織田信長

2010-06-30 | 授業記録

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今日の学習と
どのような関係があるのでしょう?
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と発問。

実は、これらは日本人で初めて織田信長が
触れた(食した)という説が残っている。

また、カステラに描かれているイラスト
(これは昨年度授業した写真)
も見せる。

織田信長がどんな人間だったのか?
子どもたちが興味を持ったところで授業開始。


まずは、信長の勢力拡大図資料を読み取る。
年の移り変わりとともに、信長が滅ぼした大名にバツ印をつけていく。

どんどの勢力が拡大する過程で、桶狭間の戦いや長篠の戦いをおさえる。
また、この勢力拡大地図に「京都」が記されている意味を教科書から考えさせた。
(信長は室町幕府を滅ぼした)

その後、22年という短さで、なぜこのように領土を広げることができたのか
を考えさせ、課題を設定。

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信長はどのようにして
全国統一を進めたのだろう
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信長の勢力拡大図にある区切りの年代
・1560年
・1576年
・1582年
をそれぞれ年表と照らし合わせれ調べさせる。

すると、
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1560年ー桶狭間の戦い
1576年ー安土城建築
1582年ー本能寺の変
================
となっていた。

課題を追究させるために「安土城」を調べさせた。

アップとルーズの二つの資料を同時に読み取る活動を行った。


子どもたちは二つの資料からたくさんの情報を読み取り、発表した。
発表の過程で、それらの情報を三つの観点
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・政治のしくみ
・外国とのつながり
・戦争
===========
に整理する。

そして、最後に調べ学習。

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「政治」、「外国」、「戦争」の3観点で
信長の行った改革をそれぞれ調べ、まとめましょう。
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残り時間もわずかであったが、子どもたちは
一生懸命調べた。

なぜか子どもたちに毎年大人気の「ザビエル」や、本能寺の変についてもここで扱う。

ここでなんとか授業終了。

本当は最後に
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信長の改革で一番印象に残ったのは何か
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を書かせようと思ったが、それは時間が足りず断念。

吟味に吟味を重ねて組み立てた指導計画。
しかしこれが実際やってみたら今ひとつだった。
理屈、理論だけの頭でっかちな展開だった。

展開に軽重をつけられなかったのが一番悪かった。。。

子どもたちは一生懸命食らいついてきたが、
内容がしっかりと落ちていたかとおもうと
正直自信がない。。。

こういう理屈っぽい授業をするのなら、
それなりの授業技量(対応力)が必要だということを痛感。

自分の力不足も同時に痛感。



長篠の戦い

2010-06-29 | 授業記録
応仁の乱以降、群雄割拠の時代になったことを確認。
今までの学習(大和朝廷、邪馬台国、鎌倉幕府等)をふりかえり、
国が混乱した際は、力のある人間が日本を統一しておさめたことを想起させる。
そして、この時代も「天下統一」が大きなテーマであったことをおさえた。

学習課題を
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全国統一への動きは
どのように始まったのだろう
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
と設定し、
この単元の主人公(?)信長、秀吉、家康らを紹介する。
すると、子どもたちが
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先生、じゃあ、脇役はいないのですか?
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と聞いてきた。

脇役ではないが・・・と前置きをして、
もう一人、「武田勝頼」を紹介する。


そしてこの両軍が激突した場所(長篠)を地図帳で確認し、
どのような戦いであったのかを「長篠合戦図屏風」で読み取る。

今回はこの読み取りにあたって、「10の観点」を提示した。



この観点に沿えば、読み取りが苦手な児童も
ある程度の水準で情報をおさえることができると考えた。

そしてこの観点を基に
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分かったこと
気づいたこと
(疑問に)思ったこと
=============
を箇条書きでとにかくたくさん書かせた。



いつも以上に子どもたちはたくさんの情報を読み取ることができた。
「10の観点」は、読み取りが苦手な児童の学習参加をスムーズなものにしてくれた。
(どの資料でも使えるよう「汎用性」という意味で、内容の吟味をしていこうと思う。)

