◇ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントス・ムジクス@サントリホール(10/30)
つめたい雨の中、出かけてよかった。今夜のサントリーホールは空気がきらきらしていた。
すべてがしかるべきことのためにチューニングされ、心をこめて入念に準備されていた。
黄金いろのオーラに包まれた音楽を浴びて、どきどきするほど幸福な気分になって帰ってきました。
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ハイドンの「天地創造」は、人間の知性がまだイノセントだった頃の音楽。
大天使ガフリエル、ラファエル、ウリエルの三人によって歌われる地球生成のテキストには
ダーウィンの進化論やコペルニクスの地動説は反映されず(当然)、その後やってくる啓蒙時代と自然科学の時代も
ここでは「いまわしきもの」として予感されるにとどまっている。
(知りうる以上のことを知ろうとしてはいけない、というウリエルの一節)。
人間の分を知り、創造主への感謝を忘れず、「限界」を与えられた宿命としてとらえること。
なんとこれは、アーノンクールの歴史観・文明観にぴったりのオラトリオなのだ。
何しろ、外科手術や歯科の治療における麻酔についてまで批判している(ディアパソン誌のインタビュー)お方である。
あらゆる「文明による合理化」に懐疑的な哲学者。その頑固ぶりは、音楽に昇華され、今や伝説になった。
アーノンクールは「かつてあった人間のイノセンス」を追求する。
楽器が容易に爆音を鳴らせなかった時代、コンサートホールが見事な音響をもてなかった時代、
ひいては、作曲家たちが未熟な医学のせいでバタバタ夭折した時代。
その馬鹿正直な不便さの中に、ダイヤモンドのような「人間性」が潜んでいるはずだ。
そして、それは真実だった。
気の遠くなるほどの時間をかけて、哲人ニコラウスが音楽で証明したのは、近代文明の容易さに対する、人間の尊厳からの「No」であった。
それは過激で革新的な思想でもある。
しかし今や、地球規模で彼の思想は肯定される流れの中にある。
紋切り型になるが、「時代が彼に追いついた」のだ。
21世紀は必然的に、どんどん「心」の価値(モノ、合理性ではなく)を認めていく時代になるだろう。
ハイドンが、ヘンデルのオラトリオに陶酔して、60代になってから書いた「天地創造」は
すべてのはじまりには主の「善」の意志があったという、祝祭の音楽だ。
宇宙は善である。神の意志は善意である。生命は善のシンボルである。
そのよろこびの旋律が雨あられと降ってきて、聴き手の全身をしとしとと濡らす。
呆気ないほどの音楽の明るさは、ハイドンが最も単純で楽天的な美徳をもつ、牡羊座生まれだったこととも関係している。
彼は牡羊座のアーティストにふさわしく、東から昇る太陽の音楽を書いた(交響曲も、すべて)
あらゆる頽廃が出尽くした今となっては、こんな時代遅れな音楽もない。が、どうしようもない真実も、ここにはある。
「すべてのはじまりは善である」という考えが、誰にとっても抗いがたい魅力をもっている、という真実だ。
地球のすべては、神の「心」が作ったもの。別の視点から見ると、オカルティックでもある。
アーノンクールは、最初から世界は心で出来ていると、当然のように考えていた、はずだ。
だから彼は、自分で作った音楽を奏でるかのように、自在にこの音楽を奏でていた。
ハイドンの「天地創造」を聴いてから、春の満開の桜もただの自然現象には見えなくなった。
あの無際限な、桃色の花びらの叫びの根っこには、神の優しさがある、と考えて微笑む。
そう考えるイノセンス(馬鹿正直)の中に、何か根源的なものに近づく手がかりがあるように思えるのだ。
◇歌手たち
びっくりするほど覚醒した「物語る声」で、地球生成の物語を記した大天使ガブリエル(ドロテア・レッシュマン)の見事さ。
彼女はオペラでも歌曲でもない、岩に記されたテキストのような歌を歌った。
トランペットのような大天使ウリエルの美声、ミヒャエル・シャーデ(テノール)の底なしの魅力。
鷲とライオンと昆虫の守護神のような大天使ラファエルの低音、フーリアン・ベッシュ(バリトン)も、歌手のプライドを見せてくれた。
緻密に磨き抜かれたアーノルト・シェーンベルク合唱団は、完璧なプロフェッショナル。
彼らの素晴らしい日常、ウィーンという街の洗練された文化と、音楽へのリスペクトが伝わってきた。
※ところで大天使はみなさん、本当にいるのです。
今日のアーノンクールの「天地創造」は、大天使が貧乏な私にチケットをプレゼントしてくれたので、聴くことができました。
大天使の正体は、アーノルト・シェーンベルク合唱団の団員さんでした。
当日チケットに並ぶ十数人から、どうして私を選んでくれたのか、謎は残ります。
おそらく私が大天使のファンで、ガブリエル・ラファエル・ウリエルの存在を信じていることを
見抜いていたのかも。
おそるべし、大天使界のネットワーク!
