真っ黒い波がどんどん押し寄せ、車・家・海岸線の松林が空港ターミナルに押し寄せる画像。
動悸が激しくなる。
あっという間に空港は海。
旦那の実家は農家で義父は消防団長。
おばあちゃんお母さんは畑では?
お父さんは消防団の仕事で海岸線の見回りに行ったのでは?
パパは実家を見に行ったのでは?
いろいろなことが頭の中を駆けめぐりました。
まずは実家へ。
地震発生から40分後位。すでに行く途中にはガソリン渋滞が起きていました。
ガソリンを入れるべきか?
飲料水を手に入れるべきか?
食料?
どうしたらいいの?
1人で頭の中がパンクしそうなくらい考えまくりました。
子供がいるのだからまずは水と食糧だろ。
そう思って開いている店を探しましたが見つからず。
実家の近くまで来ると、ツルハドラックのドアが開いており中に人が沢山いる気配。
すぐに車を飛び降り、中へ入るとものが散乱する中、従業員の方々が一点一点バーコードを書き写し、値段を確認しに行き電卓で計算して商品を売っていました。
この人達だって家族があるだろうに・・・。
レジでありがとうがんばってくださいとしか言えなかった。
水やジュースなど持てるくらい持って実家へ到着。
すると車の中に母や近所の人達が。
飛び出てきた母は、泣きながら私達を抱きしめました。
余震が激しく、何度も大きな地震が来る。
だけど高台にある実家は地盤が相当強く、少しグラスが落ちた位でほとんど被害も無く揺れも小さく感じます。
母を見て安心し、涙があふれました。
停電にガスがストップ。
かろうじて水道は使えました。
到着するまでも何度も何度も義母・義父・パパと電話をかけまくりましたが繋がらず。
暗い夜がやってきても誰も連絡が取れない。
そんな時、看護師の義妹と連絡が取れました。仕事をしていて家にはいなく無事とのこと。
家が無くなったよ。
何も無いよ。
どうしよう。
お父さんお母さんおばあちゃんもどうなったか分からない。
どうしよう。
そんな義妹は宮城でも唯一重症患者を引き受けることとなった市立病院勤務。
仕事を投げ出し、探しに行きたかっただろう。
しかし彼女は気丈にも仕事をすると言ったのです。
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何か不都合あったら言ってね!
いつもありがとう
家族で力を合わせてがんばっているから大丈夫だよ!
これは記録として残しておかなければと書き始めてみました。
あまりにも壮絶な3日間だったから、記憶も曖昧な感じだけど、他県の人達にも知ってほしいので。
本当にありがとね