そして、それぞれ読み取ったことを発表させ、観点ごとに板書。

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■様々な旗
■鉄砲
■木柵
■川
■堀
■騎馬隊
===========
たくさんの(読み取った)情報が発表される。

旗に注目する子が多くいた。
その旗を基に、
信長、秀吉、家康、勝頼の位置を確認する。
奥に陣取る信長が総大将であると検討をつける。

そして鉄砲。
たくさんの鉄砲が左側(織田軍)にあることを
子どもたちは読み取った。

そこで、火縄銃の複製品(レプリカ)を提示。


以前、ポルトガルから取り寄せて購入したものだ。
観賞用で、種子島に伝えられた実物と全く同じように作られている。
(でも弾は当然出ない。)

子どもたちは大喜び!
「重い!」
「きれい!」
「どうやって撃つんだ?」
と大興奮。

資料集で撃ち方を調べさせると、非常に手間がかかることが分かった。
(実物と照らし合わせて調べさせると理解も非常に早い。)

そこで、長篠合戦図を前に説明

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鉄砲を一回撃つのにかかる時間ーーーーー30秒
武田の騎馬隊が突撃するのにかかる時間ー20秒
===========================

真っ正面からぶつかったらどちらが勝つか、
日本刀や火縄銃を子どもたちに持たせて、時間を計りながら
シミュレーションさせた。


そのまま行ったら、当然武田軍が勝つ。
教師も煽る。
しかし、子どもたちは、「それでも織田軍が勝った」と譲らない。


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じ ゃ あ 、
そ の 証 拠 を 示 し て く れ
=====================


子どもたちは先ほど読みった長篠合戦図の情報を再構成しながら、
織田軍の勝因を分析した。

歴史が得意な子が一発目に言った
========
三段撃ち
========
は、やんわりと否定した。
これは後世の創作であるという学説が有力であるからだ。
その分、一生懸命資料の中から勝因を探さなければならない。

子どもたちは教師を言い負かせようと必死。
(その姿もかわいい)


10分前に読み取った情報を活用して、織田軍の勝因をどんどん発表する子どもたち。
「なるほど~」
と子どもたちの納得する顔。
自分たちの読み取った情報を活用して考える分、満足度も高いようであった。

最後、時間がなくてまとめきれなかったが、
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このあと、世の中はどのように
統一されていくのか?
=====================
という単元全体の課題を確認し、予想させて、終了。

次の時間が水泳でプール準備があったので、最後は駆け足になってしまい、
反省。

金閣と銀閣

2010-06-23 | 授業記録
「金閣と銀閣」という学習単元名を板書。
その後、金閣と銀閣の写真を提示し、どちらが
それぞれの建造物なのかを想像させる。
正答率100%(笑)


それぞれ、どんな人物が金閣銀閣を建てたのか調べさせ、
足利氏が京都に室町幕府を開いたことを確認する。

この二つの建物には、室町時代の文化が沢山詰まっていることを説明。
写真資料を読み取っていくことでその文化が分かることを確認する。
そして、課題提示
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室町時代には、どのような文化が生まれたのだろう
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金閣と銀閣の特徴をとにかくひたすらノートに箇条書きでまとめさせる。
そして一気に発表。
共通点と相違点を整理しながら、板書。
(ここは、失敗。マトリクス図に整理すれば、もっと良かった・・・)


金閣も足利義満もどちらもキラキラしていることに多くの児童が言及していた。
そこで、なぜそんなに派手にできる余裕があったのか調べさせた。
すると、子どもたちは守護大名を従えたことや、日明貿易を教科書で調べた。

また、「金閣に住みたい」という男子がいたので、

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ずっと住み続けるのなら金閣と銀閣どちらがいいですか?
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と発問し、プチ討論を行った。
これが意外と盛り上がる。

