*[海外の反応コーナー]
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-韓国「北が平壌近郊で核弾頭を製造中!片思いの結果がこれですか?」の声。
-インドのガス漏れ惨事、LG化学の韓国人職員2人を逮捕=韓国の反応。
-韓国「文大統領の支持率が47%!無能そのものだ!誰が支持してるんだ?」の声。
-韓国「日本がWTO局長選で韓国候補ではなくナイジェリアを支持!不倶戴天の敵、日本」の声。
-韓国人「日本が大敗北!」日本が輸出を阻止したフォトレジストの韓国生産が目前に! 韓国の反応。
-韓国人「日本という韓国に興味津々な国www」→韓国人「それは韓国のことでは…」=韓国の反応。
-韓国人「日本はそれなりな先進国なのに洪水被害も防げないんですか?」。
-韓国人「日本の水害は天罰!洪水も防げないのか!」→釜山が1時間79mmの大雨で壊滅へ。
-韓国】KはKancerのK【ポーランドボール】。
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-韓国人「日本、韓国の人気キャラ“ペンス”に対して日本のキャラの盗作だと扇動してしまう・・・」。
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*[海外の反応コーナー]
-海外「おっしゃる通り!」日本人が英国人の新型コロナ対策をダメ出しで英国人が大騒ぎ。
-中国人「コロナ禍の日本でキーマカレーの味がしなくなった日本人の話」 中国人「これはほっこり」「甘い甘いカレーだったんだろうな」。
-「日本の遊園地で新型コロナウイルス対策としてジェットコースターの利用客に心の中で叫ぶようお願いしている」。
-【速報】韓国「コロナより危険な正体不明の肺炎がカザフスタンで発生!1700人死去!入国禁止にしよう」の声。
-海外「中国は西洋が『中国ウイルス』と呼ぶことをレイシストだとか叫んでいた癖に、カザフスタンの新たなパンデミックを『カザフスタン肺炎』と呼んでいるぞ」。
-マスク人気のユニクロ 韓国では不調も日本と中国では好調 韓国ネット『どんなに不買運動しても無駄だと言いたいの?韓国人は反日扇動に振り回されている・・・』。
-外国人「日本がハイテクなマスクを開発、2120年に生きてるな」。
-外国人「すまん、どうして俺らは日本人のようになれないんだ?」コロナの中、日本で見られたとある光景に海外が驚き!。
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-マスク人気のユニクロ 韓国では不調も日本と中国では好調 韓国ネット『どんなに不買運動しても無駄だと言いたいの?韓国人は反日扇動に振り回されている・・・』。
-外国人「日本がハイテクなマスクを開発、2120年に生きてるな」。
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スティーブン・ビーガン米国務副長官(北朝鮮担当特別代表)が2泊3日の日程でソウルを訪れた。新型コロナウイルス感染症で国家間の移動が困難な時期に訪韓を強行したのにはそれなりの理由があったのだろう。一応、訪韓中は北朝鮮と接触する可能性が考えられた。しかし、北朝鮮の崔善姫(チェ・ソンヒ)第1外務次官がビーガン副長官訪韓の三日前に「米国とは対座する必要がない」と言って冷水を浴びせた。
ビーガン副長官は同盟国の韓国に会いに来ただけで、「北朝鮮に会おうと言ったこともない」と言い返した。そして2人を実名で批判した。そのうちの1人が崔善姫次官で、もう1人はジョン・ボルトン前米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)だった。ビーガン副長官は「私は崔善姫次官やボルトン前補佐官の指示を受けない」「彼らは古い思考方式に閉じ込められていて、否定的であり、不可能なことにばかり焦点を当てている」と言った。
この発言では、人柄の良さで有名なビーガン副長官らしくない何か悔しさのような感情が伝わってきた。トランプ大統領がもう随分前に侮辱して解任したボルトン氏に、ビーガン副長官はなぜあえて言及したのだろうか。
そのヒントは、ボルトン氏がこのほど出版した回顧録『The Room Where It Happened(それが起きた部屋)』にある。ビーガン副長官はボルトン氏の本に30回以上も登場する。ビーガン副長官に対するボルトン氏の視線は疑心と不信に満ちている。ボルトン氏はマイク・ポンペオ米国務長官よりもビーガン副長官の方を警戒した。北朝鮮問題に関する限り、ビーガン副長官の掌握力はそれだけ大きかったという意味だ。
ボルトン氏は北朝鮮との交渉で、「行動対行動」アプローチを唱えたビーガン副長官のスタンフォード大学での演説を批判した。米紙ニューヨーク・タイムズに、トランプ政権が核廃棄ではなく核凍結を検討中だとの記事が出ると、ボルトン氏はその背後にビーガン副長官がいると信じた。ボルトン氏は、ビーガン副長官が用意したベトナム・ハノイでの米朝首脳会談発表文の草案を「北朝鮮が書いたようだ」「トランプ大統領も気に入らなかった」と書いた。トランプ大統領がこの草案を批判した翌日朝、ビーガン副長官を見ても誰だか分からなかったということまで、あえて括弧(かっこ)を付けて記録している。
ボルトン氏は、根本的な北朝鮮非核化ではない試みはすべて、米政府が過去30年間にしてきた対北朝鮮政策の失敗の繰り返しに過ぎない、と考えた。だから北朝鮮との交渉を通じて何とか合意を導き出そうとしていたビーガン副長官や米国務省の努力を疑いの目で見た。ボルトン氏はそうした米国務省の努力を避け、ハノイ首脳会談でテーブルを蹴って出てくることが失敗ではないとトランプ大統領の頭の中に深く刻み付けた点を重要な成果だと考えた。
ビーガン副長官の訪韓は、ボルトン回顧録の一方的な主張に対抗して、トランプ政権の対北朝鮮政策担当者である自身の存在感を認めさせようとしたものなのかもしれない。しかし、駐韓米国大使館が出したビーガン副長官の発言に関するプレスリリースには「北朝鮮非核化」という言葉がなかった。「韓半島(朝鮮半島)の核兵器除去」というあいまいな表現と平和、関係改善に関する言及があるだけだ。北朝鮮政策特別代表としてのビーガン副長官の役割もこのようにまとめられているのだ。クリントン大統領のジュネーブ合意、ブッシュ大統領の6カ国協議に続き、進展したかのように見えた合意が結局、無駄な約束だったことが明らかになり、その間北朝鮮の核能力だけが向上するという「リピート記号」が再び作用するのだ。
