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彫刻家のつれづれ日記2

彫刻家・田中等のつれづれ日記をお送りします

日岡兼三展 - 高鍋町美術館

2015-11-01 17:27:26 | 展覧会
☆今日の午後に、高鍋町美術館で開催中の「日岡兼三展」を見に行きました。

一言で、”大ショック!”でした。

私が日岡氏とよく宮崎市内で出会っていたのは、私が佐土原町に住んでいたころで、彼が蟲を描いていたころです。

彼の年表を見ると、彼が末原晴人氏に師事して本格的に絵を描き始めてからまだ間もないころです。

いつか一緒に飲もうと言いながら、彼はお酒が飲めなかったのでとうとう二人で親しく接したことの無いままに終わりました。

そして、私は1984年の暮れに高鍋町へ帰ってきましたので、それ以降の彼の作品を知りません。

その後に彼の作品を見たのは最晩年の死の直前の宮日会館での個展と、死後の宮崎県立美術館での遺作展のみです。




☆ですから、私が高鍋に帰ってから後に展開されたこの展示室の傑作群には、私は今日初めて出会ったのです。

腰が抜けてしまうほどの衝撃でした!

こんなすごい作品を作っていたんだ!








そして彼が最晩年の青の世界に入っていくのは、肺がんが発病してからだと分かりました。

彼は私たち俗人には見えない世界を感じ、見ることの出来る人だったようです。

そう親しく交流したわけでもないのに、会うといつもお互いのことが気になる私たちでした。

彼は私よりも4歳上ですが、いつも同時代を作っているという共有意識があって、それで彼が亡くなったときには戦友の死という悼みで葬儀に参加させていただきました。










間違いなく、宮崎の美術界においては最も高みにある作家だと思います。

多くの人が、日岡兼三という優れた作家に出会う機会を作ってくれた高鍋町美術館の青井学芸員の直観力に、脱帽します。



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1 コメント

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Unknown (宮田)
2025-04-26 16:05:05
でもね、私の娘は!
中2から高校2年まで通っていた日岡教室を 突然辞めたのですよ。当時、私も 週1ですが 通っていました。夏には 東京芸大の下見にも行きました。その娘が ある日 宣言したのですよ。
私は 絵しか描けない馬鹿にはなりたくない
娘の怒りはすさまじく どうしょうもありませんでした。
後日、娘の作品をとりに教室に行きました。私は大泣きして先生に詫びましたよ。
日岡先生は
娘の才能を誉めちぎりました。
これまで数十年、多くの美大受験生を指導してきたが、S子さんほどの才能を持つ生徒は初めてだ。ダントツだ。
何も心配はいらない。描きたくなればいつでも描ける、
先生は何度も繰り返して娘の才能を褒めました。
私は娘の作品を知り合いの美術教師に見て頂きました。彼は
久々に 感動する作品を観た
と褒められました。
しかし、娘の怒りは治まらす
それらの作品をすべて ビリビリに破いてしまったのです。
あれからもう二十何年たったのでしゃう!
森さんの漫画が大賞をとり、映画化され、県出身ということで、県の各地てイベントが始まるなか、娘の心の傷が開いてしまったようです‼️
セクハラされたこと❗️胸を触られた

ようやく分かりました❗️娘が 突然 絵を投げ捨てたこと
作品を破り捨てた あの日の怒り
なくなってしまった先生にぶつけたい怒りが
映画化された 森さんの作品と 何も知らない関係者にぶちまけたい思いを 私だけが共有しています。
先生の教室での異常さは私も少なからず見ておりました。
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