最初は半々だった。元気のいい男子が金閣をずっと押していたのだが、
じわじわと切り崩され、最終的にはみな
「銀閣に住みたい」
ということになった。

やはり、銀閣のおちついた造りがほっとするということに
意見が収束した。
ここで、たたみ、障子、ふすまという「書院造」の価値や”わび・さび”ついてまとめる。

ここでちょっと脱線。
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この銀閣には、最近の科学的な調査で銀箔の跡が”一切”見つからなかった
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という新聞の記事を紹介し、
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なぜ、この黒い古めかしい建物が、
金閣と並ぶ「銀」という名前を冠し、
現代までずっと残っているのかな。
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と、子どもたちに投げかけた。
(銀閣の命名についても諸説あるが、
 今回は、”銀閣”と名付けられたのは後世の江戸時代であった。という説を紹介した。)

そして、ここからは、教師と子どもの”想像の範疇”での話し合い。
子どもたちと、じっくり話し合った中で、
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この室町時代に誕生した畳や、障子やふすまなどを使った
書院造という建築様式が今の日本にも生きるすばらしい文化であり、
銀閣はその代表格だから
(”銀”と名付ける価値があり、今の時代まで残っているのではないか)
====================================
と、想像をした。



それを受けて、
この時代に生まれ、現代にも脈々と生き続けている「すばらしい文化」
が他にもあることを告げると子どもたちは嬉々として調べ学習を行った。

発表後、
=======
・水墨画
・茶の湯
・生け花
=======
など、勤務校で習っている先生のお話を紹介しながら説明をする。
(本当は、これから総合的な学習の時間で水墨画や茶の湯を体験させたいのだが・・・
 時数的に苦しく断念・・・

最後に、まとめとしてNHK「見える歴史」のサイトを提示。
歴史クイズをみんなで解いて、終了。
効果音があると、やっぱり盛り上がる。


時宗、元の大軍と戦う

2010-06-22 | 授業記録
元(モンゴル)の領土の広がりを示す資料を提示。
教室背面に掲示してある世界地図と併せて、
元がどれだけ巨大な国だったかを確認する。

子どもたちが「こんな大きな国の王は誰だったのだろう?」
とつぶやいたところで、
フビライの肖像顔を提示、紹介する。

そして当時の執権北条時宗との国書のやり取りを確認し、

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北条時宗は、フビライの使者を
二度とも斬った(殺した)
=====================
というところで、既に子どもたちの思考はクライマックス!

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そ ん な こ と し た ら

絶 対 に 攻 め て く る じ ゃ ん っ  !

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すかさず、蒙古襲来絵詞の読み取りへ。
どちらが日本軍で、どちらが元軍か確認し、
それぞれの戦い方の違いについて読み取らせる。

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・「集団戦法」対「個人」
・爆弾(てつはう)
・毒矢
・小型の弓
・軽装
==============
など、様々な情報を読み取った。

その後、元軍と日本軍どちらが勝利したかを予想させた。
丁度半々に意見が分かれた。

日本が勝利したことを告げると、子どもたちは一様に驚いていた。

今回のメインは、その勝利の理由を調べさせること。

==================
なぜ、日本軍が勝利できたのか、
その原因を調べましょう。
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子どもたちは教科書から「暴風雨」の記述を探し、
それを理由として挙げた。

並行して、博多湾の防塁や元軍の進路についても確認。

ここでさらにもう一枚の資料を提示。
これはサークルでお世話になっているT先生の
「授業に学ぶ(第7集)」から頂いた資料だ。


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元軍が、寄せ集めの軍隊だったこと
短期間でたくさんの船を大量に作ったこと
3000隻分の木材で4500隻の船を造っていること
作っているのがモンゴル人ではないこと
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などの情報を読み取りながら、
元軍が一枚岩の軍隊でなく、
日本軍が粘り強く戦ったことで、撃退できたことを
おさえた。

(しかし、これは正直難しかった。
 鍛えに鍛えたT先生のクラスであれば読み取れた資料であったが、
 我がクラスは何度かヒントを与えなければ、ちょっと厳しかった・・・。
 鍛え方が足りないと、反省した。)

そして、最後に、ご恩と奉公の関係に戻り、
ご家人が褒美をもらえなかった理由、背景を考え、
それによってどんなことをご家人たちが考えたかを予想させ、
授業のまとめとした。