トランプ大統領はビーガン副長官の訪韓期間駐に北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と3回目の首脳会談をする可能性をちらつかせた。しかし、「ショー」に過ぎない首脳会談や、会談の場を蹴って飛び出してくる選択を再びすることができないことは分かっているだろう。それに、米大統領選挙で北朝鮮政策が形勢を揺るがす「10月のサプライズショー」級ではないことも知っているはずだ。北朝鮮は今のところはトランプ氏再選の可能性が低いと見て、今は米国と会おうとしないものと思われる。
11月の米大統領選挙が終わって次の政権が発足するまで、国際社会において北朝鮮の核問題の解決を主導する主体は、当分の間いないだろう。北朝鮮の核問題は再び国際社会の迷子となった。北朝鮮は核能力を向上させる時間をまた稼ぎ、韓国が直面する安全保障上の危機はそれだけ深まったことを意味している。
姜仁仙(カン・インソン)副局長
ビーガン副長官は同盟国の韓国に会いに来ただけで、「北朝鮮に会おうと言ったこともない」と言い返した。そして2人を実名で批判した。そのうちの1人が崔善姫次官で、もう1人はジョン・ボルトン前米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)だった。ビーガン副長官は「私は崔善姫次官やボルトン前補佐官の指示を受けない」「彼らは古い思考方式に閉じ込められていて、否定的であり、不可能なことにばかり焦点を当てている」と言った。
この発言では、人柄の良さで有名なビーガン副長官らしくない何か悔しさのような感情が伝わってきた。トランプ大統領がもう随分前に侮辱して解任したボルトン氏に、ビーガン副長官はなぜあえて言及したのだろうか。
そのヒントは、ボルトン氏がこのほど出版した回顧録『The Room Where It Happened(それが起きた部屋)』にある。ビーガン副長官はボルトン氏の本に30回以上も登場する。ビーガン副長官に対するボルトン氏の視線は疑心と不信に満ちている。ボルトン氏はマイク・ポンペオ米国務長官よりもビーガン副長官の方を警戒した。北朝鮮問題に関する限り、ビーガン副長官の掌握力はそれだけ大きかったという意味だ。
ボルトン氏は北朝鮮との交渉で、「行動対行動」アプローチを唱えたビーガン副長官のスタンフォード大学での演説を批判した。米紙ニューヨーク・タイムズに、トランプ政権が核廃棄ではなく核凍結を検討中だとの記事が出ると、ボルトン氏はその背後にビーガン副長官がいると信じた。ボルトン氏は、ビーガン副長官が用意したベトナム・ハノイでの米朝首脳会談発表文の草案を「北朝鮮が書いたようだ」「トランプ大統領も気に入らなかった」と書いた。トランプ大統領がこの草案を批判した翌日朝、ビーガン副長官を見ても誰だか分からなかったということまで、あえて括弧(かっこ)を付けて記録している。
ボルトン氏は、根本的な北朝鮮非核化ではない試みはすべて、米政府が過去30年間にしてきた対北朝鮮政策の失敗の繰り返しに過ぎない、と考えた。だから北朝鮮との交渉を通じて何とか合意を導き出そうとしていたビーガン副長官や米国務省の努力を疑いの目で見た。ボルトン氏はそうした米国務省の努力を避け、ハノイ首脳会談でテーブルを蹴って出てくることが失敗ではないとトランプ大統領の頭の中に深く刻み付けた点を重要な成果だと考えた。
ビーガン副長官の訪韓は、ボルトン回顧録の一方的な主張に対抗して、トランプ政権の対北朝鮮政策担当者である自身の存在感を認めさせようとしたものなのかもしれない。しかし、駐韓米国大使館が出したビーガン副長官の発言に関するプレスリリースには「北朝鮮非核化」という言葉がなかった。「韓半島(朝鮮半島)の核兵器除去」というあいまいな表現と平和、関係改善に関する言及があるだけだ。北朝鮮政策特別代表としてのビーガン副長官の役割もこのようにまとめられているのだ。クリントン大統領のジュネーブ合意、ブッシュ大統領の6カ国協議に続き、進展したかのように見えた合意が結局、無駄な約束だったことが明らかになり、その間北朝鮮の核能力だけが向上するという「リピート記号」が再び作用するのだ。
トランプ大統領はビーガン副長官の訪韓期間駐に北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と3回目の首脳会談をする可能性をちらつかせた。しかし、「ショー」に過ぎない首脳会談や、会談の場を蹴って飛び出してくる選択を再びすることができないことは分かっているだろう。それに、米大統領選挙で北朝鮮政策が形勢を揺るがす「10月のサプライズショー」級ではないことも知っているはずだ。北朝鮮は今のところはトランプ氏再選の可能性が低いと見て、今は米国と会おうとしないものと思われる。
11月の米大統領選挙が終わって次の政権が発足するまで、国際社会において北朝鮮の核問題の解決を主導する主体は、当分の間いないだろう。北朝鮮の核問題は再び国際社会の迷子となった。北朝鮮は核能力を向上させる時間をまた稼ぎ、韓国が直面する安全保障上の危機はそれだけ深まったことを意味している。
姜仁仙(カン・インソン)副局長
極端な選択をした故・朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長の葬儀手続きを「ソウル特別市葬、5日葬」とすることに反対する青瓦台(韓国大統領府)国民請願がアップされ、わずか一日で30万人以上の同意を得た。ソウル市が10日午前9時に関連方針を発表してから、わずか15時間でのことだ。
10日午前に青瓦台ホームページにアップされた「朴元淳氏の葬礼を5日葬、ソウル特別市葬とすることに反対します」というタイトルの請願は、翌11日午前0時15分現在でおよそ30万人の同意を得ていた。青瓦台の国民請願は、20万人以上が同意したら政府や青瓦台関係者などが公式答弁を行わなければならない。
これに先立ちソウル市の金泰均(キム・テギュン)行政局長は10日午前9時ごろ、緊急のブリーフィングで「朴市長の葬儀はソウル特別市葬で執り行う。ソウル大学病院葬礼式場にて5日葬として執り行いたい」と発表した。ソウル特別市長が在職中に亡くなるケースは初めてで、ソウル特別市葬も初めてだ。
すると、青瓦台の請願掲示板に「ソウル特別市葬として行ってはならず、静かに家族葬で執り行うべき」という請願がアップされた。請願人は「朴市長の死亡でわいせつ疑惑は捜査もされないまま終結したが、だからといってそれが潔い死であったと確信できるか」とし、「わいせつ疑惑で自殺に至った有力政治家の華麗な5日葬を、韓国国民は見守らなければならないのか」「静かに家族葬で執り行うのが適切だと思う」と主張した。
