国会が開かれる

2010-09-24 | 授業記録
前時まで、自由民権運動で「国会を開け」という声が
民衆からあがったところまで学習した。

本時はそれを受けて、ある憲法を提示した。

===========
五日市憲法
===========

民間で起草された憲法草案である。
皆で音読しながら、人々の政治に対する思いに気づかせる。



–––––––––––––––––––––––––––––––––––
・区別されたくない
・みんな平等だ
・自由な生活を送りたい
・国会がしっかり開かれてほしい
––––––––––––––––––––––––––––––––––––
という子どもたちの声。


それを受けて、明治政府も憲法を制定したことを説明し、課題提示

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
憲法が制定されて、
政治はどのように変わったのだろう
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「伊藤博文」が中心となって
「ドイツ」の憲法を参考にして
「大日本帝国憲法」を発布した。
ことを穴埋め式で調べさせる。



そして、実際に大日本帝国憲法の一部を音読し、
何度も何度も出てくる文言をチェックさせた。

=====
天皇
=====
という言葉が至る所に出てくることを子どもたちはおさえた。


ドイツの話に触れながら、日本が天皇中心の国づくりを進めていったことを
子どもたちと確認する。
その際に「教育勅語」についても調べる。
(・・・が、今回購入した資料集には詳しい記述がなかった・・・。残念)



天皇中心の国づくりの方針が定まったところで「選挙」が行われたことを確認。
その選挙についても、今の選挙と比較させる。
==================
選挙権を持っていた人
・一定の金額の税金を払っていた人
・25歳以上
・男子
==================

えええ???と子どもたち。
ショックは大きかったようだ。
選挙権を持つ人の割合が、国民全体の1%だったということも
驚きだったようだ。


最後に、各グループで
「もし自分たちがこの時代に生まれていて、
 憲法草案を作成するとしたらどんなものを作るか?」

ということでグループ学習をした。


しかし
案の定、途中で45分が終了。

6時間目の空き時間にまとめをさせてノートを集めた。

なんだかんだで、45分で終わらなかった。
やっぱり難しい(苦笑)


自由民権運動

2010-09-23 | 授業記録
今日は「自由民権運動」についての学習。
まずは、定番の資料を提示。
「自由民権運動の演説会」

その資料に付箋を貼って、ある部分を隠した。
(パソコン処理で隠し、アニメーションで飛んでくるコンテンツも以前作製したのだが、
 今回はあえて付箋を使う。)

子どもたちは
===============
1)ひげのおじさんがいる
2)警察官がいる
3)人々がいる
===============
討論会をしているっぽい
この3者が何やらもめている
===============
ということを読み取る。

この場面が政治の演説会であることを説明し、
大体の情報を読み取った後、いよいよ付箋を剥がす。

======================
実は、この会場の上をあるものが飛んでいます。
何でしょう?
======================

包丁、コップ、ペンなど、なかなか鋭い(?)
意見が出てきたなかで、付箋を剥がす。
子どもたちも視覚的に集中する。



========
やかんだ!?
========

と、子どもたち。
すかさず、やかんの実物を提示
本当は、急須なのだけれど(苦笑)


このやかんが、誰から、誰に投げられたのかを予想させる。

投げたのは「人々」というのは子どもたちの共通見解だった。
しかし、「投げられた相手」というのが、意見が分かれた。
==================
ひげのおじさんに投げている・・6名
==================
警察官に投げている・・・・・・5名
==================

まっぷたつに分かれた。

この討論がまた面白かった。

実際に、やかんを投げながら(笑)、
なんでこんなに人々が怒っているのかを予想させる。
実際にやかんを投げてみると、
============================
先生、、、
どんだけこの人たちは怒っていたのでしょうね
============================
と子どもたち。

そこで、人々の当時の政治への思いを想像させて、課題の設定。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
人々は、政府に
どのような政治を期待したのだろう
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

予想は、あまり出なかった。
少し難しかったのかもしれない。

しかし、
=======
・地租改正
・学制
・徴兵令
=======
などに対する「人々の不満」という意見が出たので、それを使って、
「士族の反乱」について調べさせる。

西郷隆盛による「西南戦争」
教室背面の日本地図を使って、どのような戦争になったのかを
熱く(?)語ってしまう。

今度は世界地図を使って「征韓論」まで、説明(苦笑)
3分ほど、予定時間をオーバー


あの西郷隆盛でも、明治新政府には勝てないことを子どもたちは知る。
=======================
腕力では勝てないと分かった人々は、
腕ではなくて、体のどこを使ったと思いますか?
=======================
と発問。

