乃木希典の長男である乃木勝典(1879 – 1904)が戦死したとされる場所に行ってみました。
日露戦争に陸軍歩兵少尉として参加し、24歳の若さで命を落としました。
大連・金州を舞台に繰り広げられた「南山の戦い」に加わった勝典は、1904年5月27日、帝政ロシア軍の銃に被弾し、倒れます。
勝典が戦死したとされる場所は、南山の北東約4キロの静かな農村、小閻家楼の丘の上です。
戦死した場所には、日本租借時代に「乃木勝典中尉戦士ノ所」という石碑が建てられていたそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/66/bcd9ca68a26169f94c8c3c71bb290107.jpg)
古写真が残っています。
今は撤去されていますが、台座だけは残っているようです。
見つかるでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ad/2ed431e38f07a65424f4b3c7b6bfde2c.jpg)
ここです。
それらしい場所に来てみましたが、台座は見つかりませんでした。
丘の一部はつい最近切り崩されたようで、瓦礫が積まれていました。
おそらく、台座も一緒に崩されたのだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/a2/e9c306c5d4009dd2d11efb26814f8131.jpg)
眼下にはさくらんぼ畑が広がります。
112年前、この地で日露の激しい戦闘が繰り広げられたとは、にわかに信じられません。
日露戦争に陸軍歩兵少尉として参加し、24歳の若さで命を落としました。
大連・金州を舞台に繰り広げられた「南山の戦い」に加わった勝典は、1904年5月27日、帝政ロシア軍の銃に被弾し、倒れます。
勝典が戦死したとされる場所は、南山の北東約4キロの静かな農村、小閻家楼の丘の上です。
戦死した場所には、日本租借時代に「乃木勝典中尉戦士ノ所」という石碑が建てられていたそうです。
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古写真が残っています。
今は撤去されていますが、台座だけは残っているようです。
見つかるでしょうか?
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ここです。
それらしい場所に来てみましたが、台座は見つかりませんでした。
丘の一部はつい最近切り崩されたようで、瓦礫が積まれていました。
おそらく、台座も一緒に崩されたのだと思います。
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眼下にはさくらんぼ畑が広がります。
112年前、この地で日露の激しい戦闘が繰り広げられたとは、にわかに信じられません。
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