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氷月神示 白雪の10

シャルルより皆さんへ

(シャルルって誰ですか?
このブログ内ではミロクの魂の兄です
詳しくは、『氷月神示 銀雫の96 [=その296] 』をお読み下さい)

たぶんなりすましと思っている人が98%、後の2%が未確認飛行物体?!と思ってらっしゃるのでしょう
その2%になりきるのは、難しいですね(笑)
電気仕掛けじゃないですから
仲間の爺(=このブログの語り手の1人である国之常立神) ともよく言うのですが、
ずっと来ないと、「まだかまだか、遅いじゃないか、ほんとに居るのか」と言われ、やっと来たら来たで、「お前達は偽者だろう、来るな帰れ、」と言われ、本当にどうしたらいいのか、途方に暮れます
人間は、何を望んでいるのでしょうね?!
本当に、救われたいのか、それともいつまでも不信の泥沼に浸かって、不幸だと言ってあがいていたいのでしょうか?
みなさんは、どう思われますか?……
もちろん、幸せになりたいですよね?
…まあ、これも偽者が多すぎるからですが……
みなさんで適当に受け止めて下さればよいと思います
そして、ここでは架空の説として語りましょう
…もしいつか本物?が来たら、どうぞ丁寧に接してあげて下さいね

では
お話を続けます
…私も聖書が非常に大切にされているのを知っていますが、合理的な観点から見て矛盾があれば、検証してもいいでしょう
ヨハネの福音書に次の言葉があります
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」
何かおかしいと思いませんか
みな:?
これの意味は、
「一粒の麦が手の中にある内は芽を出さない
しかし、土に落ちて死ねば、たくさんの実をつけるようになる
つまり、キリストが犠牲になって死ねば、多くの人が信仰に目覚める
だから、自分のいのちを捨てて他人のために尽くしなさい」
矛盾だらけです
まず、麦は土に落ちても死ぬわけではない
じっとしていて、やがて芽吹くのです
…だから土の中で生きている
この句は、キリストがもうすぐ捕らえられることを予期して弟子達に語ったようですが、土の中で死んだ麦は枯れた麦ですから、芽を出すわけがない
たとえとしては不適切です
従って、このようなことをキリストが言うわけがない
そして、『自分の命を愛するな、むしろ憎めば永遠の魂に変われる』というのも、おかしな話です
神様は人が己れの命を粗末にすることを好まれません
自分を愛して、その上に他人にも同じように慈愛をかけてほしいとお望みです
両方共が心身健康に幸せに生きることが大事です
…それから魂とは元々永遠性を持っており、転生を繰り返しますから、「○○をしたから、永遠になれる」というものではありません
ただし、歪んだ魂は不安定ですから、善いことをすれば心が整い、安定するということは言えます
転生については先述のようにわざと伏せられていた、というのが私の説ですが、永遠の魂になろう!というのも、真剣に反省し、魂の歪みをを整えようと励ます意味での、神霊独特の方便だと思います

「永遠の命についての方便」は別にして、「死んだ麦が芽を出す」とか、「自分の命を憎め」とかは、およそ論理性や神様のご意向に反することであり、私は後から書き加えられたものであると思います
世の中のアクニン達は信じやすい人々を自分の都合のよいように動かすため、わざと「必要以上に犠牲になれ、」とか言って自分は利益を得る場合がありますから、気をつけねばなりません

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