=====
・脳みそ
・手
・口
=====
など、いろいろと意見が出た。

「ペンは剣よりも強し」という言葉を説明した後に、
人々は、「言論」のパワーで、日本を変えていこうとしたことを説明する。

板垣退助や、大隈重信の「自由民権運動」について調べ学習を行う。
============
・国会を開く
・政治に参加する権利
・地租を軽くする
・不平等条約の改正
============
などの要求についてまとめた。



ここまでくると、授業冒頭の「やかん」が誰に投げられたのか。
子どもたちは分かったようだった。
======================
先生、このやかんは、弁論を止めようとした
警察官にむかって投げられていたんですね
======================

全員が理解したところで、グループ学習。
班員を3者(弁士、警察官、民衆)に分け、それぞれ台詞を考えさせ、

寸劇風に発表させることにした。
実際にやかんも投げるアクションも入れて。
(実物も用意)

・・・しかし、これがまた、子どもたちの琴線に触れたらしく、
こちらの予想では5、6分でさらっとできるかなぁと思ったら
かなり気合いの入った話し合い&打合せになってしまい、
時間オーバー(涙)
発表は次回への持ち越しとなってしまった。。。


征韓論が若干余計だったと反省。


まちの暮らしが変わった

2010-09-21 | 授業記録
前時の復習として、明治政府が行った改革を振り返る。
そして、国の施策と比較しながら、「人々」の生活の変化に目を向けさせた。
その際に提示したのが「あんぱん」
(今朝、コンビニで購入)


=============
何パンでしょう?
=============
と問うと、子どもたちはみんな、
「あんぱん」
と答えた。

そうか、、、と実際に食してみると、
確かにあんが入っていた(当たり前か)

子どもたちは大絶叫。

===========================
「ずるーい!
「先生ばっかり~~
「僕たちも腹減ってるのに~~
「別に食べなくても、手で割ってみればいいじゃな~い
「先生、いつも食べ物関係を出すと、食べますよね
===========================
などと、言いたい放題。
思わず苦笑い。

++++++++++++++++++++++
・先生だって(ダイエット中で)
 食べたくないのに無理矢理食べているんだぞ
++++++++++++++++++++++
と言うと、さらに絶叫(苦笑)

明治時代になって、新しい食文化としてパンが入ってきたこと。
日本人に合うようにあんが入っていることを紹介した。


閑話休題



そんなこんなで自分たちの身近なところでも、
生活の変化が起きたことを確認した後、課題設定。
■■■■■■■■■■■■■■■■■
明治になって、人々の暮らしは
どのように変わったのだろう。
■■■■■■■■■■■■■■■■■



予想をさせると、衣食住に関わって
たくさんの子どもたちから様々な意見が出てくる。
やっぱり自分の生活にかかわった内容だと、想像しやすいようだ。

予想後にいよいよ追究。

「明治初め頃の東京の様子」という資料と
「開港直後の横浜」という資料を比較させながら、
生活の変化について読み取らせた。

========================
資料を見て「分かったこと」「気づいたこと」
「疑問に思ったこと」を箇条書きでまとめなさい。
========================
ずいぶん久しぶりに、この指示を出した。
たくさんの情報を読み取らせる価値が、この資料にはある。

子どもたちは時間をかけてたっぷりと情報を読み取った。


そして、それを衣食住の3観点で整理する。
本当に細かいところまで読み取っていて、毎回のことながら感心する。


まとめた後、この資料には「子ども」があまり登場しないことに気づかせた。

========================
この時代の子どもは、どこに行っていたんだろう?
========================

と発問し、調べさせる。
すると、子どもたちは「学校」に行っていたことを教科書資料から読み取った。
絵資料「小学校の授業の様子」と、以前学習した「寺子屋」の様子を比較しながら、
当時の子どもたちにとってはどのような変化が起きていたのかを調べた。

また、グラフ(学校に通った子どもの人数の割合)から、
明治の間に、多くの子どもが学校へ通えるようになったことも確認した。

このグラフを見ながら、ある子が
==================
うちの学校はどうだったんだろう?
==================
とつぶやいた。

そこですかさず子どもたちに問う。

======================
君たちの通っているY小学校は、
いつ頃できたのでしょう?
======================
子どもたちは、昭和、平成など、いろいろ予想を立てる。