ソウル市関係者らの説明を総合すると、今回の葬儀をソウル市葬として進める根拠は、行政安全部(省に相当)が作った政府儀典便覧に出てくる「機関葬」だ。同便覧は、機関葬について「機関の長が在職中に死亡した場合や、機関業務の発展に特別な功績がある公務員が死亡したときに挙行することが一般的」と定義する。機関葬の対象には「現職の長・次官」を含めており、ソウル市長が「閣僚級」だということを考慮した-というのがソウル市側の説明だ。
5日葬に関しては、政府儀典便覧には具体的な葬儀期間についてのガイドラインは適示されていない。ソウル市の関係者は「市長権限代行(徐正協〈ソ・ジョンヒョプ〉行政1副市長)を中心に関連部署が話し合い、遺族との協議をへて決定した」と語った。なお葬儀費は、予備費として策定しておいた市の予算から全額を充当することになる。
これに先立ち朴市長は今月9日、公邸を出て連絡が取れなくなり、10日午前0時ごろ、北岳山の粛靖門付近で亡くなっているのが発見された。朴市長は亡くなる直前、ソウル市の元職員からわいせつ容疑で告訴されていた。朴市長が死を決心するに至った契機が告訴事件と関連を有するのかどうかは明らかになっていない。ただし、こうした事実を報告された後、全ての日程をキャンセルし、遺体で発見された。
イ・セヨン記者
10日午前に青瓦台ホームページにアップされた「朴元淳氏の葬礼を5日葬、ソウル特別市葬とすることに反対します」というタイトルの請願は、翌11日午前0時15分現在でおよそ30万人の同意を得ていた。青瓦台の国民請願は、20万人以上が同意したら政府や青瓦台関係者などが公式答弁を行わなければならない。
これに先立ちソウル市の金泰均(キム・テギュン)行政局長は10日午前9時ごろ、緊急のブリーフィングで「朴市長の葬儀はソウル特別市葬で執り行う。ソウル大学病院葬礼式場にて5日葬として執り行いたい」と発表した。ソウル特別市長が在職中に亡くなるケースは初めてで、ソウル特別市葬も初めてだ。
すると、青瓦台の請願掲示板に「ソウル特別市葬として行ってはならず、静かに家族葬で執り行うべき」という請願がアップされた。請願人は「朴市長の死亡でわいせつ疑惑は捜査もされないまま終結したが、だからといってそれが潔い死であったと確信できるか」とし、「わいせつ疑惑で自殺に至った有力政治家の華麗な5日葬を、韓国国民は見守らなければならないのか」「静かに家族葬で執り行うのが適切だと思う」と主張した。
ソウル市関係者らの説明を総合すると、今回の葬儀をソウル市葬として進める根拠は、行政安全部(省に相当)が作った政府儀典便覧に出てくる「機関葬」だ。同便覧は、機関葬について「機関の長が在職中に死亡した場合や、機関業務の発展に特別な功績がある公務員が死亡したときに挙行することが一般的」と定義する。機関葬の対象には「現職の長・次官」を含めており、ソウル市長が「閣僚級」だということを考慮した-というのがソウル市側の説明だ。
5日葬に関しては、政府儀典便覧には具体的な葬儀期間についてのガイドラインは適示されていない。ソウル市の関係者は「市長権限代行(徐正協〈ソ・ジョンヒョプ〉行政1副市長)を中心に関連部署が話し合い、遺族との協議をへて決定した」と語った。なお葬儀費は、予備費として策定しておいた市の予算から全額を充当することになる。
これに先立ち朴市長は今月9日、公邸を出て連絡が取れなくなり、10日午前0時ごろ、北岳山の粛靖門付近で亡くなっているのが発見された。朴市長は亡くなる直前、ソウル市の元職員からわいせつ容疑で告訴されていた。朴市長が死を決心するに至った契機が告訴事件と関連を有するのかどうかは明らかになっていない。ただし、こうした事実を報告された後、全ての日程をキャンセルし、遺体で発見された。
イ・セヨン記者
【朴元淳ソウル市長死亡】与党関係者ら続々と哀悼の意
韓国与党・共に民主党の李海チャン(イ・ヘチャン)代表は10日の党最高委員会議で、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長について「故人は私と一緒に維新(朴正煕〈パク・チョンヒ〉大統領の独裁体制)時代から民主化運動をしてきた長年の友人だ。1980年代以降、市民運動の種をまいて大きく育てた、市民運動界の優れた人権弁護士だった。ソウル市長になってからはソウル市民のためにあらゆる力を注いで働いてこられた」と述べた。
李海チャン代表は同日午後、党指導部と共にソウル市鍾路区のソウル大学病院に設けられた祭壇を訪れた。弔問を終えた李海チャン代表は「友人がこのように突然この世を去ったという悲報を聞き、本当に痛ましいことこの上ない。今後も朴市長の意思と哲学が生き続けるよう、ソウル市のために我々ができることを最大限行い、支えるようにする」と語った。ある記者が「故人をめぐる疑惑が浮上しているが、党レベルで対応する計画はあるのか」と尋ねると、李海チャン代表は「それは無礼だ。そんなことをこの場で(言うのが)礼儀だと思っているのか」と声を荒らげた。そして、その記者をにらみながら「最低限わきまえるべきことがあって…」と言いかけて、「××の子どものようだからと」と言った。「朴市長の家族にお悔やみの言葉を何とかけたか」「朴市長と最後に連絡したのはいつか」などの報道陣のほかの質問に、李海チャン代表は一切答えないまま、その場を去った。同党の報道官団は同日午後、質問した記者の所属する報道機関に対し、「李海チャン代表は朴市長との長年関係から激高して言ってはならないことを言ってしまった」という趣旨の説明をし、李海チャン代表の代わりに謝罪の意を伝えた。
与党関係者は同日、朴市長について一斉に「人権弁護士であり、市民活動家、ソウル市民たちに献身してきたソウル市長だ」とたたえた。丁世均(チョン・セギュン)首相は「ソウル市民のためにやるべきことが多かった方なのに、非常に遺憾だ」と語り、朴炳錫(パク・ビョンソク)国会議長は弔花を送った。ソウル大学病院に設けられた祭壇には、朝から与党関係者の弔問の列が続いた。
共に民主党の主な関係者らはフェイスブックに哀悼の文も掲載した。李洛淵(イ・ナギョン)議員=前首相=は「胸が痛む。ご冥福を祈る。ご安息を祈願する」と、金富謙(キム・ブギョム)前行政安全部長官は「故人は市民社会の力量を向上させ、韓国の民主主義発展に貢献した」と書いた。李在明(イ・ジェミョン)京畿道知事は「朴元淳、私の兄上」「人権弁護士として、社会活動家として、自治体の長として、あなたは常に私より一歩先を歩いていらっしゃった。あなたが照らした光をたどって私もここまで来ることができた」と書いた。
