希典以外に、静子夫人や、金州で戦死した長男勝典(2016年11月2日の日記)、203高地で戦死した次男保典(2016年11月28日の日記)の墓もありました。それぞれ独立した墓石です。
4つの墓石、それぞれの前で手を合わせました。
勝典の墓石です。
こちらは保典。
小村寿太郎です。立派な鳥居が目を引きます。
外務大臣としてポーツマス条約を結び、日露戦争を終結に導きました。
ドラマでは竹中直人でした。
島村速雄です。
島村は連合艦隊の参謀長として、バルチック艦隊との決戦に挑みました。ドラマでは舘ひろしが演じていました。
後藤新平です。
満鉄の初代総裁です。
有馬良橘です。
有馬は連合艦隊参謀で、旅順口閉塞作戦の立案者でした。
明治天皇と関わりが深く、晩年は明治神宮の宮司も務めました。
長岡外史です。
日露戦争では大本営陸軍部参謀次長として、旅順攻囲戦への二十八サンチ榴弾砲の投入に関わりました。
ドラマでは的場浩司が演じていました。
墓石の脇には二十八サンチ榴弾砲が添えられていました。
旅順や大連で命を落とした人も、無事生還を果たした先人たちも、ここに眠っています。
これは聞いたことのない人物の墓石の裏面ですが、二百三高地の戦いで命を落としたことがわかります。
青山霊園には、ほかにも多くの近代日本の礎を築いた歴史上の人物の墓がたくさんあります。
一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
幕末以降の歴史上の人物の墓がたくさんあります。
僕が遼東半島で訪ね歩いた日露戦績で活躍した人物の墓も多いようです。
僕は20年ほど前にこの付近で暮らしていたので、この霊園は神宮外苑に至るジョギングコースとして頻繁に通っていたのですが、墓石のひとつひとつをじっくり見たことはありませんでした。
多くの歴史上の人物の墓があることは知っていましたが、興味がなかったのですね。
大連で暮らし、自分の目と足で近代史を学んできた今は違います。
暖かい週末を選んで出掛けてみました。
青山霊園はきれいに区画整理されていて、住所表示のような番地が付されています。
案内所に行くと、歴史上の人物の墓を示した地図を無料で入手することができます。
地図を受け取り、さっそく探し始めます。
まずは、「軍神」広瀬武夫の墓を見つけました。
広瀬の旅順口閉塞作戦での殉死は1904年ですから、1世紀以上ここで眠っていることになります。
神とまで崇められた超有名人の広瀬中佐ですから、これまで多くの日本人がここを参ったのでしょう。
続いては陸軍第三軍の参謀長・伊地知幸介です。乃木の右腕です。
旅順で児玉源太郎から前線に足を運ばず、陣地に居座って作戦を練っていたことを叱責されるシーンが象徴的でした。
伊地知は1917年に没したそうですから、今年でちょうど没後100年ということになりますね。
今はどんな思いで眠っているでしょうか。
次は秋山好古です。
「坂の上の雲」の主人公のひとりで、「日本騎兵の父」です。
日露戦争の奉天会戦などで騎兵団を率い、世界最強と言われたロシアのコサック騎兵団を撃破しました。
小説では豪快で質素、心の熱い大酒飲みの人物として描かれています。
墓標です。好古は右から4番目。一番右は母の貞子です。ドラマでは竹下景子が演じていました。
左からは3番目は好古の妻・多美です。ドラマでは松たか子でした。
好古は1918年まで生きたそうです。
こちらは山本権兵衛です。
日露戦争時の海軍大臣です。
東郷平八郎を連合艦隊司令官に指名しました。ドラマでは石坂浩二が好演していました。
乃木希典です。
ここは一軒家風に墓の周囲を壁で囲まれていますが、施錠はされていないので入ることができます。
逆光なので名前が読めませんが、これが希典の墓石です。
希典以外に、静子夫人や、金州で戦死した長男勝典(2016年11月2日の日記)、203高地で戦死した次男保典(2016年11月28日の日記)の墓もありました。それぞれ独立した墓石です。
4つの墓石、それぞれの前で手を合わせました。
勝典の墓石です。
こちらは保典。
小村寿太郎です。立派な鳥居が目を引きます。
外務大臣としてポーツマス条約を結び、日露戦争を終結に導きました。
ドラマでは竹中直人でした。
島村速雄です。
島村は連合艦隊の参謀長として、バルチック艦隊との決戦に挑みました。ドラマでは舘ひろしが演じていました。
後藤新平です。
満鉄の初代総裁です。
有馬良橘です。
有馬は連合艦隊参謀で、旅順口閉塞作戦の立案者でした。
明治天皇と関わりが深く、晩年は明治神宮の宮司も務めました。
長岡外史です。
日露戦争では大本営陸軍部参謀次長として、旅順攻囲戦への二十八サンチ榴弾砲の投入に関わりました。
ドラマでは的場浩司が演じていました。
墓石の脇には二十八サンチ榴弾砲が添えられていました。
旅順や大連で命を落とした人も、無事生還を果たした先人たちも、ここに眠っています。
これは聞いたことのない人物の墓石の裏面ですが、二百三高地の戦いで命を落としたことがわかります。
青山霊園には、ほかにも多くの近代日本の礎を築いた歴史上の人物の墓がたくさんあります。
一度足を運んでみてはいかがでしょうか。