実は、学校のホールに学校の沿革史が掲示されてある。
そこへ行き、グラフと比較しながら、学校の歴史を確かめた。


すると
==========
明治4年 開校
==========
とあった。

驚く子どもたち。
学制が公布されてまもなく、自分たちの学校は作られていた。
その歴史の重みに、子どもたちは感動していたようだった。

明治後半に就学率がほぼ100%になったことをグラフで確認後、
このように日本に「学校教育」がしっかりと定着した理由は何だったのかを
教科書資料等で調べる。
その際に、キーパーソンとして登場してくるのが「福沢諭吉」だ。

1万円札を活用して、「福沢諭吉」の調べ学習。

=======================
なぜ、福沢諭吉は1万円という、最高ランクのお札に
登場しているのか?
========================
と投げかけた。

福沢諭吉が「勉強の大切さ」をしっかり主張したからこそ、
今の勤勉(だと言われる)日本があることを理解させた。


これらの生活の変化を「文明開化」という言葉でおさえた後、
資料集等を活用しながら、
明治時代に始まった制度や文化について調べさせた。
============
・郵便制度
・日曜日
・太陽暦
・食事関係の変化
・電話
============
子どもたちは喜んで調べ学習を行った。
冒頭にも書いたが、このように自分たちの身近な生活と
関連する内容は、楽しいらしい。

学習のまとめとして
======================
文明開化による生活の変化は、
現代の生活にも大きく影響しています。
(これらの変化のうち)
今の自分にとってうれしかったものをランキングで
3つまで書きなさい。
======================
と指示を出した。



・理由を書くこと
・「もしその変化がなかったら・・」現代はどうなっているかを予想

という細かいルールを設定。
ただ発表するだけではなく、言語活動をしっかり行わせることを意識した。

若干時間をオーバーしてしまったが、子どもたちは一生懸命かつ楽しそうに書いていた。
発表も盛り上がる。
捉え方もやはりそれぞれ。
個性が表れて面白かった。






いつもなら、この授業は
==============
・日本刀(模造刀)
・あんぱん
・木村安兵衛の画像
==============
の3点セットで導入を行う。

刀を捨てた武士が、パン屋を開き、試行錯誤の末に
日本人の味覚にあった「あんぱん」を開発する。

という話をベースに授業を進めていた。

それはそれで盛り上がるのだが、
今回は教科書の資料を中心に進めた

ベーシックな流れになったが、これはこれで良かったと思った。
(後半の板書がかなり雑になってしまったのが、反省点)

西洋に追いつけ

2010-09-14 | 授業記録
今回も、デジタルコンテンツを使って授業を行う。
テレビにMacintoshを接続。


今回活用したのは5年前に作製したもの。
「鉄道が走る町の様子」のアニメーション。

手前の人々の様子から、時代の変化を様々気づかせる。


次に背景を提示し、バックが海だということに気づかせる。



海の上に、なにか石垣がつくられたことから、
何事が起きようとしているのか予想させる。



大きな汽笛とともに、左から右へ、機関車が走り抜ける。


子どもたちはびっくり。

=====================
なぜ、海の上を鉄道が走っているのか?
=====================
という疑問を持つ。
そこで、当時の鉄道敷設の様子がわかる資料を畳み掛けるように提示。



このブログの写真では分かりづらいが、どの鉄道も海の上を走っている。

=========================
・当時、政府は鉄道用の土地を買えなかったこと
 (大きな反対があった)
・むりやり、海の上に鉄道を敷設したこと
・あまりの激務に、監督の外国人が過労死してしまったこと
=========================
を説明する。




ここで、子どもたちに問う、

=======================
どうして、明治政府は、こんなにも
鉄道を敷くことを急いだのでしょう?
=======================

子どもたちは

********************
・西洋に憧れていた
・西洋に追いつきたい
・文化が遅れている
・このままだと侵略される
・戦争になったら負ける。
********************
という意見を出す。

ここで課題を設定。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
政府は、西洋に追いつくために、
どのような政策を行ったのだろう。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

導入で提示した、鉄道敷設を
===========
輸送力を高める
===========
という言葉でまとめる。


次に、官営工場についての読み取り。
富岡製糸場の錦絵から、当時の様子について調べる。
=================
・外国人がいる
・たくさんの女性がいる
・機械がたくさんならんでいる
・天井が高い
=================
など、様々な読み取りを行う子どもたち。

