改名!むっく★ちぃちゃんvsみっちゃん

我が家に来て一日半でパルボを発病してしまったチワワのちぃちゃんの闘病日記だったこのブログ。気がつきゃ17年経過。

つづき2

2011年03月19日 13時20分17秒 | むっくVSちっち
気丈な妹に仕事が終わったら私の実家に来るように告げ、旦那と旦那の両親に電話をかけまくりました。

それでもつながらない。

もうだめなのかな・・・。

涙が止まらない。

震えも止まらない。

そんな中、市街地から私の父が仕事を終えて歩いて帰ってきていると電話が繋がり、即迎えに行きました。

市街地から歩けば4時間位かかることでしょう。

電話もなかなか繋がらない、道は信号電気が消えて隆起している地面も見えない。

何とか父を見つけて拾い、自宅へ。

八時位だったと思う。

まだ旦那はいなかった。

私は地震直後に携帯の災害伝言掲示板に子供と共に無事であること、実家に避難することを載せておいた。


携帯はほとんどつながらない状態に。

どうか無事で。どうか帰ってきて。

心臓が張り裂けそうだった。

夜9時を過ぎた頃、


「こんばんは~」

玄関から声がする。

「パパだぁ!」

それまでおとなしくしていたみつきが玄関へ。

リビングが開き、旦那が。


三人で泣きながら抱き合い、あの時の安堵感は忘れられないでしょう。


旦那は会社から渋滞の中、四時間かけてまずは保育所へ向かったのだという。


喘息で傷病休暇中だった私が、この日の朝だけ仕事にでかけたのを知っていた旦那。

多分私が迎えに行っているだろうと思っていたけれど、もしかしてと即保育所へ向かったとのこと。


私の実家にいるだろうとも思ったけど、恐怖で動けなくなっているのではと各避難所を私とみつきを探して歩いていたと。

実家のこともニュースで分かっていたけど、まずは私とみつきが先決だったと。


いつも私にあまり関心の無い旦那。


だけど私達家族のことをきちんと守ろうとしていてくれていたんだと、こんな形で知ることになるなんてね。


まずは旦那に食事をしてもらい、ラジオと携帯のテレビで情報を得ていると、県警のヘリコプターが実家近くの道路に数百体の遺体を発見したと言うことだった。


一同絶句。


そんな中、何度も何度もメールを受信したり送信したりを繰り返していたら、数件のメールを受信できた。

友人知人会社の上司。

その中にメール時間15:34


だいじょうぶ


たった一言のメール。義母だった。

地震発生から45分ほど。

津波の第2波第3波が次々と押し寄せてきていた時間帯。


どうなんだ?


時間からすると多分空港に避難してから送ってきたのでは?


推測でしかないけれど、すぐに電話をかけまくった。


しかし繋がらない。


旦那は今から海岸へ行くと言い出す。


私達を守れるのはパパしかいない!お願いだからやめて!パパにまで何かあったらどうしたらいいの?


なんとか止めて、方法を探した。


北海道の兄にも携帯が繋がらなくて連絡つかない。

心配してるだろうなぁ。


と思った時、名古屋に旦那の弟がいるのを忘れていることに気づいた。


即連打で名古屋の弟に連絡。

すると繋がった!

みんな無事なの?

お母さんからメール来たよ。

時間は18:30分位だった。

お父さんはわからない。

おばあちゃんもいないって。


その後連絡取れなくなった。


と。


義母は多分無事で空港に避難できたのだろう。

夜が明けたら探しに行こうと。夜明けを待った。










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