共に民主党の金栄珠(キム・ヨンジュ)議員は「ソウル市民のため昼夜を問わず働いていらっしゃった情熱的な市長の姿がまだ脳裏に焼き付いている」と、安圭佰(アン・ギュベク)議員は「天は才能のある者をねたむと言うが、何を急いであのように逝かれてしまったのか。天も悲しんで慟哭(どうこく)の雨が降っている」と、李春熙(イ・チュンヒ)世宗市長は「多くの人々の元にいつでも駆け付けて寄り添おうとした大きな山のような方だった」と述べた。親文在寅(ムン・ジェイン)系比例政党・開かれた民主党は、朴槿恵(パク・クネ)大統領弾劾政局時に朴市長がろうそく集会を保障したことを思い起こして、「1000万のろうそく広場を見守ってくださった故人のことを忘れない」という声明を発表した。
また、朴市長の「苦痛」に共感する人々もいた。共に民主党の宋永吉(ソン・ヨンギル)議員は弔問を終えた後、記者たちに「(朴元淳系議員とされる)朴洪根(パク・ホングン)議員、奇東旻(キ・ドンミン)議員も(わいせつ・セクハラ疑惑について)全く知らなかったそうだ。党内でもどこにも、この悩みを分かち合った人が見つからない」と言った。チョ・ヒヨン・ソウル市教育監は「生きることを放棄するほど自分に厳しい朴元淳が恨めしい」と話した。申東根(シン・ドングン)議員はフェイスブックに「最後の孤独な選択が無念で胸が痛む」と書いた。与党系比例政党・共に市民党共同代表を務めたチェ・ベグン建国大学経済学科教授は「私たちを残してこの世を去ってしまった彼に寂しい思いもある一方で、どれほどつらかったことかと思うと涙が出る」と述べた。
与党関係者の中で朴市長のわいせつ・セクハラ(性的嫌がらせ)疑惑やその被害者について言及する人はほとんどいなかった。朴元淳系議員の代表といわれる朴洪根議員は同日午前、祭壇の前で行われた朴市長遺言状公開直後、自ら発言を願い出た。同議員は「今、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上で、根拠もなしに悪意ある出どころ不明の文章が拡散されている。これにより、故人の名誉が深刻に損なわれるのはもちろん、ただでさえ衝撃と悲しみにうちひしがれている遺族がさらに大きな苦痛を受けている。是非、このような無責任な行為をやめてほしい」と語った。
キム・ギョンピル記者
韓国与党・共に民主党の李海チャン(イ・ヘチャン)代表は10日の党最高委員会議で、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長について「故人は私と一緒に維新(朴正煕〈パク・チョンヒ〉大統領の独裁体制)時代から民主化運動をしてきた長年の友人だ。1980年代以降、市民運動の種をまいて大きく育てた、市民運動界の優れた人権弁護士だった。ソウル市長になってからはソウル市民のためにあらゆる力を注いで働いてこられた」と述べた。
李海チャン代表は同日午後、党指導部と共にソウル市鍾路区のソウル大学病院に設けられた祭壇を訪れた。弔問を終えた李海チャン代表は「友人がこのように突然この世を去ったという悲報を聞き、本当に痛ましいことこの上ない。今後も朴市長の意思と哲学が生き続けるよう、ソウル市のために我々ができることを最大限行い、支えるようにする」と語った。ある記者が「故人をめぐる疑惑が浮上しているが、党レベルで対応する計画はあるのか」と尋ねると、李海チャン代表は「それは無礼だ。そんなことをこの場で(言うのが)礼儀だと思っているのか」と声を荒らげた。そして、その記者をにらみながら「最低限わきまえるべきことがあって…」と言いかけて、「××の子どものようだからと」と言った。「朴市長の家族にお悔やみの言葉を何とかけたか」「朴市長と最後に連絡したのはいつか」などの報道陣のほかの質問に、李海チャン代表は一切答えないまま、その場を去った。同党の報道官団は同日午後、質問した記者の所属する報道機関に対し、「李海チャン代表は朴市長との長年関係から激高して言ってはならないことを言ってしまった」という趣旨の説明をし、李海チャン代表の代わりに謝罪の意を伝えた。
与党関係者は同日、朴市長について一斉に「人権弁護士であり、市民活動家、ソウル市民たちに献身してきたソウル市長だ」とたたえた。丁世均(チョン・セギュン)首相は「ソウル市民のためにやるべきことが多かった方なのに、非常に遺憾だ」と語り、朴炳錫(パク・ビョンソク)国会議長は弔花を送った。ソウル大学病院に設けられた祭壇には、朝から与党関係者の弔問の列が続いた。
共に民主党の主な関係者らはフェイスブックに哀悼の文も掲載した。李洛淵(イ・ナギョン)議員=前首相=は「胸が痛む。ご冥福を祈る。ご安息を祈願する」と、金富謙(キム・ブギョム)前行政安全部長官は「故人は市民社会の力量を向上させ、韓国の民主主義発展に貢献した」と書いた。李在明(イ・ジェミョン)京畿道知事は「朴元淳、私の兄上」「人権弁護士として、社会活動家として、自治体の長として、あなたは常に私より一歩先を歩いていらっしゃった。あなたが照らした光をたどって私もここまで来ることができた」と書いた。
共に民主党の金栄珠(キム・ヨンジュ)議員は「ソウル市民のため昼夜を問わず働いていらっしゃった情熱的な市長の姿がまだ脳裏に焼き付いている」と、安圭佰(アン・ギュベク)議員は「天は才能のある者をねたむと言うが、何を急いであのように逝かれてしまったのか。天も悲しんで慟哭(どうこく)の雨が降っている」と、李春熙(イ・チュンヒ)世宗市長は「多くの人々の元にいつでも駆け付けて寄り添おうとした大きな山のような方だった」と述べた。親文在寅(ムン・ジェイン)系比例政党・開かれた民主党は、朴槿恵(パク・クネ)大統領弾劾政局時に朴市長がろうそく集会を保障したことを思い起こして、「1000万のろうそく広場を見守ってくださった故人のことを忘れない」という声明を発表した。
また、朴市長の「苦痛」に共感する人々もいた。共に民主党の宋永吉(ソン・ヨンギル)議員は弔問を終えた後、記者たちに「(朴元淳系議員とされる)朴洪根(パク・ホングン)議員、奇東旻(キ・ドンミン)議員も(わいせつ・セクハラ疑惑について)全く知らなかったそうだ。党内でもどこにも、この悩みを分かち合った人が見つからない」と言った。チョ・ヒヨン・ソウル市教育監は「生きることを放棄するほど自分に厳しい朴元淳が恨めしい」と話した。申東根(シン・ドングン)議員はフェイスブックに「最後の孤独な選択が無念で胸が痛む」と書いた。与党系比例政党・共に市民党共同代表を務めたチェ・ベグン建国大学経済学科教授は「私たちを残してこの世を去ってしまった彼に寂しい思いもある一方で、どれほどつらかったことかと思うと涙が出る」と述べた。