当時の外国人指導者が、当時の総理大臣の7倍の給料をもらっていた
という話に、子どもたちは目が点になる。

当然、この富岡製糸場は大赤字だったのだが、
それでも、日本にとって良かったと子どもたちに伝える。

子どもたちはここでまた「なぜ?」と悩む。

その答えのヒントは教科書本文にある。
パワーポイントを活用しながら、説明する。


富岡製糸場は赤字だったが、ここで働いていた華族の子女たちが、自分の出身地へ戻り、
そこで知識や技術をふる活用して新しい事業を興していった。
それで、日本の産業が発展していった。

この官営工場建設を
========
産業力
========
とまとめた。



他にも、二つ明治政府の改革があることを伝え、
子どもたちに調べ学習をさせる。
短い時間であったが、子どもたちはしっかりノートにまとめることができた。

==============
◇徴兵令ーー軍事力

◇地租改正ーー経済力
==============


============
・輸送力
・経済力
・軍事力
・産業力
============
子どもの言葉で、なんとかこれらの言葉を引き出し(作り?)、
いよいよ学習課題のまとめ。

これらの4つの力を集めることで

=========
  国 力
(こくりょく)
=========

を高めていったことをまとめた。


授業のまとめとして、子どもたちには
====================
自分が明治政府の役人だったら
どの改革に一番力をいれるか選びなさい
====================
と指示を出した。

子どもたちは、4つの中から一つをえらび、
理由をつけながらまとめていた。

ここで時間終了。

なんとか45分におさまった。



実は、この授業は自分が5年前に行った研究授業の指導案を基に行った。


その指導案

5年前は、今以上に未熟だった。

指導案を久々に見返しても、エゴに満ちている。
自分が教材研究した物(ネタ)は、できるだけ多く授業に取り入れようとしていた・・・。
正直、赤面。

今回はこの指導案の20%はカットして、授業を行った。
「これじゃあ、45分に収まらない」
「展開が濁る」
授業をして改めて思った。

ブログを続けていると、この時の様子も振り返られる。
5年前の記事を読んでいると、
子どもたちにいかに助けられていたのか、
自分の力のなさも、改めて分かった。

今の自分も
これから(数年後)の自分に論破されていくのでしょう。

・・・こうやって、本当に少しずつでも日々進歩していければいいなぁ。

新しい政府を作る

2010-09-13 | 授業記録
様々な行事と重なって45分確保できなかった授業。
だいぶ端折って進める。




課題も、前時に江戸幕府が倒れたことを想起させ早めに提示
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
新しい政府は
どのような政治を目指したのだろう
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

今回は「変化」として3点をおさえる。
時間がないこともあり、教科書本文を使っての穴埋め調べ学習をメインにした。

―――変化1―――

五箇条のご誓文を提示し、江戸幕府の政治とどこが違うか線を引かせた。

教科書やノートをひっくり返しながら、
江戸幕府との違いについて言及する子どもたち。
全員が線を引き、全員が何らかの発言をした。
これはこれで意味のある活動だった。


―――変化2ーーー

首都や年号の変化について穴埋めで確認。
維新三傑についてもエピソードともに確認。
3人の生い立ちや、最期について語ると、子どもたちも
真剣な表情で話を聞いていた。

中学生のころ、年末の大型時代劇
「白虎隊」「田原坂」「五稜郭」「奇兵隊」が好きだった自分。
(珍しく?)話にも熱がこもってしまった。



―――変化3ーーー

=======
・廃藩置県
・四民平等
=======
について確認。
4文字の枠を使って、子どもたちに言葉を入れさせる。
こういうヒントを与えると、子どもたちはパズル感覚で調べ学習を行っていく。
今までこういうストレートな調べ学習は(子どもたちが受け身になると思って)
あまりやってこなかった。
しかし、子どもたちの反応も良く、こういう作業が楽しい子どもたちもいるのだ
と改めて認識。
状況を見ながら、活用していこうと思った。




学習のまとめとして、
士族や平民、華族を選択させて、この明治維新の変化についてのコメントを想像して書かせる。
それぞれが思い思いのコメントを書いていてよかった。
ただ、イラストに青春をかける子が多く、ただでさえ時間が足りないのに、
それだけで時間をくってしまった。
これは反省。
へのへのもへじでもいいし、吹きだしだけでもいい。
それを徹底していれば、さらに中身のある学習のまとめができたのかなぁ。。。