つめたい雨の中、出かけてよかった。今夜のサントリーホールは空気がきらきらしていた。
すべてがしかるべきことのためにチューニングされ、心をこめて入念に準備されていた。
黄金いろのオーラに包まれた音楽を浴びて、どきどきするほど幸福な気分になって帰ってきました。
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ハイドンの「天地創造」は、人間の知性がまだイノセントだった頃の音楽。
大天使ガフリエル、ラファエル、ウリエルの三人によって歌われる地球生成のテキストには
ダーウィンの進化論やコペルニクスの地動説は反映されず(当然)、その後やってくる啓蒙時代と自然科学の時代も
ここでは「いまわしきもの」として予感されるにとどまっている。
(知りうる以上のことを知ろうとしてはいけない、というウリエルの一節)。
人間の分を知り、創造主への感謝を忘れず、「限界」を与えられた宿命としてとらえること。
なんとこれは、アーノンクールの歴史観・文明観にぴったりのオラトリオなのだ。
何しろ、外科手術や歯科の治療における麻酔についてまで批判している(ディアパソン誌のインタビュー)お方である。
あらゆる「文明による合理化」に懐疑的な哲学者。その頑固ぶりは、音楽に昇華され、今や伝説になった。
アーノンクールは「かつてあった人間のイノセンス」を追求する。
楽器が容易に爆音を鳴らせなかった時代、コンサートホールが見事な音響をもてなかった時代、
ひいては、作曲家たちが未熟な医学のせいでバタバタ夭折した時代。
その馬鹿正直な不便さの中に、ダイヤモンドのような「人間性」が潜んでいるはずだ。
そして、それは真実だった。
気の遠くなるほどの時間をかけて、哲人ニコラウスが音楽で証明したのは、近代文明の容易さに対する、人間の尊厳からの「No」であった。
それは過激で革新的な思想でもある。
しかし今や、地球規模で彼の思想は肯定される流れの中にある。
紋切り型になるが、「時代が彼に追いついた」のだ。
21世紀は必然的に、どんどん「心」の価値(モノ、合理性ではなく)を認めていく時代になるだろう。
ハイドンが、ヘンデルのオラトリオに陶酔して、60代になってから書いた「天地創造」は
すべてのはじまりには主の「善」の意志があったという、祝祭の音楽だ。
宇宙は善である。神の意志は善意である。生命は善のシンボルである。
そのよろこびの旋律が雨あられと降ってきて、聴き手の全身をしとしとと濡らす。
呆気ないほどの音楽の明るさは、ハイドンが最も単純で楽天的な美徳をもつ、牡羊座生まれだったこととも関係している。
彼は牡羊座のアーティストにふさわしく、東から昇る太陽の音楽を書いた(交響曲も、すべて)
あらゆる頽廃が出尽くした今となっては、こんな時代遅れな音楽もない。が、どうしようもない真実も、ここにはある。
「すべてのはじまりは善である」という考えが、誰にとっても抗いがたい魅力をもっている、という真実だ。
地球のすべては、神の「心」が作ったもの。別の視点から見ると、オカルティックでもある。
アーノンクールは、最初から世界は心で出来ていると、当然のように考えていた、はずだ。
だから彼は、自分で作った音楽を奏でるかのように、自在にこの音楽を奏でていた。
ハイドンの「天地創造」を聴いてから、春の満開の桜もただの自然現象には見えなくなった。
あの無際限な、桃色の花びらの叫びの根っこには、神の優しさがある、と考えて微笑む。
そう考えるイノセンス(馬鹿正直)の中に、何か根源的なものに近づく手がかりがあるように思えるのだ。
◇歌手たち
びっくりするほど覚醒した「物語る声」で、地球生成の物語を記した大天使ガブリエル(ドロテア・レッシュマン)の見事さ。
彼女はオペラでも歌曲でもない、岩に記されたテキストのような歌を歌った。
トランペットのような大天使ウリエルの美声、ミヒャエル・シャーデ(テノール)の底なしの魅力。
鷲とライオンと昆虫の守護神のような大天使ラファエルの低音、フーリアン・ベッシュ(バリトン)も、歌手のプライドを見せてくれた。
緻密に磨き抜かれたアーノルト・シェーンベルク合唱団は、完璧なプロフェッショナル。
彼らの素晴らしい日常、ウィーンという街の洗練された文化と、音楽へのリスペクトが伝わってきた。
※ところで大天使はみなさん、本当にいるのです。
今日のアーノンクールの「天地創造」は、大天使が貧乏な私にチケットをプレゼントしてくれたので、聴くことができました。
大天使の正体は、アーノルト・シェーンベルク合唱団の団員さんでした。
当日チケットに並ぶ十数人から、どうして私を選んでくれたのか、謎は残ります。
おそらく私が大天使のファンで、ガブリエル・ラファエル・ウリエルの存在を信じていることを
見抜いていたのかも。
おそるべし、大天使界のネットワーク!