与党関係者の中で朴市長のわいせつ・セクハラ(性的嫌がらせ)疑惑やその被害者について言及する人はほとんどいなかった。朴元淳系議員の代表といわれる朴洪根議員は同日午前、祭壇の前で行われた朴市長遺言状公開直後、自ら発言を願い出た。同議員は「今、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上で、根拠もなしに悪意ある出どころ不明の文章が拡散されている。これにより、故人の名誉が深刻に損なわれるのはもちろん、ただでさえ衝撃と悲しみにうちひしがれている遺族がさらに大きな苦痛を受けている。是非、このような無責任な行為をやめてほしい」と語った。
キム・ギョンピル記者
過激な与党支持者ら2次加害 ソウル市資料調べ個人特定試みる 「ソウル市庁で公開されている閲覧可能な資料を探してみたら…すぐに見つかりそうですね!!! 同じ女性として、私がその方に真の教育をしてやりましょう」
10日午前9時ごろ、インターネット・コミュニティーサイト「タンジ日報」にこのような投稿があった。ここに書かれている「その方」とは、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長からわいせつ行為やセクハラ(性的嫌がらせ)などを受けたとして警察に告訴した朴市長の元秘書だ。文面は「セクハラ被害者を探し出して報復する」という趣旨の反社会的内容だったが、掲示板に書き込まれてから数時間後には400件近い「推薦」を受け、コメントも100件以上付けられた。ほとんどが「そいつに人の世は恐ろしいことを教えてやらねば」「そんなに堂々としているなら、名前を出してMeToo(性的暴行被害の告発を)するなりしろ××」「悪は懲らしめなければなりません」など、最初の投稿者の主張に同調する内容だった。タンジ日報は親与党系ジャーナリストの金於俊(キム・オジュン)氏が作ったサイトだ。
これがメディアで報じられて物議を醸すと、この投稿は同日午後に削除された。だが、同日のインターネット上には同様の方法で「2次加害」を目的とした被害者女性の個人特定や、被害者女性の味方をする人々に対するコメント・テロが相次いだ。その主体は、主に過激な与党支持者だった。
革新系政党・正義党の柳好貞(リュ・ホジョン)国会議員は被害者女性に向けて「あなたが孤独でなかったらいい」とフェイスブックに書いたという理由だけで悪意あるコメントによる攻撃を受け、「サイコパス(精神病質者)か」などと中傷された。「故人になった朴市長を哀悼するのが先だ」という趣旨の攻撃だった。
警察は同日、被害者女性に対するインターネット上の悪意あるコメントついて、証拠の確保など捜査に乗り出す予定だと明らかにした。ソウル地方警察庁関係者は「被害者の要請や同意があれば身辺保護措置を取る」と言った。
ソウル市が朴市長の葬儀をソウル特別市葬として行うと発表したことをめぐっても「2次加害」論争が起こった。セクハラなどで訴えられた朴市長の葬儀を市民の税金ですること自体が被害者女性に対する2次加害に当たる可能性があるとの指摘だ。
朴市長は自身の秘書だった女性からセクハラで告訴を受けた翌日に家を出て、ソウル・北岳山のふもとで死亡しているのが発見された。両事件の相関関係は朴市長の遺書にもはっきりとは書かれていないが、親与党系のネットユーザーたちは被害者女性に対して露骨な非難や個人特定を開始した。
金於俊氏が作ったサイト「タンジ日報」にはこの日、被害者女性を特定して攻撃する書き込みが殺到した。同日午前7時ごろに投稿された「私は女です」という投稿には、「×××よ、お前にやましいことがないなら公の場で言えよ。ゴキブリのように隠れて弱いふり、被害者のようなふりをするなって」と書かれていた。すると、誰かが「胸がスッキリする雄たけび」とコメントを付けた。同日午後には「カカオトーク」などのメッセージ・アプリを通じて、被害者女性だと早合点した特定の女性の写真など、さまざまな思い込みが何度もシェアされた。
これらの2次加害に立ち向かう動きも始まった。インターネット上には、「朴市長は本当に無責任だ。真偽を確かめるべき事項があるなら確かめればいいではないか。自殺で告訴人にむなしい思いをさせた」「セクハラ事件で被害者に寄り添った弁護士という実績のある人が(自殺をするなんて)、いたわりが必要なのは被害者だ」という投稿もあった。フェイスブックやインスタグラムなどのソーシャル・メディアでは「#朴元淳_市長を_告発した_被害者と_連帯します」というハッシュタグが多く見られた。「故人(朴市長)の冥福を祈らない」と宣言する人もいた。
高麗大学経営学科のイ・ハンサン教授は10日午前、朴市長について、「故人のご冥福を祈る」と言いながらも、「ソウル市は被害者である元秘書を保護し、事実関係を把握して、元秘書に支援と補償をしても足りないという時に、何億ウォン(何千万円)かかるか分からないソウル特別市葬を5日に行い、市庁前に焼香所を設けて市民の弔問を受けるという。あり得ないことだ。私の税金がこのように話にならないことに使われるのは反対だ」と書いた。
陳重権(チン・ジュングォン)元東洋大学教授は、時事評論家ユ・チャンソン氏のフェイスブックでの発言を引用し、「皆が故人を追悼するだけで、被害者女性が一生抱えていくことになる苦痛には言及しない」と書いた。
イ・スルビ記者
10日午前9時ごろ、インターネット・コミュニティーサイト「タンジ日報」にこのような投稿があった。ここに書かれている「その方」とは、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長からわいせつ行為やセクハラ(性的嫌がらせ)などを受けたとして警察に告訴した朴市長の元秘書だ。文面は「セクハラ被害者を探し出して報復する」という趣旨の反社会的内容だったが、掲示板に書き込まれてから数時間後には400件近い「推薦」を受け、コメントも100件以上付けられた。ほとんどが「そいつに人の世は恐ろしいことを教えてやらねば」「そんなに堂々としているなら、名前を出してMeToo(性的暴行被害の告発を)するなりしろ××」「悪は懲らしめなければなりません」など、最初の投稿者の主張に同調する内容だった。タンジ日報は親与党系ジャーナリストの金於俊(キム・オジュン)氏が作ったサイトだ。