昨年度ご一緒させていただいた同僚(中学校)は、
============
1)明治(明るく治める)

2)ひっくり返すと「治明」(おさまるめい)
  ↑当時の落首
============
のどちらかを選択して、明治維新の様子について
考察させていた。
改めて、なるほど・・・と思った。
しっかり深めて授業をすれば、小学生でも追試は可能だ。
今回はちょっとキツかったが。




45分確保できなかったということで、
駆け足で行ったため、薄い授業となってしまった。
これは自分の力量不足を反省。

37、8分なら、それに合わせて授業を組み立てるべきだった。
取捨選択を図り、軽重をつけながらきっちりと流して
教えるべきことをしっかり教えられる先生が本物の先生なのだろう。

ブログ冒頭から「時間が足りず・・・」と言い訳しているようでは、、
まだまだまだまだ修行が足りませんね・・・
反省。

江戸幕府がたおれる

2010-09-08 | 授業記録
開国後の江戸幕府について調べる授業。
今回は自分が2年前につくったデジタルコンテンツを活用。
2回連続でパソコンとテレビをつなげる。

微妙に違和感を覚えてしまう自分に苦笑い。


まずは、江戸でおこったうちこわしの資料を提示。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・人々が米屋を襲っている
・驚いている人がいる
・中身をぶちまけている
・大きな柱で建物を壊している
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
などの意見が出る。


開国後に、世の中が混乱してきたことをおさえ、課題を設定。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
開国によって、幕府の政治は
どう変わったのだろう
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


「幕末の米の値段の移り変わり」グラフを読み取りながら、
当時の人々の怒りに気づかせる。
それには、やはり開国の影響があったことに気づく子どもたち。

そんな中、江戸幕府はどうなっていったのか・・・・。
と、子どもたちの思考が盛り上がってきたところで、デジタルコンテンツの活用。

実はこれは道徳の教材として活用した「坂本龍馬」の教材。

教科書の本時の内容も「坂本龍馬」のエピソードに触れる内容になっていたので、
思い切ってこちらを使う。


子どもたちは食い入るように画面を見ていた。
そのやり取りの中で
=========================
どのようにして薩長同盟が誕生したのか。
どのようにして徳川慶喜が大政奉還したのか。
=========================
について、坂本龍馬の視点で追っていった。


薩長同盟を結ばせるところまではかなり盛り上がった。
しかし、坂本龍馬が暗殺されてしまったのは、
子どもたちにとってはショックだったらしい。

教室全体が沈んだ空気になったのがダイレクトに分かった(苦笑)
それだけ、子どもたちが坂本龍馬に感情移入したということなのかもしれない。
さすが、坂本龍馬。



黒船が来た

2010-09-07 | 授業記録
5年前に作製したデジタルコンテンツを活用して、黒船来航の場面を提示。
何もない海のど真ん中に突然黒船が現れる。

子どもたちも「おっ!」と思う。
大砲の音も、迫力があった。

======================
誰が乗っていたのか?
何をしにきたのか?
当時の日本人(江戸幕府)はどう思ったか?
======================
などを確認していく。


アメリカ合衆国の使節ペリーが、日本の開国を求めて
来航してきたことを教科書で確認。
しかし、教科書の黒船資料は黒くて不気味さは目立つが、情報量的には寂しい。
この黒船と相対した陸地の様子を資料集で確認。

武装しながらも混乱している様子をおさえた後
学習課題を設定する。



「元寇」を想起して予想を立てる子が多かったのは
(ある意味)心強かった。
「神風に頼る」など、ちょっと笑ってしまった。

その後、いよいよ追究活動へ。

===========================
江戸幕府がペリーへの返事を延ばしたのは、
開国派と鎖国派が激突して、答えを一つに
しぼれなかったからです。
江戸幕府はどんな意見の板挟みにあったのでしょう。
===========================
と、発問した。

鎖国派と開国派がどんな意見をそれぞれ持っていたのかを
考えさせた。
児童一人一人に広い視野から
「黒船来航」の意味を考えさせたいと思った。


開国派の意見も鎖国派の意見も同時に考えさせることで、
当時の江戸幕府の苦悩も分かると考えた。
殆どの子どもたちが、両者の意見を考え、発表できた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
■鎖国派
→キリスト教徒が増えてしまう
→農民が江戸幕府の言うことを聞かなくなる
→江戸幕府が弱くなる