この場面の流しは、本当にいろいろなパターンがある。
この指導展開ももう少し吟味すれば、すーっと流れて、
最後の板書ももっと丁寧に書くことができたのだと思う。
やはり教材研究が足りなかった。
反省である。

本当は、この蒙古襲来絵詞で、
====================
蒙古軍のイラストが後から描き足された。
====================
ということを基に、授業を組み立ててみたかった。
(蒙古軍と、朝鮮軍は明らかに線のタッチが違う)

しかしその説には二つあり、
・竹崎季長があとで描き足させた
・江戸時代に描き足された
どちらの説でも授業が成り立つようにするには、
ちょっと教材研究の時間が足りなかった。

パソコンで蒙古軍をスパッと消すのは簡単なので、
あとはその展開を吟味して、いつかやってみたいと思った。


源氏と平氏が戦う

2010-06-17 | 授業記録
授業の冒頭、二本の模造刀を提示する。
模造刀と言っても、本物そっくりに作られた、リアルな日本刀。
値段もけっこうする観賞用のモノだけに質感も凄い。

鞘から刀を抜くと、ぎらりと刃先が光り、その雰囲気に子どもたちは圧倒された。


そして、一瞬教室に緊張感が走ったところで、
平治の乱(平治物語絵巻)の資料を提示。
武士が、貴族の屋敷に火をつけ、貴族や女性を殺している。

日本刀と資料で、武士が貴族に代わって力をつけていったことを
読み取った。

学習課題を
=====================
武士はどのようにして
力を持つようになったのだろう
=====================
と設定。

源氏と平氏の両者を比較し、
資料からどちらが先に権力を手にしたのか、
そしてその方法を調べさせた。

平安時代の藤原氏による外戚関係作戦などに触れながら、
子どもたちは資料を読み取っていった。

一番盛り上がったのは、やはり源平の戦い調べ。

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石橋山の戦い
富士川の戦い
倶利伽羅峠の戦い
一の谷の戦い
屋島の戦い
壇ノ浦の戦い
===========

これらの戦いは、全て地図帳に青の白抜きで記されている。
教科書にも位置は掲載されてあるのだが、
自分は毎回この地名を探させる。
子どもたちは(なぜか)この作業に燃える。

地図帳の索引にはない地名だが、
教科書の資料を基に
=============
●●県じゃないか?
=============
などと検討をつけながら、探す。

そして見つけて満足感いっぱいのところで、
その戦いのエピソードをそれぞれ簡単に話してあげる。
子どもたちも興味津々。

・全国各地で戦いが行われたこと
・平家がどんどん西の方においつめられていくこと
で、興奮も高まる。

平家を滅ぼした源義経の終焉が、岩手県平泉だったことも
子どもたちにとっては衝撃。

これでぐっと地域素材に子どもたちの目がいく。
秋には平泉の自主研修を計画しているので、
ここでさらに興味を持たせたいと思う。

最後に、力をつけた武士が
政治に対してどのような願いや期待を持ったかを予想させて終了。



次時は、「ご恩と奉公」
これも楽しみ。

武士ってどんな人だろう

2010-06-15 | 授業記録
「武士の時代」

の単元に入った。

今回のメイン資料は

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 武 士 の 館 ( 想 像 図 )
==================

その資料に登場する人物や動物、一切を消し、
建物だけの資料を作成し、
子どもたちに提示した。

本当であれば、パソコンで奇麗に処理をして、
すっきりとした状態で提示すれば良かった。
しかし、なかなかそこまで手間をかけられなかったのが残念。
(まぁ、子どもたちには、消した跡が、
 ちょっとしたヒントになって良かったようだった)


導入で、その資料を活用し、「寝殿造:貴族」という比較で、簡単な読み取りを行った。
寝殿造の建物とは規模も内容も明らかに違う。
そして、
=========================
この建物で人がどのように過ごしているのか?
=========================

児童の思考が達したときに課題設定。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

武士は、どのような暮らしをしていたのだろう

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

人や動物が一人もいない、無機質な建物のイラストは子どもにとって
ストレスであったらしい(苦笑)
教科書の「武士の館」資料を食い入るように見ながら、沢山の情報を
読み取っていた。