これがメディアで報じられて物議を醸すと、この投稿は同日午後に削除された。だが、同日のインターネット上には同様の方法で「2次加害」を目的とした被害者女性の個人特定や、被害者女性の味方をする人々に対するコメント・テロが相次いだ。その主体は、主に過激な与党支持者だった。
革新系政党・正義党の柳好貞(リュ・ホジョン)国会議員は被害者女性に向けて「あなたが孤独でなかったらいい」とフェイスブックに書いたという理由だけで悪意あるコメントによる攻撃を受け、「サイコパス(精神病質者)か」などと中傷された。「故人になった朴市長を哀悼するのが先だ」という趣旨の攻撃だった。
警察は同日、被害者女性に対するインターネット上の悪意あるコメントついて、証拠の確保など捜査に乗り出す予定だと明らかにした。ソウル地方警察庁関係者は「被害者の要請や同意があれば身辺保護措置を取る」と言った。
ソウル市が朴市長の葬儀をソウル特別市葬として行うと発表したことをめぐっても「2次加害」論争が起こった。セクハラなどで訴えられた朴市長の葬儀を市民の税金ですること自体が被害者女性に対する2次加害に当たる可能性があるとの指摘だ。
朴市長は自身の秘書だった女性からセクハラで告訴を受けた翌日に家を出て、ソウル・北岳山のふもとで死亡しているのが発見された。両事件の相関関係は朴市長の遺書にもはっきりとは書かれていないが、親与党系のネットユーザーたちは被害者女性に対して露骨な非難や個人特定を開始した。
金於俊氏が作ったサイト「タンジ日報」にはこの日、被害者女性を特定して攻撃する書き込みが殺到した。同日午前7時ごろに投稿された「私は女です」という投稿には、「×××よ、お前にやましいことがないなら公の場で言えよ。ゴキブリのように隠れて弱いふり、被害者のようなふりをするなって」と書かれていた。すると、誰かが「胸がスッキリする雄たけび」とコメントを付けた。同日午後には「カカオトーク」などのメッセージ・アプリを通じて、被害者女性だと早合点した特定の女性の写真など、さまざまな思い込みが何度もシェアされた。
これらの2次加害に立ち向かう動きも始まった。インターネット上には、「朴市長は本当に無責任だ。真偽を確かめるべき事項があるなら確かめればいいではないか。自殺で告訴人にむなしい思いをさせた」「セクハラ事件で被害者に寄り添った弁護士という実績のある人が(自殺をするなんて)、いたわりが必要なのは被害者だ」という投稿もあった。フェイスブックやインスタグラムなどのソーシャル・メディアでは「#朴元淳_市長を_告発した_被害者と_連帯します」というハッシュタグが多く見られた。「故人(朴市長)の冥福を祈らない」と宣言する人もいた。
高麗大学経営学科のイ・ハンサン教授は10日午前、朴市長について、「故人のご冥福を祈る」と言いながらも、「ソウル市は被害者である元秘書を保護し、事実関係を把握して、元秘書に支援と補償をしても足りないという時に、何億ウォン(何千万円)かかるか分からないソウル特別市葬を5日に行い、市庁前に焼香所を設けて市民の弔問を受けるという。あり得ないことだ。私の税金がこのように話にならないことに使われるのは反対だ」と書いた。
陳重権(チン・ジュングォン)元東洋大学教授は、時事評論家ユ・チャンソン氏のフェイスブックでの発言を引用し、「皆が故人を追悼するだけで、被害者女性が一生抱えていくことになる苦痛には言及しない」と書いた。
イ・スルビ記者
故・朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は「セクハラ有罪」という初の法廷判決を勝ち取った弁護士だった。しかし元秘書からセクハラ容疑で警察に訴えられ、翌日に自殺を選択し自らの人生に終止符を打った。周辺からは「自らの人生そのものが否定されかねないという重圧感により崩壊したのでは」との見方も出ている。
朴市長は1993年、指導教授からセクハラを受けたとされる「ソウル大学ウ助教事件」について新聞記事で知り、無料で弁護を買って出た。6年以上にわたる法廷闘争の末に、裁判所は「加害者がウ助教に精神的被害を与えた」として被告に500万ウォン(現在のレートで約45万円)の賠償を命じる判決を下した。当時、朴市長は「子供がいたずらで投げた石にカエルが当たったと考えてみよう。その子にとってはいたずらに過ぎないが、カエルにとっては死に至りかねない問題という観点から考えねばならない」と語っていた。
この判決により、「セクハラは明らかな違法」という社会的認識が広がった。この功績が認められた朴市長は、1998年に韓国女性団体連合会が主管する「今年の女性運動賞」を受賞した。「女性問題に積極的な人権弁護士」というイメージは、その後の朴市長による政治家への転身に大きく作用した。
朴市長は1956年に慶尚南道昌寧郡の農家で7人兄弟の6番目として生まれた。その後は京畿高校を経てソウル大学社会系列に進学した。しかし維新反対デモに参加したことで大学から除籍処分を受け、壇国大学社会学科に再入学。1980年の第22回司法試験に合格した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領とは司法試験の同期だ。短い検事生活を終え、弁護士開業後は富川警察署性拷問事件、米国文化院放火事件などの弁護を担当した。1994年からは「市民運動家・朴元淳」となった。朴市長は張夏成(チャン・ハソン)駐中大使(元青瓦台政策室長)と共に参与連帯の活動を率い、市民運動に専念した。小口株主運動、公益情報提供者支援に続き、2000年の第16代国会議員選挙直前には「不正腐敗候補者落選運動」で政界に大きな影響を及ぼした。
政治家としてのデビューは劇的だった。2011年のソウル市長補欠選挙で無所属候補だった朴市長が「候補者一本化」というドラマを演出したのだ。選挙を1カ月後に控えた時点で支持率がわずか9%だった朴市長は、支持率55%に達していた安哲秀(アン・チョルス)元議員から譲歩を引き出した。白頭大幹縦走直後、ひげだらけの姿で登場した朴市長と安元議員が互いに抱き合う様子は「美しい譲歩」として称えられた。その後は民主党予備選挙で朴映宣(パク・ヨンソン)候補、本選挙ではハンナラ党のナ・ギョンウォン候補を相次いで破り、二党体制を崩壊させた。ソウル市長就任後も14年と18年の地方選挙で立て続けに勝利し、はじめての3期連続ソウル市長となった。
