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氷月神示 白鳳の11

クニノトコタチノ神より皆様へ

以上のように、まとめますと、「日月神示」に付属の「五十黙示録」 内の、
第5巻「極みの巻」と第6巻「至恩の巻」はそれぞれ、
「極み=清く見(える)」、「至恩=シ(ャアの)恩」という隠し暗示があり、
「機動戦士ガンダム」第34話の前半の2つのシーンに、同じ暗示が集中していることがわかりました

清く見える=湖畔のバンガローで、ララァがアムロに「きれいな目をしているのね」と言う

シャアの恩=ぬかるみにはまったアムロのバギーを、通りかかったシャアとララァの車が助けてくれた

それ以外に、湖畔の雨のシーンは
ミロクの翠さんと、イシヤのエディが 2007年に気の術で戦って翠さんが勝ったことを、雨のやむ様子やララァとアムロの食い違う対話で比喩的に表しています

又、道の場面では
2008年に悩めるエディが、幽体でやって来たアダムと翠さんに心を救われたことが、アムロのバギーがシャアとララァに助け出されたことで比喩的に物語られています

…これらは皆、作者達の知らないことで、大きな神さまから見たら入っている暗示のようです
そして、未来予言になっているのです

1961年著の「五十黙示録」の中の2つの巻名に、「清く見える」と、「シャアの恩」の暗示がある

1979年のアニメ「機動戦士ガンダム」の第34話に、「清く見える」と「シャアの恩」の場面がある
(湖畔のバンガローの場面と、バギー救出の場面が該当)

2007年、翠さんとエディの戦いが発生 = 湖畔のバンガローの場面と似た経過をたどる
2008年、アダムと翠さんが、困っていたエディを助けた=バギー救出の場面と似た経過をたどる

…最後に付け足しになりますが、
第5巻の「清く見える」という暗示は、次の第6巻の3人の出会いの場面にも関係があります…
2008年に翠さんが幽体で天使に変身し、初めてエディを訪れた時、
彼女が彼に抱いた第一印象は、
『この人は (虚勢を張っているが、) 本当は優しい所があるんだ』
というものでした
当時のエディは翠さんへの愛の想いを否定することに疲れきっていたので、少しいつもより元気がなかったのですが、天使の前では強そうに見せました
しかし、なぜか翠さんには彼の内部に隠し持っている、優しさが感じられたのです
本当は人に優しくできるのに、わざとしないでいる、と言いますかね
エディは元々パウロの生まれ変わりで、イシヤを内部から倒すために神様に派遣されていましたカラ、本人は意識していませんでしたが、本来は大きな愛を出せる人なのです
しかし、神様の作戦上、良い本性をずっと抑え込まれていました
ミロクの翠さんに会うことで、初めて彼の中に閉ざされていた心の封印が解けるように、仕組まれていたのです……

それで、皆さんに思い出していただきたいのは、私がこの「日月ガンダム予言」の解説を始める前に、サン · テグジュペリの「星の王子さま」の話をしかけていましたよね
…あの登場人物にも、ミロクとエディの比喩が込められているのだと……

遭難したパイロット=心が孤独なエディ (=パウロ)
星から来た小さな王子さま=子どもの心を持つ、純心な翠さん(=ミロク)

パイロットは子どもの頃、象を飲み込んだ大蛇の絵を書いたら、誰も理解してくれず帽子と勘違いされたと語った
つまり、本当は優しい心(=象)を持つエディは、イシヤの導師(=大蛇)として皆に恐れられ、見かけは紳士(=ソフト帽)である
との比喩ですね

…そして、パイロットは王子さまに羊の絵を描いてくれと言われ、何も描けないので仕方なく象を飲み込んだ大蛇の絵を描きます
すると、王子さまはひと目で見抜き、「象を飲み込んだ大蛇の絵なんか、要らない、」と言います
つまり「王子さま」は翠さんの比喩で、彼女がエディをひと目見て、「この人は (こわそうに振る舞っているが、) 本当は優しい人なんだ、」と見抜いたことを表しているのですね
…ですから、1943年作の「星の王子さま」も、未来に起きるミロクとエディの出会いを予言していたのです……作者の知らない内にですね…
「星の王子さま」には他にも沢山の比喩が込められていますが、今はこれ位にして、「日月ガンダム予言」の解説に戻ります…

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