ここで役立ったのは、昨年度の職場で
同僚だった中学校の先生から教えていただいた
沢山の知識!
たまたまこの頁でいろいろな情報交換をたっぷりとする機会があった。
(・・・そう考えると、あのときは本当に
 素敵で貴重な時間を過ごしていたのだなぁ
子どもたちが読み取る細かい一つ一つの疑問に、
しっかりと答えることができた。

読み取った情報の一つ一つが

「一所懸命」というキーワードにつながっていく。

そして、これから武士がどのようなことで活躍していくのかという
動機付けを持たせることができた。

このように、授業は非常に盛り上がった。

しかし、反省点も多かった。
授業が(いつも以上に・・・)単調だった。

「へ~~」という”知識”ばかりを教える45分で、
子どもたちが主体的に考え、
次の展開に思考をつなげる場面を設定できなかった。

今日は一日参観で
子どもたちの活躍の場を多く設定しよう
という意識もあったのかもしれない。

準備は万全でしっかり行ったが、釈然としない授業だった。
反省。
・・・明日からしっかりやろう。

板書も、今回は(いつも以上に)駄目


反省

紫式部と清少納言

2010-06-02 | 授業記録



導入で提示したのは、子どもたちと毎朝やっている五色百人一首の読み札。

====================
めぐりあいて~~
====================
と上の句を歌うと、子どもたちは

=========================
みしやそれともわかぬまに~
くもがくれにしよわのつきかな~
=========================
と諳んじた。

続いて歌う。
====================
よをこめて~
====================
子どもたちが続いた

=========================
とりのそらねははかるとも~
よにおうさかのせきはゆるさじ~
=========================

紫式部と清少納言の歌。
毎日やっていると、体に染み付くようだ。

前時に学習した「貴族」と彼らが大好きな「五色百人一首」
その接点が明らかになり、子どもたちも学習に一気に興味が行く。

子どもたちに彼女たちのことで知っていることを発表させながら、
貴族の暮らしの中から、このような文化が生まれたことを話す。

課題は
====================
貴族の暮らしの中から、
どのような文化が生まれたか
====================
とした。


まずは教科書本文資料から
「なぜ、女性が活躍するようになったのか」
という理由が書いてある一文を探させる。

そして、かな文字の存在について全員で確認した。
万葉がなで、暗号のように漢字を並べて問題を出すと、
子どもたちも盛り上がる。
国語の教科書にも万葉がなの一覧があり、それらを活用し、
みんなでひらがなとかたかなが完成するまでの過程について学習する。

その中で、たくさんの漢字の羅列を
「中国語みたい!」
と叫んだ子がいた。
すかさず、その脇に、その漢字が変形したひらがなを並べ、
漢字の羅列(大陸文化)と比較した。

ここでひらがなの良さ(もちろん漢字の良さも)再確認し、
これらが日本独特の文化になっていったことを説明する。

「源氏物語絵巻」資料も併せて活用したことで、
大陸の文化を摂取してきた日本が、この時代になって、
日本独自の文化様式を形成してきたことを子どもたちは理解できたようだった。

その他の国風文化について資料集で調べ、まとめとして
紫式部と清少納言のエピソードについて簡単に話した。
前時に学習した藤原道長と関連付けながら知識の定着を図る。

最後に、NHK「見える歴史」のwebサイトを視聴。
やはり動画は、「源氏物語」「平安時代」の雰囲気が出る。

自分みたいなおじさんが一生懸命子どもたちに
ロマンチックな「色恋」の話をしても、
子どもたちは全然ピンとこなかったようだっただけに(苦笑)
動画の力を再確認。



藤原道長と貴族の暮らし

2010-06-01 | 授業記録
導入で、藤原道長の肖像画を提示。
第一印象を聞いた後、
========================
この世をば わが世とぞ思う もち月の
欠けたることも なしと思えば
========================
という句を提示。

国語辞典をひきながら意味をとらえる。

自分を満月に例えた道長に対し、子どもたちは
=========================
どんだけ(どれだけ)自信過剰なんだ!?
どれだけ力があるんだ
なんかむかつく(イライラする)
=========================
などと反応を示す。