ソウル市長になってからはとりわけ男女平等と女性政策に力を入れた。全国の自治体の中ではじめて性平等委員会を設置し、昨年1月には「ジェンダー特別補佐官」を市長室直属として新たに任命した。朴市長は昨年6月「違法撮影の心配がない安心ソウル宣布式」での演説で「わたしも娘を持つ父として、最近の芸能人違法撮影事件や新林洞強姦未遂事件に接し、女性の不安と恐怖心がいかに大きいかを改めて考えるようになった」と訴えた。
朴市長は1年6カ月後に近づいた大統領選挙に向けた準備に取りかかっていた。今月6日の記者懇談会では「(大統領職は)やりたいからできるものではなく、時にはやりたくなくともやるようになる運命的な職責だ」と語っていた。しかし朴市長は部下の女性職員に対する強制セクハラ容疑で警察に訴えられ、精神的に強い圧迫を受けたとみられる。この日、ソウル市庁内部でも、朴市長が訴えられたという知らせに大きく動揺する雰囲気が見て取れた。ある政界関係者は「フェミニストを自認していた朴市長がセクハラ疑惑で悲劇の結末を迎えたのは、恐ろしいほど皮肉なことだ」とコメントした。
鄭智燮(チョン・ジソプ)記者
朴市長は1993年、指導教授からセクハラを受けたとされる「ソウル大学ウ助教事件」について新聞記事で知り、無料で弁護を買って出た。6年以上にわたる法廷闘争の末に、裁判所は「加害者がウ助教に精神的被害を与えた」として被告に500万ウォン(現在のレートで約45万円)の賠償を命じる判決を下した。当時、朴市長は「子供がいたずらで投げた石にカエルが当たったと考えてみよう。その子にとってはいたずらに過ぎないが、カエルにとっては死に至りかねない問題という観点から考えねばならない」と語っていた。
この判決により、「セクハラは明らかな違法」という社会的認識が広がった。この功績が認められた朴市長は、1998年に韓国女性団体連合会が主管する「今年の女性運動賞」を受賞した。「女性問題に積極的な人権弁護士」というイメージは、その後の朴市長による政治家への転身に大きく作用した。
朴市長は1956年に慶尚南道昌寧郡の農家で7人兄弟の6番目として生まれた。その後は京畿高校を経てソウル大学社会系列に進学した。しかし維新反対デモに参加したことで大学から除籍処分を受け、壇国大学社会学科に再入学。1980年の第22回司法試験に合格した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領とは司法試験の同期だ。短い検事生活を終え、弁護士開業後は富川警察署性拷問事件、米国文化院放火事件などの弁護を担当した。1994年からは「市民運動家・朴元淳」となった。朴市長は張夏成(チャン・ハソン)駐中大使(元青瓦台政策室長)と共に参与連帯の活動を率い、市民運動に専念した。小口株主運動、公益情報提供者支援に続き、2000年の第16代国会議員選挙直前には「不正腐敗候補者落選運動」で政界に大きな影響を及ぼした。
政治家としてのデビューは劇的だった。2011年のソウル市長補欠選挙で無所属候補だった朴市長が「候補者一本化」というドラマを演出したのだ。選挙を1カ月後に控えた時点で支持率がわずか9%だった朴市長は、支持率55%に達していた安哲秀(アン・チョルス)元議員から譲歩を引き出した。白頭大幹縦走直後、ひげだらけの姿で登場した朴市長と安元議員が互いに抱き合う様子は「美しい譲歩」として称えられた。その後は民主党予備選挙で朴映宣(パク・ヨンソン)候補、本選挙ではハンナラ党のナ・ギョンウォン候補を相次いで破り、二党体制を崩壊させた。ソウル市長就任後も14年と18年の地方選挙で立て続けに勝利し、はじめての3期連続ソウル市長となった。
ソウル市長になってからはとりわけ男女平等と女性政策に力を入れた。全国の自治体の中ではじめて性平等委員会を設置し、昨年1月には「ジェンダー特別補佐官」を市長室直属として新たに任命した。朴市長は昨年6月「違法撮影の心配がない安心ソウル宣布式」での演説で「わたしも娘を持つ父として、最近の芸能人違法撮影事件や新林洞強姦未遂事件に接し、女性の不安と恐怖心がいかに大きいかを改めて考えるようになった」と訴えた。
朴市長は1年6カ月後に近づいた大統領選挙に向けた準備に取りかかっていた。今月6日の記者懇談会では「(大統領職は)やりたいからできるものではなく、時にはやりたくなくともやるようになる運命的な職責だ」と語っていた。しかし朴市長は部下の女性職員に対する強制セクハラ容疑で警察に訴えられ、精神的に強い圧迫を受けたとみられる。この日、ソウル市庁内部でも、朴市長が訴えられたという知らせに大きく動揺する雰囲気が見て取れた。ある政界関係者は「フェミニストを自認していた朴市長がセクハラ疑惑で悲劇の結末を迎えたのは、恐ろしいほど皮肉なことだ」とコメントした。
鄭智燮(チョン・ジソプ)記者
朴元淳ソウル市長死亡、当時何が起きたのか
人口1000万を擁する韓国の首都、ソウルの市政を引っ張ってきた朴元淳(パク・ウォンスン)市長は、なぜ突然、極端な選択で命を絶ったのだろうか。朴市長が10日未明に北岳山のふもとで遺体で発見されるまさに前日の時点でも、家族やブレーンは、朴市長におかしな気配があるとは全く感じられなかったという。今回の事件は、今月8日午後3時30分ごろ、ある若い女性が弁護士と共にソウル市鍾路区内資洞のソウル地方警察庁1階民願室へやって来たことで始まった。ロビーで一行と会ったソウル警察庁の女性犯罪捜査チーム所属の女性捜査官らは、一行を庁舎外に用意された別の取調室へ案内した。
若い女性は、朴市長の元秘書のAさんだった。Aさんは8日、朴市長をわいせつ行為の疑いで警察に告訴した。警察関係者も「朴市長がわいせつ容疑で訴えられたのは事実」と確認した。Aさんに対する警察の被告訴人調査は午前0時過ぎまで続いた。警察関係者は「Aさんが提出した告訴状に記された内容が事実かどうかを把握するための事情聴取だった」と語った。
本紙の取材を総合すると、告訴状には、Aさんが「朴市長の秘書として働いている間、数年にわたって継続的にわいせつ行為やセクハラに遭った」とする内容が細かく記されていたといわれている。わいせつ行為の被害事例としてAさんが主張した内容の要旨は「朴市長はテレグラムなど携帯電話のメッセンジャーを使ってセクハラメッセージを繰り返し送ってきて、朴市長から望まない身体接触をされることがひんぱんにあった」というものだ。みだらなチャットを送ってきたということも告訴状の中に含まれていたという。また、朴市長が下着だけの姿の写真を送ってきて、同様の写真を撮って自分に送ってよこすよう要求したこともある、とAさんは警察の事情聴取で明かした。Aさんは、朴市長が送ってきた写真やチャットの内容を証拠として警察に提出したといわれている。朴市長に対するわいせつ容疑の告訴事件は、直ちにソウル警察庁生活安全部長を経由してソウル警察庁長にまで報告された。事案が重大だと判断したソウル警察庁長は、上級機関である警察庁本庁にこの事件を報告した。報告には、朴市長に対する告訴の内容が含まれていたという、本紙の取材によると、警察庁は青瓦台(韓国大統領府)国政状況室を通して事件に関する内容を報告したといわれている。正確な報告の時期はまだ確認されていない。しかしAさんに対する事情聴取が午前0時過ぎの深夜に終わったので、9日未明から午前中の早い時間帯に報告されたものと推定される。
