NASAが発表した「地球外生命体」が話題だけど・・・残念ながら、リアルな宇宙人が見つかったわけではなかった。
それでも、美しい音楽やバレエ、オペラを観賞した後には、地球のスケールにはおさまらない宇宙的な何かを感じる。
なんというか・・・・「金星人」のパワーを感じるのです。
こんなふうに書くと、笑ってしまわれる方もいるだろう。
宇宙人というより、比喩としての金星人。地球の重力から解き放たれた自由で無限大な美のバイブレーションが
私にとっての「金星的」な感覚だ。
(ちなみにホルストの「金星」はとても金星の本質を表わしていると思う)
ここから先は、音楽を素材にした試論なので、スピリチュアル系が苦手な方は不快に感じるかも知れません。ご容赦ください。
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地上に人類が現れて十万年。おそろしいほどの時間を、ずっと人間は動物同然に「ただ生きて」きた。
それが一万年前に、突如として洞窟に絵を描き、言葉を見出し、種としての独自性を認識する。
いきなり「人間」というものが溢れ出し、そこから宗教、芸術、科学、愛、美、慈愛のような高等なカテゴリーが続々生まれてきた。
動物と「地球人」を分けたのは何だったのか? 特殊なタンパク質の合成パターンなのか。そうは思わない。
異次元への扉へ導いたのは、地球人の先輩である「金星人」と「火星人」であり、彼らからキャッチした霊感によって、人間のさまざまな「知」が生まれた、という説がある。
私はオカルト好きということもあって、この突拍子もない仮設を支持している。アレゴリーとしても面白いからだ。
愛、芸術、美をつかさどる金星と、支配、闘争、暴力をつかさどる火星。
時系列的には、地球人は野蛮な火星意識を超克して、慈愛の意識である金星意識へと成長を遂げなければならない。
地球上に発生する凶悪犯罪の多くが、尾骶骨のように残存した「火星人の悪い記憶」だという説もある。
金星人からのインスピレーションは全く逆で、アートや音楽に宿る特別な力と深く関係している。
ここまで書いて、何か収集がつかなくなりそうだが、先週聴いたドレスデン聖十字架合唱団&ドレスデンフィルの演奏会は
地球の古い重力から脱皮して、異なる美の次元に移行しようとしたマージナルなDNAを強く感じるものだった。
聴いたのは、ヘンデルの「メサイア」と、バッハの「マタイ受難曲」で、同じ演奏家の音楽なのに素晴らしく個性的な二つの芸術が具現化されていた。
誤解を恐れず、飛躍的な表現を使うと・・・ヘンデルは、既に金星意識の中にいる音楽(メサイア)を書き
バッハは、イエスの金星意識と、古いグラヴィティに支配さていれるがゆえに救世主を否定する「火星意識」との相克を描いた(マタイ受難曲)。
なので、燦然たる金星意識の只中にある「メサイア」は、ハイテンションで昂揚感に溢れている。
「マタイ」は火星意識の罪悪感に満ち満ちていて、光の気配を感じながらも始終闇のなかにあり、とても重い。
光(金星)と闇(火星)の意識を媒介する役目を担う、福音史家(エヴァンジェリスト)のテノールが、あんなにも悲痛なのはそのせいだ。
ドレスデンから来た9歳から19歳までの少年たち。まばゆいほどの金髪のグラデーションがステージを神々しく照らしていた。
この年齢域の男性があらわす「聖なるもの」の声は、とても鋭かった。
少年たちが持っている無邪気な聖性は、年を減ると消えていく。ヴィスコンティが「ベニスで死す」で残酷に描いたのと同じように。
マタイもメサイアも、成人の混声合唱で聴くのとは全く意味が違っていた。一気に、たくさんの直観の扉が開き、収拾がつかなくなった。
中世にルーツをもつ合唱団である彼らは、ストイックな音楽教育によってドイツの宗教音楽の伝統を守っている。
三時間半に及ぶマタイを、譜面を持ち直立して歌う子供たちの「克己」と「献身」。
そこには、どうしたって「美」が生じる。
肉体的に辛い思いをしてまで伝えたい芸術があるというのは、精神の勝利である。。
金星の景色のような少年たちの美麗な姿を見て、人類は火星に逆戻りしてはいけない・・・と強く思ったのだ。
ソリストの歌手の方々の素晴らしさは特筆に値する。特にアルトのマルグリート・ファン・ライゼンの陰影のある声に心が震えた。
「メサイア」に出演したソプラノ森麻季さんは華やかだったが、声楽的なアプローチがドイツの歌手たちと違っていたのがやや気になった。
細部はどうであれ、ものすごい光の塊を体験した。太陽と、太陽の影である皆既日食。その二つをドレスデンの音楽家たちは表していった。
すべての感覚を書き残すのは本当に難しいのですが、とても大きなものを得られた演奏会でした。