■開国派
→文化が入ってこなくなる
 (日本は今までいろいろな外国の文化を学んできた)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
など、今まで習得してきた知識を活用して発表する子が多く、
嬉しく思った。

その葛藤の中で、江戸幕府は「開国」したことを確認し、
二つの条約(不平等条約)をおさえる。
========================
米を使って、「関税自主権」がないことの大変さ
刀を使って、「領事裁判権」がないことの悲惨さ
========================
を確認。


このあたりで残り時間が数分(涙)
やはりデジタルコンテンツが余計だった。

最後に、開港した横浜村の、開港前と開港後の様子を提示。
ぐわっと変化したことについて子どもたちは驚く。
本当はにぎわう横浜の街の資料をじっくり読み込ませたかったのだが、
時間が足りず終了(涙)

不平等条約が強調されてしまい、子どもたちに
「開国は駄目だった」というネガティブな気持ちだけを持たせたくなかったが、
この二つの資料を同時に出したことで
「文化の発展」についても直感的に理解ができ、次時にうまくつなげることができた。

「横浜村」の資料を準備していて、良かった・・・・と安堵した。


45分で授業をしっかりおさめるのは本当に難しい。
それだけ自分の授業に、ムリ・ムラ・ムダがあるのだろう。
反省だ。
こうやって考えると、
半年近く社会科の授業をしているが
「満足に教えきった!」と言い切れる授業を何回しているだろうか?
ブログを読み返してみると殆どできていないのが現実。。
なにより子どもたちに申し訳がない。
もう少しで1年の折り返し、
歴史学習は三分の二を過ぎようとしている。

頑張らなくてはならない!
と改めて気合いを入れる。





玄白ら、「解体新書」を出版する

2010-09-02 | 授業記録
「中国の医学書の人体図」と「解体新書の人体図」を同時に提示する。

子どもたちは、こういう「気持ち悪い(?)」絵が大好き。
盛り上がる。

どちらも医学書であることを説明した後
=======================
もし自分が手術をしてもらう場合、
どちらの医学書を使って手術してもらいたいか
=======================
と発問した。

子どもたちは、「解体新書」を選択した。

このように、江戸時代後半、「医学」が進歩してきたことを確認し、
その他にも様々な学問が発達していったことを伝える。
子どもたちは自然に学習課題を設定する。

■■■■■■■■■■■■■■■
新しい学問は、世の中に
どのような影響を与えたのか
■■■■■■■■■■■■■■■


杉田玄白を紹介し、オランダの医学書を翻訳していった苦労を調べる。
「フルヘッヘンド」(←ターヘルアナトミアには、なかったという説もある)から、
「盛り上がる」=「鼻・胸」=「落ち葉の集まり」
などの説明で、当時の苦労を読み取る。



そして、解剖の見学の図から、日本で初めて「腑分け」をしたことについて調べる。

すると、子どもたちが

==================
先生、(春に行った)市の博物館で
解体新書が展示されてましたよね
==================
と言ってきた。

そこで、なぜ、一関市と解体新書がつながっているのかを
説明した。

一つは「豊吉の墓」

市内にあり、「腑分け」をされた罪人の墓だ。
日本の歴史の中でもかなり早い段階で腑分けを行った場所であり、
そんな場所が身近にあったことを子どもたちは驚いていた。

もう一つは「大槻玄沢」
一関市の有名人、大槻三賢人。

医者である玄沢は、師匠の杉田玄白、前野良沢の字を一字ずつもらって
「玄沢」と名乗っている。

その辺りは「地域教材」の良さ。
子どもたちの食いつきも良かった。

その後
医学の他にどんな学問が広がったかを調べ学習。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・本居宣長=国学(古事記伝)

・高野長英=蘭学(幕府の政策を批判)

・伊能忠敬=天文学(測量で日本地図を作製)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


ただ、調べるだけでは定着しないので、
エピソードとともに説明。
・高野長英が奥州市出身で、液体で顔を焼いて整形したこと
・伊能忠敬は50歳を過ぎてから勉強を始め、海岸線をひたすら歩いたこと
などは、子どもたちは興味津々で聞いていた。
エピソード記憶で、しっかり定着を図りたいと思った。

準備や教材研究が若干足りない1時間だったが、なんとか流れて、良かった。