この後、朴市長の周辺で緊迫した状況が発生した。9日午後5時17分、朴市長の娘が「父が遺言のようなおかしなことを言って公邸を出て、電話がつながらない」と警察に通報した。当時、ソウル警察庁の捜査チームはAさんの告訴状や事情聴取の内容を基に、捜査の下絵を描いていたところだった。失踪の届出を受けた警察は、直ちに朴市長の行方を追った。9日午後4時ごろに朴市長の携帯電話の位置信号が切れた北岳ゴルフ練習場(ソウル市城北区)付近の北岳山の山麓を中心に、警察官や消防官およそ770人を動員し、捜索犬9頭まで投入して捜索に乗り出した。しかし朴市長は10日午前0時1分、北岳八角亭と三清閣の間の山中で亡くなっているのが発見された。
朴市長の最後の一日は、普段と違っていた。通常は朝早く出勤する朴市長だが、9日は明け方に「体調が良くない」という理由で出勤せず、公邸にとどまっていたという。朴市長はこの日、昼食を首相公邸で丁世均(チョン・セギュン)首相と共にすることになっていた。だが朴市長は9日午前10時ごろ、丁首相に自ら電話をかけ、「とてもつらい。申し訳ない」とキャンセルしたと伝えられている。元秘書のAさんの告訴と朴市長の極端な選択との関連は、まだ確認されていない。しかし前日まで周辺で何らおかしな兆候を発見できなかった朴市長のこうした突然の変化を考慮すると、Aさんの告訴の内容が朴市長にも伝えられたものとみられる。警察の事情聴取を前後して、朴市長がAさんによる告訴の事実を知った可能性がある。朴市長は告訴内容に反論して立ち向かうという対応を選ばなかった。
朴市長が極端な選択をしたことで、警察は「公訴権なし」を理由にこの事件に対するこれ以上の捜査を行わず、検察へ事件を移すこととした。
イ・ドンフィ記者
人口1000万を擁する韓国の首都、ソウルの市政を引っ張ってきた朴元淳(パク・ウォンスン)市長は、なぜ突然、極端な選択で命を絶ったのだろうか。朴市長が10日未明に北岳山のふもとで遺体で発見されるまさに前日の時点でも、家族やブレーンは、朴市長におかしな気配があるとは全く感じられなかったという。今回の事件は、今月8日午後3時30分ごろ、ある若い女性が弁護士と共にソウル市鍾路区内資洞のソウル地方警察庁1階民願室へやって来たことで始まった。ロビーで一行と会ったソウル警察庁の女性犯罪捜査チーム所属の女性捜査官らは、一行を庁舎外に用意された別の取調室へ案内した。
若い女性は、朴市長の元秘書のAさんだった。Aさんは8日、朴市長をわいせつ行為の疑いで警察に告訴した。警察関係者も「朴市長がわいせつ容疑で訴えられたのは事実」と確認した。Aさんに対する警察の被告訴人調査は午前0時過ぎまで続いた。警察関係者は「Aさんが提出した告訴状に記された内容が事実かどうかを把握するための事情聴取だった」と語った。
本紙の取材を総合すると、告訴状には、Aさんが「朴市長の秘書として働いている間、数年にわたって継続的にわいせつ行為やセクハラに遭った」とする内容が細かく記されていたといわれている。わいせつ行為の被害事例としてAさんが主張した内容の要旨は「朴市長はテレグラムなど携帯電話のメッセンジャーを使ってセクハラメッセージを繰り返し送ってきて、朴市長から望まない身体接触をされることがひんぱんにあった」というものだ。みだらなチャットを送ってきたということも告訴状の中に含まれていたという。また、朴市長が下着だけの姿の写真を送ってきて、同様の写真を撮って自分に送ってよこすよう要求したこともある、とAさんは警察の事情聴取で明かした。Aさんは、朴市長が送ってきた写真やチャットの内容を証拠として警察に提出したといわれている。朴市長に対するわいせつ容疑の告訴事件は、直ちにソウル警察庁生活安全部長を経由してソウル警察庁長にまで報告された。事案が重大だと判断したソウル警察庁長は、上級機関である警察庁本庁にこの事件を報告した。報告には、朴市長に対する告訴の内容が含まれていたという、本紙の取材によると、警察庁は青瓦台(韓国大統領府)国政状況室を通して事件に関する内容を報告したといわれている。正確な報告の時期はまだ確認されていない。しかしAさんに対する事情聴取が午前0時過ぎの深夜に終わったので、9日未明から午前中の早い時間帯に報告されたものと推定される。
この後、朴市長の周辺で緊迫した状況が発生した。9日午後5時17分、朴市長の娘が「父が遺言のようなおかしなことを言って公邸を出て、電話がつながらない」と警察に通報した。当時、ソウル警察庁の捜査チームはAさんの告訴状や事情聴取の内容を基に、捜査の下絵を描いていたところだった。失踪の届出を受けた警察は、直ちに朴市長の行方を追った。9日午後4時ごろに朴市長の携帯電話の位置信号が切れた北岳ゴルフ練習場(ソウル市城北区)付近の北岳山の山麓を中心に、警察官や消防官およそ770人を動員し、捜索犬9頭まで投入して捜索に乗り出した。しかし朴市長は10日午前0時1分、北岳八角亭と三清閣の間の山中で亡くなっているのが発見された。
朴市長の最後の一日は、普段と違っていた。通常は朝早く出勤する朴市長だが、9日は明け方に「体調が良くない」という理由で出勤せず、公邸にとどまっていたという。朴市長はこの日、昼食を首相公邸で丁世均(チョン・セギュン)首相と共にすることになっていた。だが朴市長は9日午前10時ごろ、丁首相に自ら電話をかけ、「とてもつらい。申し訳ない」とキャンセルしたと伝えられている。元秘書のAさんの告訴と朴市長の極端な選択との関連は、まだ確認されていない。しかし前日まで周辺で何らおかしな兆候を発見できなかった朴市長のこうした突然の変化を考慮すると、Aさんの告訴の内容が朴市長にも伝えられたものとみられる。警察の事情聴取を前後して、朴市長がAさんによる告訴の事実を知った可能性がある。朴市長は告訴内容に反論して立ち向かうという対応を選ばなかった。
朴市長が極端な選択をしたことで、警察は「公訴権なし」を理由にこの事件に対するこれ以上の捜査を行わず、検察へ事件を移すこととした。
イ・ドンフィ記者