鋭い霊感を得たときに感じる、恐怖感にも似た感情を味わったのも、貴重な体験です。
それでも、美しい音楽やバレエ、オペラを観賞した後には、地球のスケールにはおさまらない宇宙的な何かを感じる。
なんというか・・・・「金星人」のパワーを感じるのです。
こんなふうに書くと、笑ってしまわれる方もいるだろう。
宇宙人というより、比喩としての金星人。地球の重力から解き放たれた自由で無限大な美のバイブレーションが
私にとっての「金星的」な感覚だ。
(ちなみにホルストの「金星」はとても金星の本質を表わしていると思う)
ここから先は、音楽を素材にした試論なので、スピリチュアル系が苦手な方は不快に感じるかも知れません。ご容赦ください。
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地上に人類が現れて十万年。おそろしいほどの時間を、ずっと人間は動物同然に「ただ生きて」きた。
それが一万年前に、突如として洞窟に絵を描き、言葉を見出し、種としての独自性を認識する。
いきなり「人間」というものが溢れ出し、そこから宗教、芸術、科学、愛、美、慈愛のような高等なカテゴリーが続々生まれてきた。
動物と「地球人」を分けたのは何だったのか? 特殊なタンパク質の合成パターンなのか。そうは思わない。
異次元への扉へ導いたのは、地球人の先輩である「金星人」と「火星人」であり、彼らからキャッチした霊感によって、人間のさまざまな「知」が生まれた、という説がある。
私はオカルト好きということもあって、この突拍子もない仮設を支持している。アレゴリーとしても面白いからだ。
愛、芸術、美をつかさどる金星と、支配、闘争、暴力をつかさどる火星。
時系列的には、地球人は野蛮な火星意識を超克して、慈愛の意識である金星意識へと成長を遂げなければならない。
地球上に発生する凶悪犯罪の多くが、尾骶骨のように残存した「火星人の悪い記憶」だという説もある。
金星人からのインスピレーションは全く逆で、アートや音楽に宿る特別な力と深く関係している。
ここまで書いて、何か収集がつかなくなりそうだが、先週聴いたドレスデン聖十字架合唱団&ドレスデンフィルの演奏会は
地球の古い重力から脱皮して、異なる美の次元に移行しようとしたマージナルなDNAを強く感じるものだった。
聴いたのは、ヘンデルの「メサイア」と、バッハの「マタイ受難曲」で、同じ演奏家の音楽なのに素晴らしく個性的な二つの芸術が具現化されていた。
誤解を恐れず、飛躍的な表現を使うと・・・ヘンデルは、既に金星意識の中にいる音楽(メサイア)を書き
バッハは、イエスの金星意識と、古いグラヴィティに支配さていれるがゆえに救世主を否定する「火星意識」との相克を描いた(マタイ受難曲)。
なので、燦然たる金星意識の只中にある「メサイア」は、ハイテンションで昂揚感に溢れている。
「マタイ」は火星意識の罪悪感に満ち満ちていて、光の気配を感じながらも始終闇のなかにあり、とても重い。
光(金星)と闇(火星)の意識を媒介する役目を担う、福音史家(エヴァンジェリスト)のテノールが、あんなにも悲痛なのはそのせいだ。
ドレスデンから来た9歳から19歳までの少年たち。まばゆいほどの金髪のグラデーションがステージを神々しく照らしていた。
この年齢域の男性があらわす「聖なるもの」の声は、とても鋭かった。
少年たちが持っている無邪気な聖性は、年を減ると消えていく。ヴィスコンティが「ベニスで死す」で残酷に描いたのと同じように。
マタイもメサイアも、成人の混声合唱で聴くのとは全く意味が違っていた。一気に、たくさんの直観の扉が開き、収拾がつかなくなった。
中世にルーツをもつ合唱団である彼らは、ストイックな音楽教育によってドイツの宗教音楽の伝統を守っている。
三時間半に及ぶマタイを、譜面を持ち直立して歌う子供たちの「克己」と「献身」。
そこには、どうしたって「美」が生じる。
肉体的に辛い思いをしてまで伝えたい芸術があるというのは、精神の勝利である。。
金星の景色のような少年たちの美麗な姿を見て、人類は火星に逆戻りしてはいけない・・・と強く思ったのだ。
ソリストの歌手の方々の素晴らしさは特筆に値する。特にアルトのマルグリート・ファン・ライゼンの陰影のある声に心が震えた。
「メサイア」に出演したソプラノ森麻季さんは華やかだったが、声楽的なアプローチがドイツの歌手たちと違っていたのがやや気になった。
細部はどうであれ、ものすごい光の塊を体験した。太陽と、太陽の影である皆既日食。その二つをドレスデンの音楽家たちは表していった。
すべての感覚を書き残すのは本当に難しいのですが、とても大きなものを得られた演奏会でした。
鋭い霊感を得たときに感じる、恐怖感にも似た感情を味わったのも、貴重な体験です。