これらのように力を持った勢力を「貴族」呼ぶことを確認し、
これだけ大言壮語する貴族がどれだけの生活をしているのか想像させた。

子どもたちのイマジネーションに驚きながらも、それらを
衣・食・住にカテゴライズ。

そして課題を設定。

============================

【学習課題】
貴族は、どのような暮らしをしていたのだろう

============================


先ほどの「衣食住」の観点を基にして、
・貴族の屋敷(想像図)
・貴族の屋敷の内部(復元)
・行事がたくさん
という教科書3種の資料を活用して調べ学習。

子どもたちは、貴族の暮らしについて興味深く調べていた。

貴族の屋敷のイラストから、

=======================
この屋敷の絵が、あなたたちの生活と
かなり深く結びついているものに描かれています
=======================

と説明。

様々なヒントを与えながら、子どもたちは

=================
1 0 円 玉
=================

にたどり着く。

実物を提示しながら、
・平等院鳳凰堂
・寝殿造
・平安京(京都)
について説明をする。

子どもたちは、なぜ、藤原道長がこんなに権力を持ったのかについても
興味をもっていた。

資料集で調べさせた際、その三つの要因について、子どもたちの名前を使って、
具体的に外戚関係について説明すると、きゃあきゃあ言いながらも
非常に盛り上がった。

それ以上に盛り上がったのが、最後に行った
平安時代の美人3大条件。
(有田和正先生の著作からネタをいただいた)

貴族の屋敷のイラストの精査で、「顔を隠して歩いている女性」を見つけた子がいた。
なぜ、顔を隠していたのかを、
==================
笑ってしまって
おしろいがはがれないように
==================
というところから説明して、三大条件を基にイラストを書いてみた。

髪の毛が非常に長く、ほっぺたがふっくらとした真っ白い女性が描かれて、子どもたちは
「うそだー!」と一斉に叫ぶ。

そこで、明日やる予定になっている教科書次頁の「源氏物語絵巻」を紹介する。
すると、やっぱり女性は、その「三大条件」をクリアしていた(苦笑)
子どもたちはやや釈然としない様子だが、それは明日の授業で説明することを話す。

明日は、貴族の暮らしの中から生まれた文化について学習。


海をこえた人やもの

2010-06-01 | 授業記録
大仏学習の次時。
当時の日本とアジアの国々とのつながりについて調べる学習。

まずは子どもたちにおなじみの「火の鳥ー鳳凰編ー」を紹介し、
東大寺の大仏殿や正倉院について確認をする。

手塚治虫氏の「火の鳥」は必ず学級文庫に置く。
どれもすばらしい作品なのだが、
その中でもー鳳凰編ーは個人的に最高傑作だと思っている。

そして、正倉院の宝物と、外国と出土した品々を比較。
まるっきり同じ色、形をしている。

======================
どっちかがまねしているんじゃない?
======================

と、子どもたちが話す。

========================
じゃあ、どっちが本物(まねされた方)だと思う?
========================
と切り返す。

子どもたちは、みんな「日本」と答えた。
(これは意外だった)

そこで、さらに畳み掛ける。

==========================
そうかぁ、確かにこのルーツは日本かもしれないなぁ。
じゃあ、その証拠を資料集から探してみよう
===========================

教科書資料では文化の伝播が分かりづらい。
ここで資料集を使わせると、
いかにこれらの品物が日本に伝わってきたかが分かった。

================
先生、僕たち間違ってた。
日本に伝わってきたんだね!
================

と子どもたち。
彼らの思考が逆転したことで、
ここで、日本とアジアの国々の交流について深く学ぶことができた。

後は、鑑真。

命をかけた鑑真の旅、エピソードを中心に説明。
日本の仏教の発展に尽くした彼の功績を調べる。

最後にNHK「見える歴史」のwebサイトを見て、終了。

今回はかなりあっさりと進めてしまった。
学習事項の定着が不安なので、あとでプリント等でしっかり復習しなくてはと思う。